国を出る
かくして、リベラ竜国の王族訪問に伴う人流に紛れて、三人は国を出ることにした。作戦はこうである。
最も大きな一団を狙い、その中に隠匿魔法をかけた状態で紛れて国を出る。
ただそれだけであるが、この作戦には大きな懸念があった。
それは、「魔法石の効果はエリクセン王国でしか発動されない」ということである。
つまりはエリクセン王国を出たら、たとえ隠匿魔法がかかっていたとしても姿は見えてしまうということ。
これは魔法石の効果は精霊王アスタリスによる恩恵であり、その加護のない他の土地に入ったとたんに、アスタリスの力は及ばなくなる、と言われているからである。
実はこの事実はあまり知られていない。
エリクセン王国の魔法石は国外に出ぬよう厳重に管理されており、国境には「魔法石を見つけるための魔法石」で出来た街灯が灯っている。
魔法石を身に着けたまま国境を越えようとすれば、街灯の灯りは警告色に変わりまばゆく光る。
また持ち出されようとする魔法石も呼応して光り、石同士が惹かれあって街灯のほうに飛んで行ってしまうため、隠しようがないというものであった。
魔法石が国を出ることがないため、魔法の効果が切れることも知られていないのである。
そのため三人は、一団が国境の通行を許可されるまでは隠匿魔法をキープし、許可された直後に石を投げ捨てて出国する必要があった。
「…そんなにうまく行くでしょうか」
サリーは心配そうだ。
「国境付近で様子を窺って、もしうまく行きそうにないなら、隠匿魔法を解かずに団体を抜け出して岩山をよじ登るまでよ」
「リベラ国の岩山には竜がたっくさん生息していますが」
「まさに命がけよね」
「おお、精霊王よ、岩山だけは避けたいのです…」
珍しくサリーが祈っている。我々はまさにその精霊王の加護の傘から去ろうとしているのだが。
「とにかく、この旅を以て、私はこれまで心血を注いできた魔法とさよならをするわけね」
「…そうなりますね。寂しいですか?」
「そりゃあね。だってここにある魔法具やセスは、私の友であり子であり、私の一部でもあるもの。」
そうだ。
いつだって魔法を愛してきた。
ずっとこの国で、魔法を研究しながら楽しく暮らすと思っていた。
魔法を使うとき、ジジはいつだって、自分以外の暖かな存在を感じてきた。
それが「精霊の加護」なのか、それとも、魔法に力を貸すこの国の自然や元素そのものなのかは分からない。
ただ、魔法は暖かく、世界とのつながりを感じさせてくれるものだった。
魔法なしで生活するのが辛いのではない。
愛するものと離れなければならないのが、どうしようもなく辛いのだ。
そして、魔法以外にも、家族との思い出や市場の人々、この国そのもの…それら愛したものとの別離はジジの心を氷のように冷やした。
だが、ジジは行かねばならない。
いつかまた、今度はリベラ国の一般人ジジとして、この国に旅行に来られるようになったらいい。
その頃にはこの屋敷は朽ちているかもしれないが、昔を懐かしむくらいは許されるだろう。
この屋敷を覆う隠匿魔法はこのままにしていくことに決めている。
それからジジは、リベラ国の弔問を待つ間、亡命の準備と並行して、この国のすべてのものにお別れを言う活動に勤しんだ。
頻繁にセスを飛ばし、国のあらゆる景色を、人々の生活を上空から見て回った。
自らの足で地上に降りることはできなかった。
我が父の作った船が多くの人の命を奪ったという、罪悪感がそうさせた。
転移ゲートと隠匿魔法を使って、王宮にも忍び込んだ。
王宮はリー新王の色に様変わりしていた。
家族で使っていたダイニングやリビングの調度品はすべて入れ替えられ、豪奢で華美なものばかりになっていた。
自分たち家族のお気に入りだった、手触りのよいシンプルなカウチソファは、使用人用の物置に打ち捨てられていた。
父の座った執務室の椅子をリー新国王が温め、母が作り上げたサロンを彼の妻ダニエラが我が物顔で使っていた。ランバートの部屋には彼の息子ジェフリーが入り、隣の部屋を改築して彼の恋人であるアデル・モルガンを住まわせていた。
ジジの部屋には彼の娘フロリアが入り、ジジのかつて使ったドレスやアクセサリーをそのまま身に着けていた。
即位後数週間、まだ前王家の喪中であるというのに、その態度はまるで以前から王族であったかのように尊大で、一家そろってなかなか厚い面の皮である。
『あの時この部屋から聞こえた声、彼女と新王のものだったのね。この部屋のものはすべてお前のものだよ、ってとこかしら』
その一方書斎には立ち入られた形跡はなく、その奥の隠し部屋も見つかってはいないようだった。
念のため隠し部屋に隠匿魔法の魔石を設置し、
『ここはもはや、私の家ではなくなってしまった。さようなら』
ジジはそっと、王宮を後にした。
これまであらゆる悪だくみを一緒にしてきた相棒、フィンにも別れを告げた。
フィンとの最後のやり取りを思い出す。
『フィン、私、国を出ることにするわ。これまで私の研究に付き合ってくれてありがとう』
『…なんでだよ、お前は何も悪くねえだろ、…って言いたいけど。仕方ねえよな』
『…うん、仕方ないのよ』
『あのな、俺、自分の修行も途中なのに、姫様の我儘に付き合わされて…結構うんざりしてたんだ』
『知ってる』
『無茶ばっかり言うし、無理だって言ってんのに絶対諦めないし、急に呼び出されるし』
『うん』
『セスの飛行テストんときなんて、本気で死ぬと思った』
『奇遇ね、私もよ』
『何度も何度も、こんな姫様さっさと嫁いで城を出てってくれって祈った』
『それはちょっとひどいわね』
『…でも、今は思うよ。…楽しかった。思いっきり魔法に向き合って、考えて考えて、実際に作って失敗して…成功して…』
『懐かしいわね、私たち、たくさんの子供を作ったわね』
『語弊があるだろ。…でも、うん。全部大事だ』
『大事、ね』
『だからな、俺にとってはお前も大事なんだ。元気で、…お願いだから、元気でいろよ』
フィンは泣いていた。親方に怒られているときにも見た、フィンの怒ったように顔をしかめて泣く顔を、ジジは思い出す。
『姫様、俺はここで、俺たちの子供たちを守りとおす。何年だって隠し続けてやる。セスだってあの姫様の家に運んで、一緒に隠しておいてやる。だからいつか、帰ってこい。』
くしゃくしゃになって泣きながら、フィンは最も嬉しい言葉をくれた。
そしていよいよ。
岩山の向こうから大国リベラの王族を乗せた飛竜の一団が現れ、
陸路にて黒衣で追悼の意を表した使節団が到着した。