14.傷心
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「ごめんなさい。私にはやっぱり、知らない国へ、知らない王子様と一緒についていくことなんてできないです。私はこの国の平民で、パン屋の娘です。お隣の家の幼馴染みのタイが大好きで、右肩にいたのは一瞬だけで、今はもうなくなっても、すきで。だから、ごめんなさい」
深く腰を折って、頭を下げ続けるリリカは、両親がどうとりなそうとしても、まったく動こうとはしなかった。
「でもリリカ。お前の恋の種の相手は、この御方なんだよ? もう二度とこの御方以外は浮かんだりしない。……そりゃあ、タイは残念だったよ。それにタイみたいなことに、この御方があんたより先に逝っちまう可能性だって、ちーっとはある。でもさ」
「リリカ。この家にずっと居れる訳じゃない。俺たちはお前より先に逝く。そうしたら、ひとり者になったお前はどうするつもりだ。弟が結婚してこの店を継ぐことになっても、居座るのか?」
「おとうさん、そんな言い方……」
「いいや、俺はリリカの為に言ってるんだ」
愛娘を思う気持ちから出てくる言葉たち。けれども、その言葉ひとつひとつが、リリカを傷つけていくのが見ていて辛かった。
「知らない国についてくるのは、怖いよねぇ」
頭を下げたままのリリカに目線を合せる為に、すぐ横でしゃがんで顔を覗き込む。
泣きそう、というよりあまりにも辛そうなリリカの表情に、苦笑するしかない。
「しかもリリカを連れて行こうとしているのは、ろくに知らない相手だ。信頼もできない」
「それは! ……いえその、信頼、できないってことは、ないんですけど」
もごもごと口の中でなにか言っているのはわかるけれど、何を言っているのかは上手く聞き取れないほど声はちいさい。
だから、ルキウスは決めたのだ。
「ルマティカに、帰るよ。リリカはここに残るといい」
「!!」
「そんなっ」
「娘を捨てるんですか!」
リリカの両親ふたりから一斉に責められても、ルキウスは貼り付けたような笑顔を変えようとはしなかった。
「まぁまぁ」と、両手で押さえるようにして宥める。
そうして、まだぎっちりとワンピースのスカートを握り締めている、リリカの手に優しく触れた。
「そんなに力いっぱい握り締めていたら、怪我をしてしまうよ。タイも悲しむ。勿論、私も」
「ふっ、ふぇっ……ごめ……る、きうす、さま。ごめ、な、さ……」
「謝る必要なんかないよ。大丈夫だよ、リリカ。大丈夫」
ルキウスの手の中にすっぽりと包みこめるほどちいさなリリカの手。
短くてちいさな爪、指先には火傷の跡があって、手の甲には、ちいさな傷跡もある。
リリカの、温かい、働く手。
恋の種が芽吹いたルキウスには、その傷ひとつひとつすら愛しいのに。
けれど、そう思うのは自分だけなのかと思うと、切なくて哀しい。
思わずまじまじと見つめ、指でついっと撫でたら、手の中に大人しく収まってくれていた手が、ビクッと跳ねた。
ルキウスが、リリカの顔を見上げたその後ろに、一瞬だけ、タイの怒った顔が見えた気がした。
──大丈夫。ちゃんと守ってみせる。
心配性なリリカのもうひとりの運命の相手へ、心の中で、そう告げる。
「困らせたよね。でも、大丈夫だから。リリカができないって思うなら、それでいいんだよ」
ルキウスにできる最高の笑顔で、リリカに笑いかけた。
胸の痛みには、気付かない振りをした。
***
「振られちゃいましたねぇ」
ちいさな箱馬車の中。呵呵と笑うマグと対面する席で、ルキウスは全力で全身をシートへと預けていた。ぐったりしたその様にも同情を寄せる気は一切ないらしい。
どこか面白がっているような瞳で親愛なる主を見つめていた。
「ねぇ、マグ。さすがに酷くない? ここは普通慰めるところでしょう」
「だって。ねぇ? ご自身の顔にも地位にも自信満々なルキウス様が、完璧なまでに振られるところなど、もう二度とお目に掛かれないかと思いまして。非常に貴重な体験をさせていただきましたよ」
冥途の土産に致しましょうと続けられ、ルキウスはすっかりむくれて、シートの背面に向かって足を屈めて丸くなった。
「ホラホラ。いいお歳なのですから、幼児のような拗ね方をされるのはよくありませんぞ。せめて靴を脱がれた方がよろしいかと」
勿論声掛けはしても、立ち上がって主の靴を脱がせようとすることはない。
けれど言われただけでもプライドは傷つくのだ。
「もうっ。マグは本当に優しくないな。少しは傷心の主を労われよ」
唇を尖らせて首だけマグの方を向け文句をつける主に、長年仕えてきた側近は、言葉とは裏腹に優しい視線を向けていた。
「いま私が口を開いてしまいますと、『リリカ様の御様子を鑑みるに、諦めた方がよろしいのではありませんか』と本音をお伝えしてしまいますが。それでもよろしいですかな」
「お前、僕を主と呼んでる割に、ホント容赦ないよね!?」
「ですが、完膚なきまでに振られようとも、我が主はリリカさまを諦めるつもりは一切ないのでしょう? なら、慰めるのも無粋かと存じまして」
「それはそうだけど!」
ぷんぷんと怒りながら敗北の受け入れを即座に拒否した主に、マグがやさしい視線を送った。
「諦めるつもりがないなら、そうお伝えすればよろしかったのではありませんか。黙って立ち去ってしまいましたが、良かったんですか」
「……」
「格好つけられるのも宜しいですが、見栄を張られるのは、どうぞほどほどに。努々後悔なさらないようお気を付けください」
言いたいことはすべて伝えたとでもいうように、マグはもう何も言わなかった。




