報せ2
あれからサリーに連れられ市場へ向かう道中、衝撃的な報せを告げられた。
「グレート・エリクセン号が、行方不明だそうです」
サリーが言うには、ウォルトと市場で買い物中、貴族の馬車が乗り入れてきたという。
市場の広場に降り立った男性は、自らを王宮からの使いだと言い、グレート・エリクセン号が行方不明となっていること、何らかの事故に巻き込まれた可能性があることを大声で告げ、また数刻後、続報を持って同じ場所へやってくると言い残して去っていったとのこと。
おそらく、王都中に同様の報せを持って回っているのだろうという。
では、なぜジゼルを城内ではなく市場へ連れていこうというのか。
それは、
「…姫様、私はあの王宮からの使いだという男、王宮内で見たことがありません」
そのような重大な報せを王都中に知らせるのだ、そこらの適当な下男に任せるはずもない。
それにサリーだけならまだしも、ウォルトもその男のことを知らなかった。
つまり、限りなく怪しいということだ。
だからサリーは、まずは市場で、国民と同じ立場でその続報を聞くことを選択したのだ。
市場へ着くと、広場の前は人で溢れかえっていた。
それはそうだ。今回の航海には王族や貴族だけではなく、庶民の中からも優秀な商人や職人など、国への貢献が多い者が多数乗船している。中には家族が乗船しているものもいるだろう。
それでなくとも、国のオールスターズがこぞって乗っている船が消えた。
それが意味することが分からない国民たちではなかった。
『行方不明ってどういうことだ…?』
『大丈夫よね、帰港が少し遅れるくらいのものよね』
『でも万が一、全員帰ってこないなんてことになったら…』
『この国はいったいどうなるのかしら…』
人々がささやく声が聞こえる。
市場へ入る前にサリーが渡してくれた、多分そこらの店で急いで買ったであろうふざけたウサギの耳の生えたフード付きマントで顔を覆い、念のため見つからないように潜む。
怪しい男。
王族を含めた国の中枢が一挙に消えるという異常事態。
そしてジゼルの部屋にいた人影。
何か恐ろしいことが起こっている。
ジゼルは唇が震え、歩みが止まりそうになる。しかし、耳を塞いではいられない。
半分サリーに引きずられるように、広場に到着した。
ウォルトと合流すると、ちょうど一台の馬車が入ってきた。
一人の男が堂々と馬車から降り立ち、声を張り上げる。
所作は美しく、動作は順序正しく、間違いなく貴族、またはそれに連なる者の動きだった。
「先刻の通達のとおり、グレート・エリクセン号の行方に関して、ガスパード・リー・エリクセン陛下よりお言葉を賜る。心して聞くように」
一人の中年の男が静々と中央に歩み出て、広場はしばし静まり返る。
ガスパード・リーとは、この国の大臣のうちの一人の名前である。あの客船に乗り込んでいた一員だった。なぜ彼は今王都にいるのか。船は一体、船客は一体どこにいるのか。
――何より、あの男は今、『リー・エリクセン陛下』と言わなかったか?
ジゼルが吸い込む息がヒュ、と音を立てる。喉が渇いて仕方がなかった。
「この国の宝を乗せた、かのグレート・エリクセン号が行方不明となった。
その報せにうろたえた者も多かろう。残念ながら、諸君らに悲しい報せを重ねてせねばならない。かの客船の行方は、私が知っている。―――『竜の巣』だ」
『竜の巣』…それはエリクセン王国民にとって、「絶望」を意味する地名である。
ざわめきは波のようにあっという間に広場を満たし、中には悲鳴じみた声も聞こえてきた。
「私が見た一部始終を話そう。
出航パーティーの興も乗った夜半、乗客たちの誘いに乗った操縦士たちは己の職域を離れ、酒宴に参加していた。そのため海路の監視を怠り、あの、『魔の海流』に乗ってしまったのだ。
それに気付いてからはもう、皆が無我夢中であった。魔の海流はあまりに流れが速かった。
あの船体の規模を以てしても、まったく歯が立たなかった。少しも抗えなかった。
皆も知っての通り、『魔の海流』の先にあるのは『竜の巣』と呼ばれる島だ。あの海流に乗ったものは島の奥深くまで引き込まれ、岩壁に叩きつけられ、海底へ引きずり込まれる。
その運命を、王をはじめ国王一家は誰よりも先に受け入れられた。
このガスパード・リーに国の今後を託すと申され、小舟に乗り込んだ私は王の魔力により海流の外に投げ出された。
―――これが、王の意思だ」
大臣ガスパード・リーがその手に掲げたのは、王が普段携えている魔法石で出来た短杖であった。
「この通り、王は王家の家宝であるこの短杖を、私に託された。
私はこれを以て王の遺志を継ぎ、エリクセン国王へと就任した。
心配もあるだろうが、諸君、何卒私を信じて、着いてきてはくれないだろうか。
私はこの身を賭して、この国を守っていく」
大臣、もとい新国王は朗々と演説を続ける。ジゼルはその間、――――妙に冷静であった。
痛々しい人を見ていると急速に冷めていく、あの感じだ。
そもそも先ほどの演説には少々辻褄の合わない部分がある
。サリーとウォルトを見ると同意見のようで、声は出さずとも小さく首を捻っている。
広場からは新王に対し、「誰も逃げ出すことが出来なかったというのですか?!」だの、「父は!父はどうなったのですか!」だの鋭い声が飛ぶ。
侍従とみられる男は「不敬であるぞ!控えよ!」と怒鳴っているが、新王は寛大にも、
「よい。私が覚えている限り、乗客たちの最期の姿について伝えよう」
と優しく語り始めた。
「まず、――そなたの御父上は…もしやグレイ商会の頭領でおられるか。御父上はご立派であった。海流に抗おうと、その知識と魔法の力を尽くしておられた。夫人も恐怖もあったであろうに、背筋を伸ばし悠然と構えておられ…」
その後も次々に民の声に耳を傾け、語り掛けていく。その中で、
「ジゼル姫はどうなった?!」
と大きな声がかかった。はっとして声のほうを見ると、パン屋のトムがそこにいた。
新王はその声を聴くと、ひとつ息を吸って広場を見渡した。
「―――そうであった、ジゼル姫は時折城下町に降りていたのであったな。
諸君らの中には姫を知るものもあるだろう。姫はひときわ勇敢であった。
阿鼻叫喚となった船員たちを一喝し、国王とともに魔法石に祈りを捧げ、流れに逆らって船体を必死に動かしておられた…。
流れに逆らえないと悟ると、その目には涙を浮かべながらも気丈に振る舞われ、王家の長子としての役割、姫としての役割を私の子供たちに託す、と仰った。
その言葉に従い、我が息子ジェフリー、そして娘のフロリアもすでに王城に入っている」
確定、黒である。なぜならジゼルはここにいる。何なら出航に間に合ってすらいない。
パン屋のトムのほうを見ると、ジゼルとしっかり目が合った。
そのほかにも群衆のなかからちらほらと視線を感じる。
広場を満たしていた絶望の悲鳴も怒りのざわめきも、少しずつ冷えていく。
それに新国王は気付いていない。
ジゼルはここで初めて、パン屋のトムをはじめとした市場の人々が自分の正体に気付いていたことを知った。
ジゼル本人を前にしてその最期を思いっきり捏造したのだ、群衆たちもしらけないはずがない。
しかし誰も新国王にそれを告げる者はいない。あまりにも胡散臭いからだ。
しばらく気持ちよく演説した後、新国王は去っていった。
人々の目は一斉にこちらを向く。
ジゼルは観念し、ウサギ耳マントを取り顔を上げた。
「皆さん、この通りよ。ジゼルはここにいるわ。」
ウォルトがすかさずフォローに入る。
「姫は諸事情により、客船には乗っておられなかった。
つまり、リー新国王の供述は嘘だということだ。」
「姫様、どこまでが嘘なんだ。船が流されたことも嘘なのか?」
商店の男が声を掛けてくる。
「少なくとも、お父様から王位を譲られたというのは嘘だという確信があるわ。理由は割愛させて頂戴。
ただ、船が『竜の巣』へ向かってしまったということについては…否定できない。
それ以外にあれだけの船が姿を消す理由がないわ」
「姫様!」
遠くから声がかかった。
見ると、日に焼けた青年が大きく手を振っている。
発言を促すと、
「残念だけど、船が『魔の海流』に乗っちまったのは間違いないと思うぜ。
俺は漁師なんだけど、ほら、漁師は暗いうちから船を出すだろ?
昨日も夜釣りをしていたんだが、あのぴかぴかした船の向いた方向がおかしかったんだ。
あっちには『魔の海流』と『竜の巣』しかないから、なんでそっちにって思ったけど、王様の考えることは分かんねえや、って…」
ジゼルは絶句した。
まだ少し期待していたのだ、何らかの方法で遠くに流され、帰ってこられないだけではないかと。
それではやはり、船は既に海底に沈んだと考えるべきなのか。
あの船に乗っていた、あらゆる人たちは?ピアノの先生は?魔法工房の親方は?料理長は?…ミリーは?……家族たちは?
この広場に集う人々の家族を、大切な人たちを、あの船が海底に連れて行ってしまったというのか。
あの船にはふんだんに魔法石が使われ、乗客にはたくさんの素晴らしい魔法の使い手がいた。
それでも、ジゼルは知っているのだ。あの島ではそれらが何の役にも立たないことを。
―――『竜の巣』では魔法石が働かない。かの島は、精霊王アスタリスに忌み嫌われているから。
「…そう、ありがとう。では、それを新国王が仕組んだ可能性が高いのね。
皆さん、お願いだから、私がここにいることは内緒にして頂戴。」
市場の群衆は、見るからに肩を落としたジゼルに優しかった。
「もちろんだ、なんでも力になる」
「王城には新国王の家族がもう入ったって言ってたな。住む場所はあるか?食料は?」
ジゼルはあまりの人々の温かさに、嗚咽がこみ上げてくるのを止められなかった。
しゃくりあげ、ぼろぼろ涙を零しながら、
「ありがとう、私は大丈夫よ。でも、どうしたらいいのか、今は分からない…」
「それはそうだ、でも姫様、覚えていてくれ。この市場の人間は皆、姫様の身内だ。姫様一人かくまうくらい何でもねえ。頼ってくれ」
ジゼルの心を慰めたのは、自分には味方がいるという、その安心感だった。