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出航、しかし2

「すごいわね、街中の人が集まってるんじゃない?」

「当然です、出航の日なんですから。離れないでくださいね、ジジ」


ジゼルは侍従たちの協力を得て、船を降り港へ繰り出していた。

もちろん正装のままではない。完全な一般庶民の普段着、お忍び用の、ジゼル曰くの「一張羅」である。出発直前にカバンに詰め込んだ荷物であった。


王族が庶民になじむような服を手に入れるのは意外と難しい。庶民用の店に頼んでも、大抵は勝手にゴージャス仕様にされてしまうのである。その点、この「一張羅」は素材からサイズ感から、完全に一般用の既製品なのである。ジゼルのお気に入りであった。

「ジジ」という呼び方も、お忍び用に使うジゼルの愛称で、こちらもジゼルのお気に入りであった。


「まずは一番船首側のパン屋に向かうわよ、デッキから見えたけど、あれはトムさんの店の露店よ、間違いない!」

「ああ、トムさんの。よくわかりましたね…」

「その次は戻りながら珈琲を飲んで、雑貨も出ていたから見たいわ」

「はいはい、いきましょういきましょう」


侍女のサリー、侍従のウォルトを連れ、ジゼルは祭を自由に行き来する。

ちなみにミリーは何かあったときのため、船内にてお留守番だ。

「ジジ、来てたのか。ランチにホットドッグはどうだ?」

「それを買いに来たのよ、トムさん!ピクルスとオニオンダイス多めで!」

「スパイスソースは?」

「それも多め!」


お目当てのランチを受け取るなり頬張ってご満悦のジゼルを横目に、パン屋のトムはウォルトに囁いた。

「こんな日までジジのお守りかい。大変だね」

「こんな日だからこそ、が正しいですかね」

「違いねえや。出航には遅れないようにな」

「肝に銘じます」


残念ながらこの国の下町では、一部の人の中ではジジがジゼル姫ということは公然の秘密となっていた。なにしろ「お忍び」の回数が多すぎる。ほぼ常連となっているお店も多いのだ。常連客が正装でにこやかに王家に連なっていては、バレないはずがないのだ。

ちなみにジジはその事実を知らない。

すっかり忍べていると思っている、ややめでたい頭の持ち主であった。


「少し暑くなってきたわね、どこかで涼みましょう」

「パラソル席やテラス席はどこもいっぱいですよ」

「日陰であればどこでもいいわ、あそこの小道に入りましょ」


店と店の間、小さな石畳の小径に入ると、喧噪は少し遠くなる。

ちょうど腰を掛けられる石の階段を見つけ、先ほど購入した珈琲をすすった。


―この、何でもない時間がジジの大事なものである。

ここアスタリス王国では、この世界で唯一「魔法」が息づいている。

しかし人々はそれに頼らず、自らの力で火を興し、水を汲み、荷を運ぶ。

アスタリス王国での「魔法」は、魔法適正のあるものが魔法石を使用することで得られる。その昔、開国の祖は精霊王アスタリスより魔法石の鉱脈の在り処を示され、それを守るように城をつくり、城壁を作り、木を植え森を作った。

王族により魔法石は厳重に保護され、みだりにその力に甘えることのないよう、決して武器としてその力を使わぬよう、本当に必要な場所ではそっと魔法が助けになるよう、誇りを持って共生してきた。

そうして、人々の努力によりできた豊かな国が、この母国である。

肩の力を抜き、姿勢も崩し、風に乗ってくる人々の声を遠くに聞く。ジジにとっては、この騒がしさが最高のBGMであった。



と、不意にジジの表情がこわばる。



「…ちょっと待って、サリー、何か聞こえない?」

「何がですか?いろいろ聞こえてはいますけど」

「何か、うめくような…ウォルトは?」

「いいえ、気づきませんでしたが」


三者はしばらく、声を潜めて耳をすます。


『――――う、っ…』


「やっぱり聞こえた!」

「今のは私にも聞こえました」

「さほど遠くないように聞こえましたね、少し見て回りましょう」


石畳の小径は高い建物の間を走っていて、迷路のようだった。

三人は手分けして別の曲がり角を曲がってみる。ジジのほうには誰もいない。


「ジジ!こちらです!」

ウォルトの声がした。慌てて駆け寄ると、なんとそこには、おなかの大きな若い女性がうずくまっていた。時折歯を食いしばって唸っている。どう見ても産気づいていた。


「あなた、一人なの?旦那さんは?いつからここに?」

「…主人は、今産婆さんを探しに行ってるわ…産まれるのはもう少し先の日の予定だったから、隣の村から気晴らしも兼ねて二人で港に来たの…そしたら突然お腹が痛み出して。時間は、もう時間の感覚がなくて、分からない…」

「分かったわ、とりあえず私たちもついているから!」

「ジジ、私は飲み水をもらってきます」

「ええ、ウォルトは私と付いていて、いざとなったら彼女を移動させるわよ」

「承知」


その後すぐに、この港町の産婆を連れた彼女の夫が走ってきた。

産婆は彼女を見ると、

「これは移動させなければいけないね。港町の産院はここからすぐだ、運が良かったね。ただこの様子ではもう歩けないだろう。どうやって移動させたもんか。」

産婆はちらりとウォルトを見る。

「この混雑では馬車も出せませんね」

「そんなの、どこかの建物の戸板でも借りてきて乗せればいいでしょう!」

ジジは吠える。そして

「ちょっと待ってなさいよ!」

と飛び出して行ってしまった。



「…なかなかのじゃじゃ馬だが、頼もしいね。観光に来たのかい」

「ええ、そんなところです。」

この産婆はジジのことを知らないようだった。



それからしばらく、

「借りてきたわよ!」

の大声とともに、大きな荷車を引いたジジが帰ってきた。引手として若い、力のありそうな男たちと、ジジと面識のある女性たち数人も一緒だ。何人かはこの港町の住民で、家から荷車のクッションにと、清潔なタオルを提供してくれた。


「お手柄だね、さあ産院へ運ぶよ!」


そこから先は、もう全員が必死だった。

産院も今日は人不足で、乗りかかった船だとジジたちを始め荷車組が手伝いを買って出た。

一人は妊婦さん(名前はアニスというらしい)の手を握り、汗を拭いてやり、口に水分と糖分を含んだ果実水を含ませる。一人は手洗いと煮沸消毒で清潔なガーゼを作り続ける。一人は産婆の指示を時刻とともに記録する。産院は魔法の使用が許可されているため、魔法適正のあるもののうち代表でウォルトが魔法でたらいに水を出し、汲みに行く手間を省く。男たちは産まれてくる子の産湯を沸かし、産まれたあとの夫婦の滞在先を整え、隣村まで早馬を走らせ産気づいたことを知らせる。


ジジもサリーも言われるがままに必死に手を動かし、苦しむアニスを見守った。

命の誕生を前にしては、魔法も何もあったものではない。

ただただ、そこには人の底力があった。


そして、


…ギャァ、フギャア。


「―――産まれた!」

「おめでとうアニス、元気な子だよ!さあ、抱っこして顔を見てあげな!」

「ええ、ええ…なんてかわいい、ああ、女の子だわ・・」


涙ぐむアニス、そしておずおずと近づき、こちらも泣いているアニスの夫にジジは声を掛ける。

「本当によく頑張ったね、アニス、アニスのご主人」

「ジジさん、ありがとう。あなたがいてくれて、本当に心強かったわ」

「僕も心から感謝しているよ。本当にありがとう」

「いいえ、こんな幸せな瞬間に立ち会えて、これ以上ない誉だわ」


清潔なおくるみを持ってきた産婆が、優しく赤子を抱き上げ、赤子が冷えないように布に包んでいく。

「さあ、まだ後産があるよ。それから赤ちゃんの産湯だ。もう日も暮れた、寒くならないうちに入れてあげないとね」


「もう、日が、暮れた?」


――――ボー、ボ、ボー…



その時、汽笛がなった。

グレート・エリクセン号、出航の合図であった。


ジゼルを、陸に残したまま。


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