祖国の異変
「危険…でしょうね、どう考えても」
ジジは目を伏せる。なんせ自分は亡命者。現エリクセン王国にとっては歴史上からも封殺したい人物のはずだ。
「でも、エリクセンに入れば魔法が使える訳だし、昔のこととはいえ隠匿魔法は割と使い慣れているわ。
アスカごと鉱脈に潜入するくらい問題ないと思うわよ」
「それについては、僕も思うところがあります。
ご夫妻、申し訳ありませんが残りの話は場所を変えてさせてください。
両親に時間を貰っています」
「殿下のご両親…まさか国王陛下…」
「ヒィッ…」
サリーは労わるようにアニスの肩を叩く。
「ご武運を」
「サリー、励ましてるようで突き放してるわよ」
「この場合仕方がありません」
ジジは敬虔なアスタリスの民である。
産まれながらにしてアスタリスの膝元で、精霊の力を、魔法を感じてきた。
その母なるアスタリスがピンチだというのなら、少々外見を変えてでも、望まれる役割をやり遂げるつもりでいた。
しかしエリクセンの民に戻るつもりはもはやなく、アスタリスの力が戻り次第、リベラに帰るつもりだ。ジジはもはや「ジゼル姫」ではなく、「王宮配達人ジジ」だという自覚があった。
―――――――――
3年ぶりのリベラ国王との謁見は、謁見の間ではなく王の私邸で行われた。
ジゼルをあまり多くの人の目がある場所に置きたくない、という王家の配慮である。
「久しいな、ジゼル姫よ」
「ご無沙汰しております、国王陛下、王妃様」
「あなたが配達に飛び立つところ、よく窓から見てるわ。セシルを乗りこなしてくれてありがとう」
「王妃様もお変わりなく」
ジゼルにとってリベラ国王夫妻は、「優しい親戚のおじちゃんおばちゃん」枠である。
ふたりの子はいずれも皇子であるため、実の娘のように可愛がってくれた。
「さて、とんでもないことになったな、ジゼル姫よ。
国を出たそなたを無理にエリクセンに関わらせることはしたくなかったが…。
精霊王アスタリスに関することについては、そなたより詳しいものはもはやおるまい」
「まあ、私と魔法石工房の職人たちくらいでしょうね」
「うむ…」
ジンが前に進み出、これまでの情報をまとめて報告する。
前夜までの情報に加え、先ほどアスカから聞き出した事柄を至極分かり易く伝えていた。
ううむ、有能。
「ジンよ、ご苦労。
つまりアスタリスは何らかの原因で弱体化し、自らの力を取り戻すためにアスカという少女を使いジゼル姫を探し当てた、と。
そして、ジゼルに魔法石の鉱脈と『竜の巣』に行くよう指示したのだな」
「その通りです」
「まだ分からないこともあるわね。この蝶の絵と青い丸は何かしら」
「失くしものをする人が増える、連行される人々、これらの意味も今は分かりません」
「ふむ」
「あの、発言をお許しいただけますでしょうか」
ウォルトが膝を折り、発言の許可を求める。
「よい」
「失礼を承知で申し上げますが、姫様がエリクセンに行くことなく、その問題を解決することもできるのではないでしょうか」
「とは」
「両陛下のお力をお借りし、外交手段を持ってエリクセン現王家と交渉するのです」
「アスタリスがジゼル姫を探して我が国に来たことについてはどう説明する?」
「歴史上長い交流のあるリベラ王家をアスタリスが頼った、という話にはできないでしょうか。幸い、現王家であるリー家は数代前は異国からの移民であった身です。アスタリスとは付き合いの長さが違うでしょう」
「うむ、なるほどな。だが、儂の話を聞いてから判断しても遅くはあるまい」
リベラ国王、ラシャド・リベラはその大きな足を組み替え、ソファに深く身を預けた。
彼は両脚に竜化が顕れており、膝下は一回り太くなっている。脚を包む脚衣も、その下の爪が出せるような作りとなっている。
王の背後に控えていた侍従がいくつかの書類をジジに差し出す。
「これは…」
「エリクセンに遣っている者からの報告だ」
そこには、最近のエリクセンで起こった異変が列挙されていた。
時計台が止まった。
噴水の水が半日濁った。
広場の街灯の光が最近暗い。
一件脈絡のない事象に見えるが、
「魔法石の機能不全…?」
それらはすべて、魔法石を使ったライフラインに直結するものばかりの異変だった。
エリクセンでは「魔法に頼るべからず」の訓示のもと、そういった国民の生活の根底を支える領域でしか魔法石は使用されていない。
「うむ。こういった小さな異変はこの3年絶えたことがない。
アスタリス弱体化の可能性があるのならば、これらにも説明がつく。
そして、昨夜入った速報がこれだ」
侍従はさらに一枚の書類を取り出し、ジジに渡す。
「なんですって!?」
「『魔法石鉄道が暴走、制御不能に』…ひどいな、相応の被害者が出てる」
速報は新聞記事が添えられていた。
『助かった乗客の証言では、機関車は急にうなりをあげて加速し、車内を走る車掌により制御不能状態であることが乗客に周知された』
『機関車はカーブを曲がり切れず脱輪し、横転して停車。事故の原因は魔法起動を適切に行えなかった人的ミスと考えられる』
「なんて大規模な事故なの…」
「それだけではない。昨夜は街の一部で大規模な火災が起きている。発火元は街の医院だそうだ」
「医院は魔法石の仕様が許可されているわ」
「アスタリスの弱体化で機能不全が起きていたことに加え、アスタリス本体の出国により完全に制御不能となった魔法石があるのかもしれん」
「この状態で隠匿魔法がうまくいく確証はありませんね」
ジンが腕組をして天を仰ぐ。
「も…申し上げます」
アニスの夫が、ウォルトに倣い膝をつき頭を下げ、発言を申し出ていた。
「よい」
「ありがとう存じます。
先ほど私たち夫婦は、ジゼル姫がエリクセンに入られるのは危険だと、進言致しました。
その理由をお聞きいただけないでしょうか」
国王夫妻は顔を見合わせ、軽く頷きあう。
「…よい」
「ありがとう存じます。
実は、エリクセンには『ジゼル姫様生存説』が根強く残っているのです」
ジジは息を呑んだ。
「仰る通り、あの悲惨な事故からしばらくすると、魔法石の不具合と思われる事象がちらほら報告され始めました。それらは我々国民の生活に直結するものであり、人々の中に不満が生まれるのも無理からぬことでした。
さらに今の王家が立った後すぐ、政策として税の引き下げが謳われました。実際に税は下がりましたが、それと引き換えに、これまで公共福祉として行われていた事柄が、どんどん撤廃されていったのです」
「公共福祉の撤廃?例えばどんな?」
「国営孤児院の廃止や、医院での治療費の国からの補助撤廃、学費補助の撤廃、などです」
「本当なの?!」
「ジゼル姫よ、それらの申すことは本当だ。
だがその者らの言いたいことはその先にあるのだろう」
「その通りでございます。
国中から現王家に批判が集まりました。
その中で、ひとりの若者が新聞に寄稿したのです。
『ジゼル姫は国のどこかで身を隠し生きている。彼女こそが王位を継ぐべき者だ』と。
その新聞には匿名でジゼル姫の目撃情報が何件も寄せられ、話を信じたものたちがその旗元に集まろうと、姫を探し始めました」
ジゼルはもはや声すら出ない。
「クーデターの旗印に使われたわけか」
「ジン殿下、実際にはクーデターは起こりませんでした。
ジゼル姫が見つからなかったうえ、発端となった若者が捕らえられ、
…公開処刑となったからです」
「…なんてこと!」
サリーが悲鳴じみた声を上げる。
「さらに、それに乗じたように、
フロリア王女ならびにアデル・モルガン嬢が告発文を出しました。
『ジゼル姫はとんでもない悪辣な人物であり、貴族学院時代、徹底的に虐げられた』と。
彼女らに与する令嬢らも同様の告発文を出し、
ジゼル姫の実際の姿絵を大きく改悪したものが一時新聞の一面を飾りました。
あまりに改悪されていて、その絵姿を見た我々も、恩人のジジさんとは結び付かなかったほどです」
「ひどい…」
ジジの白くなるほど握りしめたこぶしに、ジンがそっと手を添える。
「性悪、陰険、傲慢、庶民好きの悪食…稀代の悪女にふさわしい、悲惨な最期を遂げた王女。
確かにエリクセンでは、ジゼル姫はそのように印象操作をされておるな」
「そんな、出鱈目です!我が姫は貴族学院こそ通っていましたが、必要単位以上には決して熱心には登校したがらず、王女ながら至極地味一辺倒の評判であったというのに!!」
「サリーそれ、褒めてないわね…」
「それらの告発文が概ね貴族学院での内容であったため、庶民の中には『俺らには優しかったのにな』という見方としたものもいたようです。
それをきっかけにジゼル姫様の元でのクーデターの動きは急速に冷えていきました。
しかし根気強く、姫様を探し続けている者もいると聞きます。ただしその中には、ジゼル姫を捕えようとする王家の手先も紛れ込んでいるとか。
とある商家の放蕩息子が娼婦を屋敷に囲っていたところ、その娼婦の特徴がジゼル姫と一致するとかで、連行するために衛兵が踏み込んだ、という話もあります」
「そのような状態で、エリクセンにジゼル姫を遣るわけには参りません!」
サリーは叫ぶ。
「うむ。そこのエリクセンよりの客人よ、
言いにくいことをよく申してくれた。
ジゼル姫、残念ながらそれらの話は儂らが把握している事柄と一致しておる。我らはもはや現エリクセン王家と信頼関係を結ぶことは難しく、積極的な交流も求めておらん。
だが、エリクセン国内にも我らと同様の意見の者たちがいる。
その証として、儂がエリクセン王家のごく近くに遣った者から重要な仮説がもたらされておる。
…おそらくではあるが、エリクセン現王家は魔法石の鉱脈の在り処に辿り着いていない」
「父上、それはどういうことでしょうか」
「ジゼル姫よ、魔法石を採取の段階から扱えるのはどのような立場の者だ?」
「王族と…魔法石工房村の、職人たちです」
「さよう。
彼らは隠匿魔法のかけられた魔法石の鉱脈を、何らかの方法で現王家から隠し続けている、と考えられる」