リベラの空
「行ってきます、今日もお仕事日和ね!」
晴れわたる空を見上げ、ジジはドアを開けた玄関先で大きく息を吸い込んだ。
栗色の髪は肩上で切りそろえ、動きやすい、柔らかい綿で作られた上着と裾絞りのゆったりした脚衣を身に着けたジジは、一見すると少年のようである。
エリクセン王国からの亡命から3年、ジジは19歳となった。
服装は少年のようだが体つきは女性らしく丸みを帯び、健康的に日に焼けた肌と緑色の瞳は変わらず輝いていた。
王都にある小さな家から勤務先へ向かう足通りは軽く、風が髪を踊らせすらりとした首筋を日にさらす。
「ジジ、おはよう!これうちの木で今日採れたんだ、持っていきなよ!」
「ありがとうダン!お昼にいただくわ!」
ダン、と言われた青年はジジにライチをひとつ投げてよこす。
それを受け取り、足を止めることなく去っていくジジの後ろ姿を見つめ、ダンはひとつ溜息を零した。
背後から中年の女性がダンに声をかける。
「あんた、ジジは競争率高いんだから、アピールするならもっと派手にやりなよ」
「分かってるけどさ母さん、ジジはあんなに綺麗なうえにエリートなんだぜ。しがない果物屋の息子の嫁に来てもらうにはハードルが高いよ…」
「身の程を知ってるのはあんたの長所だよ、ダン」
「そりゃそうさ、配達人やってるような凄い人に気軽に求婚するほど愚かじゃないよ、俺は」
女性はダンの背中を2.3度軽くたたき、家の中へ入っていった。
「おはよう、ゴーシュ」
「おはよう、ジジ。今日の空は少し風が強そうだな」
「そうね、日よけが飛んでいかないように気をつけなきゃ」
ジジの職場は広大なリベラ王宮の敷地の端にある、いくつかある城門のうちの一つに面した建物である。使用人専用の紋で王宮の門をくぐり、従業員入口から事務所へ顔を出し出勤のあいさつをする。受付のゴーシュは軽く手を挙げて応えてくれる。
そのままバックヤードの更衣室へ向かい、私服から騎乗服に着替え髪をまとめ、日よけ帽を被る。軽いが風を通さず、リベラの強い日差しを吸収しない真っ白の騎乗服はそのまま「王宮配達人」の証であり、国民の憧れである。
「おはよう、相棒!」
それからジジが向かうのは事務所裏手の牧草地だ。手にブラシと鞍をもち、大きな声で呼びかけると、ジジの真上に影が落ち、大きな生き物がどすんと音を立てて目の前に着地した。
「わあ、驚いた!いたずらっこね、セシルは」
セシルは真っ白な若い飛竜である。
厚い舌をべろりんと出し、ジジの頬をひと舐めし、ブラッシングをねだる。
ここ「リベラ国飛竜輸送局」は、国家施策として導入された個人向けの郵便局である。
飛竜に乗った配達人に依頼し、目的地まで物資や手紙を輸送する。
稀ではあるが人を輸送することもある。
割高ではあるが、国民が広く利用できるように城門に面した場所に事務所が作られた。
国の各地に支店があり、そこからの集荷も可能である。
リベラは竜の国であるが、竜を扱える人間は一握りだ。
古代の竜は山のように巨大であったとの言い伝えがあるが、現在はずいぶん小型化し、人がひとりふたり騎乗するのがやっとの可愛らしいサイズとなっている。
普段岩山に住まう竜は捕獲・飼育が禁じられ、例外として母竜が育てなかった卵のみ人間が保護し、王宮で孵化・飼育を行っている。
それをトレーニングして飛竜としたものを扱えるのは、竜の国リベラにおいてもたった3種類の人間だけである。
ひとつは王族。ひとつは飛竜騎士団。そして最後のひとつが、「王宮配達人」である。
亡命当初、リベラ国第二皇子ジンは頑なに主張した。
「姉姫様は王宮に住まうべきです」と。
そして今はジジと名乗る、かつてのエリクセン王国王家の長子ジゼル姫は強固に拒絶した。
「ぜったいにいや」と。
王家の目の届かないところに行ってほしくないジンと、どうしても王宮住まいが嫌なジジ。
お互いの主張はまったく交わることなく周囲を困らせ、最終的に間に入ったジジの(元)侍従ウォルトが、
「じゃあ王宮内でお仕事を頂く訳にはいきませんかね?そうすれば職種によっては王宮外に住めるし、仕事がある日は毎日王宮に来て安否確認できるし」と発言し、なるほどそれは名案だと相成った訳である。
その際、ジンは言った。
「そういうことであれば、姉姫様にひとつお願いできないかと思うのですが…」
その「お願い」が、セシルを相棒に、配達人となることであった。
「実は、貴国への弔問と入れ替わりで、シド兄様が極秘の公務に向かわれました。
任期は恐らく長期に渡ると考えています。
セシルは兄様の竜なのですが、乗り手が不在となってしまったのです。
その間は調教師たちに世話を頼むつもりでしたが、セシルはまだ若く、空を飛びたがっている。
もし姉姫様さえよろしければ、飛竜騎乗の訓練を受けて頂き、セシルに乗ってやって頂けないでしょうか。姉姫様は何度も兄様とセシルに乗っていますし、馴染むのも早いのではないかと」
「なんてこと、まさかシドったら、もしかしてち―――!」
「ストップストップストップ!!!!!」
普段冷静なジンが慌てて止めに入る。ジジもああこれは言っちゃマズいことだったわねと悟り、声のトーンを落としてこそっとジンに耳打ちする。
「ねえ、まさかシド、また地下籠りなの?」
「…まあ、そんなところです。詮索無用ですが、しばらくシド兄様にはお会い頂けないかと」
実は、リベラ王宮地下には王家の人間のみが入ることを許された広大な地下洞窟が存在する。
蒼く発光する不思議な鉱石が鈍く照らすその地下洞窟は「ケイブ・エダ」と呼ばれ、始祖の竜の棲家であったと言われている。
その広さと入れる人間の少なさから、その全貌は詳らかにされておらず、第一皇子シドは昔からその解明に夢中になっていた。
シドがいない!となったら、大抵は地下洞窟で時間を忘れてるだろうから連れ戻せ、とジンを迎えにやらせるのが王家の日常風景なのだ。
「まったく困ったものね、シドも。いいわ、セシルのお世話は頑張って勉強する」
「なんの立場もなく飛竜に乗るわけには行きませんので、配達人の仕事を請け負って頂けますか。
さすがに騎士団へというのは無理がありますので」
「もちろんよ!また空を飛んで、しかもお仕事にできるなんて!最高よ!」
こうして王家の最強のコネで配達人養成所へ入所し、半年間の飛行訓練ののち、ジジはセシルを相棒とした配達人として、社会人デビューを果たしたのだった。
受付のゴーシュから請け負った荷をセシルの鞍に落ちないよう括り付け、自らも跨り軽く両踵でタップして合図する。
「アップ!」
良く晴れたリベラの空へ、王宮配達人ジジは飛び去って行った。