そして、人生は次の舞台へ【出国編完】
ダイニングに腕を組んでどっかりと座るジンと向い合せに座り、ジジはすっかり恐縮していた。
サリーもお茶を出してくれたまま、自分は関係ないとばかりに後ろで気配を消している。
ウォルトに至っては降りてきてすらいない。まさかまだ屋根にいるんじゃないだろうな。
「説明していただけますか」
「はい、すみません」
「最初に言っておきますが、僕は今非常に混乱しております。簡潔かつ正確に、正直にお話願います」
「はいすみません」
「…あまり考えたくはありませんが。我々は謀られたわけですか」
「…はい?」
「兄上を国に残してきて正解でしたね。父上も既に帰国されている。
まさか友好国であったエリクセン国が、このような馬鹿げた智謀を是とするとは。まったく嘆かわしい」
「あの待って、誤解が」
「陛下はどこです。ああ、あのおかしなリーとかいう男のことではありませんよ。あなたの父王様です」
「あのね、ジン落ち着いて聞いて」
「ランバートはどこです?王妃様は?」
「いやだから話すから落ち着いて」
「これが落ち着いていられましょうか!!」
ジンが大声で制する。
その目は明らかに怒っていた。ジンは年下だが非常に賢い。口も達者だし、いつもジジの破天荒な行動をあきれた様子で見守っているしっかり者だ。
その彼が怒っている。ジジは息を呑んだ。
「…失礼、取り乱しました。とにかく、ご説明を」
「…ありがとう、ジン(何がありがとうかは分からないけど…)」
「まず、姉姫様は生きておいでだ」
「それは、はい、うん」
「では、あのとんでもない悲報は嘘であったということでしょうか?」
「それは…残念ながら、本当よ」
今度はジンが息を呑む番だった。
「では…父王様も、王妃様も、ランバートも…多くの国民も…本当に海に沈んだと」
「おそらく…そうであろうと思うわ」
「我々をこの国におびきよせる、もしくは我々から援助を引き出すための嘘ではないと仰る」
「違うわ。残念ながら…本当に事故はあったわ」
「先ほどは憤りましたが…嘘であったほうが、どれだけマシだったことか…」
「…しかし姉姫様。私は確かにこの耳で聞きました。あのリーとかいう新王を名乗る男から、姉姫様の最期のお話をそれはもう詳細に」
「それが、嘘よ」
「…少々混乱して参りました。お話をお任せしてもよろしいですか」
「もちろんよ(最初からそうしてくれればスムーズなのに)」
ジジは語って聞かせた。
事故は本当にあったこと、いまだ船の破片すら見つかっておらず、本当に『竜の巣』に引き込まれてしまったと考えられること。
そしてそれが、現王リーによる企てであり、国家の上層を一掃するクーデターであること。
そして、前王家より国を任されたと謀り、現王リーは素知らぬ顔で玉座に座っていること。
ジゼルの生存は偶然のもので、現王家はそれを知らないこと。
そのため今後見つかれば命が危ういため、ジンたちの訪問に合わせてリベラに亡命しようとしていたこと。
「…納得いたしました。どうりであの新王、おかしなことばかり言うと思いました」
「おかしなこと?」
「ええ、前王家の墓前に祈りにきたと言っているのに、何だかんだと言ってやけに豪奢に魔改造された部屋に連れ込まれましてね。やれ今後ともよろしくだ、やれ今後特産物を安く輸出しますよだ、やれ娘も良い年ごろでしてね、だ」
ジンは顔をしかめて冷えたマグカップを見つめる。
「ちっとも部屋から出してくれんのです。
入れ替わり立ち替わり、変な奴ばっかり挨拶に来て。母上もそれはそれは苛ついておりましたよ」
「それはそれは…」
「あんまり弔いの空気がないものですから、母上が仰ったわけです。『ところで、わたくしの友はどこです』と。母上は王家の皆さまの墓はどこだと仰ったわけですが、何が出てきたと思います?犬ですよ、犬!!『王宮犬のシロも、王妃様との再会を待ち望んでおりましたよ』なんて言って!!馬鹿にするのも大概にしろと言ってやりたかった」
「(それはひどい)」
サリーが額に手を当て天を仰いでいる。わかる。ジジもまさしくそうしたい気分だった。
「それに加えて、自分だけでも弔いをと厳粛な気持ちでこの家にやってきたというのに、姉姫様は馬鹿げた格好で生きておられるし…」
「すみません」
「てっきりエリクセンは実は困窮していて、同情を引いて我々から援助を得るため壮大な嘘をついているのかと」
「それはそれで飛躍しすぎじゃないかしら」
「もしくは王家を弔問の名で呼び寄せて一網打尽にし、我が領地を奪うつもりかと」
「なにそれ物騒」
「まあ良いです、ご事情は分かりました。姉姫様だけでも生きておられたのは僥倖だ。もちろん我が国に身を隠されるなら協力は惜しみません。しかし、あの『魔の海流』からどうやって逃げおおせたのです?セスがあれば可能かもしれませんが、持ち込めやしないでしょう」
「それがね」
「はい?」
「船…乗り遅れたの。港街に出てて、いろいろあって…出航までに戻り損ねて…」
それからジンはしばし説教モードに入った。
まだそんなこと(街歩き)をしていたのかだの、まったく自覚に欠けるだの。
そうだ、こいつはこういうやつだ。年下の癖に妙に口が立って、いっつもジジはお説教される。それを優しい優しい兄のシドが「まあまあ」と止めてくれるまでが一連の流れだ。
しかし今日はシドはいない。
くそう。シドのせいだ。シドがいないと自分でお説教を止めるしかないじゃないか。
「―――と、ところで!」
「何ですか僕はまだ言いたいことが尽きておりませんが」
「よくこの家の入り方を覚えていたわね!」
「…それですか。忘れませんよ。姉姫様が歌にして教えてくれたでしょう。鷲の石像のふたまた道を見つけたら、道を外れて石像の背に回り込め。そしたら目を閉じて、」
「『目を閉じたまま大股30歩』ね!大正解よ!」
「目を閉じたまま密な森を進むのは怖かったですよ」
「ごめんね、目を開けていると着かないのよ。進行方向を逸らされちゃうの」
「まあ、こうして姉姫様を匿ってくれていたわけです。ありがたく思いますよ」
「そうね。…ねぇ、シドは元気?」
「ええ、相変わらず同じことばっかり言ってますよ」
「『僕をサブにしてくれ』?」
「ええ、それです。まったく、僕はずっと、次代の王は兄様しかいないと言っているのに。どういうわけか僕に王位を譲って、自分はサブになると言ってきかんのです」
「昔っからじゃない。そうしてあげれば?」
「いいえ、僕は絶対に兄様を王にします」
「ブラコン」
「承知です」
ジンはそう言って、ようやく出された茶に口をつけた。彼の中でも少し落ち着きが戻ってきたのだろう。
「…僕専用のマグカップ、まだあったのですね」
「それはそうよ。この家の大事な、数少ないお客様だもの」
ジン専用カップ、それは通常のマグカップより一回り大きく、持ち手の輪を大振りに作ってある
彼らリベラの王族は身体の一部に祖先である竜の特徴を引き継いでいる。
現王は両脚の膝から下、第一皇子シドは光彩、第二皇子ジンは左腕、肘から末梢に。
ジンの左腕や指は右手よりやや太く、肌には鱗が浮かんでおり、爪も人間のものより鋭く生えている。
普通のマグカップでは指を通しづらいため、ジジが魔法石工房村の職人に頼んで作らせたのだった。
「ところで姉姫様」
「どうしたの?お説教はもうお腹いっぱいよ」
「僕は言い足りませんがね」
「あーあー聞こえなーい」
「…まぁ、いいですが。あの、姉姫様は…」
そこまで言ってジンは言い淀む。口達者な彼が言葉に詰まるなんで、滅多なことがあるものだ。
「…これからどうするつもりかって?」
「…ええ。先ほど亡命されるおつもりだとお聞きしましたが、その後の生活の目途はあるのでしょうか」
「ないわ」
「え」
「ないの。何にも。…なんにせよ、隠匿魔法を使って亡命するつもりだったから、いわば不法入国よね。身分を証明できるものも確保できないわけだし。大丈夫よ、街中探せば訳アリの3人組を雇ってくれる店くらいあるでしょう」
「そんな、また危険なことを、その御身がどれだけ大事か自覚してくださいとあれほど…!」
「いいえ、もう、私に価値はないのよ」
「―――!そんなことはありません!あなた様は精霊王アスタリスの名を継ぐ最後のおひとり!」
「そう、名ね。言ってしまえば、名だけなのよ。
あなた方リベラが祖先の竜の血を継いでいるのとは違って、我がエリクセン王国の祖は精霊王アスタリスの友人であったというだけ。
アスタリスとの友情を以て、我が祖先は魔法石の鉱脈を得た。それを守るために木を植え森をつくり、城を建て、城壁で覆い、民を率いた。アスタリスより得た魔法の力が悪用されぬよう人々を戒め、慎みを忘れず、感謝を以て精霊の宿る自然を愛した。
そういった王族の在り方を、「アスタリス」の名に込めて継いできたというだけなのよ」
「…それではやはりその名は大事にすべきです」
「でもね、その名を持ったお父様の作った船が、大事な民の、多くの命を奪った。
魔法石の利用法を、間違ってしまったのかもしれないわね。
幸い新王の政策は民からは好評みたいだし、彼らがアスタリスと人々との友情を継いでいってくれればいいだけなのよ」
そういうジゼルの顔は、すっかり吹っ切れているように、ジンの目には映った。
ジンは心のどこかで、ジゼルが今後あの不届きものたちに鉄槌を下し、王位を取り戻すつもりだろうと思っていたのだ。
しかし今のジゼルを前に、それを口にする勇気はなかった。
それはジンの勝手な願望である。
ジゼルがした国を去る決断、それまでの葛藤を慮ると、もはや食い下がる言葉は出てこなかった。
「…分かりました。それではせめて、亡命の準備は僕が責任を持ってお手伝いしましょう。
変装用具や我が国の商隊の馬車内の隠れ場所、仮の身分証などは恐らく用意できるかと思います」
「助かるわ、これで隠匿魔法を使って危ない橋を渡らなくて済むもの」
「出発までは数日あります。僕も姉姫様方の身の安全をお守りするため、尽力することをお約束しましょう」
____それからしばらく。
実に堂々とリベラ竜国の使節団に紛れ込んだ三人は、陸路にて生まれ育ったエリクセン王国を後にした。
国境を超えるまさにそのとき、
『――――――、―――』
『――、―――!―――!』
「何か聞こえたかしら?」
「いいえジジ、不用意に振り返りませぬよう」
「承知しているわ。――さよなら、アスタリスの国。さよなら、私の愛した魔法たち」
「さあ行きましょう、先は長いのです」
―――そして舞台は三年後。
「やーーーーっと見つけた!!」
リベラ竜国で慎ましく暮らすジジの前に、一人の幼児が現れたことで、
再びジジの世界が動き出す。
ジン・リベラ(15) おにいちゃんだいすき