出航、しかし
「姫様、お急ぎください!」
「分かってるわ、このカバンも持っていくの!」
「昨日のうちにお仕度なさいませ!第一、今回の旅にはその荷物は必要ありませんでしょう!」
「そんなことないわよ、これで船内すみずみまで探検するんだから」
「ジゼル姫様!」
正装にすっかり身を包んだにも関わらず、エリクセン国王の長子、ジゼル・アスタリス・エリクセン王女は部屋中をせわしなく動き回っていた。
侍従によって既に馬車に積み込まれた荷物以外に、大きなくたびれたカバンに衣類を詰め込んでいく。
「ミリー、サリー。あとウォルトも。分かってるわね?」
「ええっ、私どもも準備し直しになるんですよ?姫様と違って使用人部屋は相部屋なんです!スペースがありません!」
「じゃあ私のカバンに入れていくわね。問題ないわ!」
「問題おおありです!」
ジゼルは構わず、彼女の侍女のミリー、サリーの双子姉妹、侍従のウォルトの分の衣服も詰め込んでいく。
「姫様、本当に遅れます!」
部屋の外から侍従服に身を包んだウォルトが声を殺して叫ぶ。
「――、分かったわよ!ここまでにする!」
詰め込んだカバンをミリーに押し付け、サリーによって乱れたドレスを直され、姿勢を正し部屋の出口へしずしずと歩く。
扉の脇で控えていたウォルトに、視線を合わせず、口を僅かに動かしてささやく。
『ウォルト、これ隠して持っていける?さすがに王族の荷物にしてはみすぼらしすぎて、何事かと思われるわ』
『善処します、としか』
『頼むわよ』
王族の紋章のついた豪華な馬車に乗り込み港に到着すると、そこは出航を見守ろうとする民衆でいっぱいだった。
父王と母の乗った馬車はジゼルの馬車の前に、弟ランバート・アスタリス・エリクセンが乗った馬車はジゼルの後ろを走っている。王族の馬車が連なるその模様はさながらパレードのようで、ジゼルも時折民衆に手を振りながら進む。
目の前いっぱいに船は大きく、まるで一つの街が海に浮いているようだ、とジゼルは思った。
ミリーは馬車の中で今後の予定を確認してくれる。
「打ち合わせ通り、王族は従業員よりも先に、ご家族揃ってご乗船頂きます。その後船長をはじめとした操縦士たち、その後王族の侍従たち。王による魔法石の起動が完了したのち、一般の乗務員、貴族とその侍従、一般招待乗客の順に乗り込みます。お荷物は同時進行で荷室へと運ばれます。すべての乗り込みが終わったあと、汽笛が鳴ったならいよいよ出航です。」
「待って、出航はいったい何時ごろになるのかしら?」
「日没後になるでしょう。出航の汽笛は船上パーティの開始に合わせて鳴らされますので」
「今は何時だったかしら?」
「朝の九時前でございます、ジゼル姫様」
「解せないわ…」
まあこれだけ大きな船だ、乗り込むだけで大仕事なのだろうとは理解できる。
タラップに家族が並び立ち、集まった民衆に手を振る。
父王アルヴィン・アスタリス・エリクセンが国土に向かって敬礼する。母ヘイリー・エリクセン、ジゼルは淑女の礼をし、弟ランバートも父に倣って敬礼する。
船に乗り込むと、まっすぐに操舵室へ向かう。室の中央には見上げるほどの大きさの、紫に透き通る魔法石が鎮座していた。王に続いて魔法石に向き合うと、王族の次に乗り込んだ操縦士も揃っていた。
「それでは、魔法石を起動する」
王は身に着けたチョーカーに触れる。
これは我が国の神器だ。遥か昔、建国の祖が精霊の王より授かったもので、持つ者の魔法の威力を大幅に増幅する効果がある。「テオ・チョーカー」と呼ばれるそれは王位継承の証でもあり、ジゼルの憧れでもあった。
『前に一回貸してってお父様に頼んだら、すっごく怒られたわね』
「精霊王アスタリスよ、アルヴィン・アスタリス・エリクセンが祈りを捧げる」
王が祈りを捧げると、魔法石が碧く輝きだす。そこから蜘蛛の巣のように魔法の糸が船内をめぐり、船中の灯りが灯った。
民衆から歓声が挙がったのが聞こえる。
ジゼルも魔法石に祈りを捧げると、王族としてのこの航海最初の仕事は終わりである。
王族はそれぞれ自室へ案内され、あとは出航パーティーまで各自自由時間となる。
「ランバートはどうするの?すごく時間があるけど」
「僕は操舵室に残ります。邪魔をしなければ見学していいと、船長にお許しを頂きましたので」
金色の巻き毛を弾ませて、二歳年下の弟ははしゃいでいる。
「姉様はどうなさいます?」
「私?私は、ね」
「…まあ、ほどほどになさいませ」
「理解ある弟で嬉しいわ」
「姉様の侍女たちに同情致します」
まあ、失礼しちゃう。
自室に案内されたジゼルは、ミリーとサリーが既に荷ほどきを終えているのを見て喜ぶ。
「素敵、すぐに遊びに行きましょう!」
「お待ちくださいませ姫様、船内散策は結構ですが、今は一般の従業員が乗船中です。あまりはしゃぐと目に付きますよ」
「それはまずいわね、一応それらしくしておかないと」
「今しばらくは散策程度になさいませ」
「そうね、デッキテラスにでも行こうかしら」
デッキテラスから港を覗くと、そこはちょっとしたお祭りになっていた。たくさんの露店が並び、椅子やパラソルを持ち出してお茶をしている人々も多い。朝食にどうだ、と籠に入ったパンを売る少年の声が弾んでいる。国民にとっても今日は見どころが目白押しで、一日をここ港町で過ごすつもりで来ている人も多いのだろう。
「御覧なさいな、ミリーにサリー。早く行きたくてうずうずしちゃう」
「そうでございますね、なかなかこれだけのお祭りには出会えませんもの」
「王族って窮屈よね、こんなに楽しいお祭りに参加できないなんて」
「普通の王族は、のお間違いでしょう」
「その通り」
その後、一通り船内の公共施設を散策し、慌ただしく働く従業員を横目で見て内心でエールを送った。自室に帰るとランチ近くの時間になっており、侍従のウォルトはシェフからのメニュー表を預かってきていた。
「姫様、ランチはどうなさいますか、とシェフが」
「結構よ」
「そう言うだろう、とシェフも仰っていましたよ」
「さすがね。さあて、お三方、出発の準備よ!」
「承知いたしました、ジゼル姫様」
ここから先がジゼルのお楽しみである。
ジゼル・アスタリス・エリクセン(16)
ランバート・アスタリス・エリクセン(14)
ミリー、サリー(18)
ウォルト(20)
お母さんに「アスタリス」のミドルネームがないのは、お外から嫁いできた方だからです。
ジゼルは直系の子孫なので、ミドルネームありです。