リベラの空2
これからは一日1.2話更新ができればいいなと思っています。
王都からふたつ離れた街まで荷を運ぶその最中、セシルの背でジジは懐かしく思い出していた。
幼少の頃から、たびたびセシルには乗っていたのだ。
その際には必ず第一皇子シドが同乗し、手綱を握り、ジジが落ちないように優しく抱えていてくれた。
セシルと同じ黄金の光彩をした彼は、嬉しそうに言った。
『ジゼルを乗せているとね、セシルの機嫌がいいんだよ』
『そうなの?私、セスに乗るのも好きだけど、セシルに乗るのも大好きよ。この翼の躍動が、生きものに乗ってるって感じがする』
『楽しんでいるのが伝わるのかもしれないね。さあ、もう少し向こうまで飛んでみよう』
そう言って、ひとつ上のお兄さん皇子は優しく空を駆けてくれた。
空の上の、ふたりと一頭の穏やかな時間が、ジジはとても好きだった。
この3年、ジゼルの住まいと就職が決まったのち、王家の人々とは接触していない。不用意に出自を勘繰られる可能性があるからだ。
エリクセン王国はリー新王の政策により人的交流を盛んに行い、かの国からリベラへ留学、移住したものも少なくない。王宮に政務の勉強に来ている文官もいるため、ジジはなるべく王宮事務所には留まらず、いち早く空へ飛び立つのだ。
依頼の荷を所定の場所へ届け、ついでの王都への集荷も受け取って、ジジは夕刻に事務所へ戻ってきた。今日の昼食は依頼先だったケシャの街で辛いレッドスープを飲み、おなかも温かだ。
サリーとウォルトへのお土産にベーコンの塊も買い、ほくほく顔での帰還だった。
「おかえりジジ、いい顔ね」
「ただいま、ウーナ!そうなのよ、ケシャの街のベーコン買ってきちゃった」
「いいわね!あそこの街のは一等美味しいから」
ウーナは配達人養成所の同期の女の子である。
毎年養成所は5.6人ずつしか入所できない狭き門なのだが、彼女は持ち前のガッツと根性で試験をパスしその門をくぐった。
ジジの知る限り、最もパワフルな女の子である。
「ウーナは今日どこまで?」
「エリクセン王国の国境支店までよ!遠乗りできて嬉しかったわ」
エリクセン王国、という単語に少しお腹が跳ねる。
「私はリベラ側の支店に荷を届けただけなのだけれど、国境のエリクセン側では何かの催しが行われていたみたいね。私、上空からだけど、エリクセンの王子様見ちゃった」
こうやって、と配達人必携の望遠鏡を構えるウーナに、さらにお腹が跳ねる。
「へえ、王子様…」
「ええ、確かにお顔は悪くなかったけど、なんだか穏やかじゃないお方だったわねえ。何かと後ろに控えている女に目配せして、その女が我が物顔で王子様の代わりにアレコレ命令してたわ」
「上空から何を言っているか分かるの?」
「望遠鏡でしっかりお顔を捉えられれば、読唇術でわかるでしょ?」
「読唇術は普通の配達人はできないわよ…」
「あら、便利よコレ。ジジもやれば?」
と軽口を叩いていると、先輩配達人のミゲルがやってきた。
「ああ、それ、国境の監視灯が撤去されたことを記念した式典だそうだよ」
「なんですって?」
ジジは思わず声が出る。
「なんでも、『この監視灯の光が、周辺国と我々の深い分断の象徴であった。わがエリクセン王国は他国に敵意なし。』だそうだよ」
今度はジジは何も言えなくなった。
監視灯、とは、国境に巡らされた「魔法石を見つけるための魔法石」を使った街灯である。
魔法石の国外流出を防ぐ目的があった。
ジジらの時代、街灯は「街灯」であり、「監視灯」などとは呼ばれていなかった。
言葉ひとつではあるが、ずいぶん悪い印象のある言葉で呼ぶじゃないか。
しかもそれを撤去し、あまつさえかのグレート・エリクセン号と同じスローガンを使うとは…。
グレート・エリクセン号で失敗した国外政策を、監視灯撤去で取り戻そうとしているようだ。
正直言って気分は悪いが、旧王家の隠れた生き残りとしては抗議するような立場ではない。
「へえ、あんまりリベラには関係ない式典だね、それは。私はいいや、王子様が見られたから満足よ」
「ウーナは本当に好きだなあ」
「高貴なジェントルマンを眺めるのが私の趣味だもの」
そう、ウーナは美しい紳士を眺めるのが趣味と言い張り、それらの集まる王宮での職を求めて配達人となったのだ。ついでに飛竜に乗れば上空の特等席からあらゆる紳士を眺め放題である。
ちなみに彼女の一番の推しは、「それはもちろん国王様よ~!ダンディー!」だそうだ。
気持ちの良い仕事の最後に、心の中に重い石を投げ込まれた気がしたが、ジジは今日も無事に帰宅した。
「おかえりなさい、ジジ」
「ただいまサリー、ウォルトはまだ?」
「もう戻っていますよ、今はパンを買いに」
「そう。これ、今日のお土産。ケシャの街のベーコン」
「素敵です!早速切って炉で炙りましょう」
ふたりの侍従も王宮で職を得ている。
サリーは王宮託児所の教師、ウォルトはなんとジンの政務秘書である。これはジンが、ジジとの直接の関わりは持てずとも、何らかの連絡手段を持ちたいと望んだためこうなった。公務についていくことはしないが、ジンの執務室で、書類の下処理や会議録作成などを担っているらしい。
チリチリン、
玄関の呼び鈴が鳴り、ウォルトが大きな丸パンを抱えて帰ってくる。
「ただいま。ああジジ、帰っていたんですね」
「ただいま、ウォルト。ケシャのベーコン、今サリーが炙っているから食べよう」
「ならこのパンも切り分けて、チーズも一緒に炙りましょう」
「いいわね!」
彼らは三人、今も一緒に暮らしている。
今のジジはもはや姫ではないが、彼らは変わらず傍に寄り添い、ジジを支えてくれる。
いつまでもこのままという訳ではないのだろう。だが、共に国を捨てて歩いてきた彼らは、もはや家族そのものであった。ましてや、本当の家族をみな失ったジジにとっては。
豪勢な夕食の中、
チリチリン、
また呼び鈴がなった。
「誰かお客さんかしら?私出てくる」
「待ってくださいジジ、どうか用心し――――!」
ウォルトが言い切る前に、うかつなジジはドアを開けてしまった。
その先には、
「やーーーーーっと見つけた!」
と大声を出してジジを指さす女児と、
「夜分に申し訳ありません…!」と慌てる両親らしき夫婦の姿があった。
あまりの心当たりのなさに呆ける三人だったが、やがてジジが思い出した。
「もしかして、あなたアニス!?」
アニス。
それは、グレート・エリクセン号出航のその日、港町で産気づいたあのご婦人だった。
アニスさん再登場。