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回り始める歯車

その夜、マレス・エルバイスは書斎に籠り一人で書類の整理をしていた。


二階のこの部屋は真夏の熱気にむせ返るようであった。一昨年に改築した家は風通りなどもしっかり考慮されていたのだが、自然の力というのは人間の努力、知恵を簡単に上回ってしまうらしい。


手元に用意していた濡れタオルを手に取り、額の汗を拭う。


目を閉じれば余計に感じる暑苦しさに嫌気が差したマレスは、今日の仕事を早々に切り上げることに決めた。


机上に山積みとなっていた書類を引き出しにしまう。そして寝室に向かうべく腰を上げようとしたその時、マレスの背後のカーテンが大きく不自然に揺れたのであった。


「こんばんは、世界を救いし英雄の子孫様」


扉の前には漆黒のマントを羽織った男がいた。マントは全身をつつみ、深く被ったフードの奥には不気味な仮面をつけ、その素顔を隠している。


「ご丁寧にどうも。ちゃんと玄関から訪ねてくれていれば完璧だったが」


マレスは穏やかな口調とは異なる鋭い眼光で仮面の男を睨む。


「これは失礼したね。次からは玄関から入るとしよう」


男は人間味のない、低く、深淵より発せられたような声だった。


「そうしてくれると助かる。礼儀は基本だからな」


「肝に銘じとくよ」


「うむ」


マレスは両腕を組み頷いた。


「どうする?とりあえず最近の世界情勢についてでも議論するかい?」


「結構だ。さっさと要件を話せ。こんな夜更けに貴族の家に侵入する不届き者が、仲良く俺と世間話をしに来たわけがなかろうて」


「それもそうだね」


男は仮面の奥で嗤った。


「では改めまして、僕はとある組織でリーダーを務めている者でね。今日はあなたに用があってきたんだ」


「用とは?」


「まぁ、そう急かさないでくれ。あなただって人生最後の会話をもっと楽しむべきだよ」


「何が言いたい」


真っ直ぐに二人は視線を交わす。


「マレス・エルバイスさん、あなたには今日をもって死んでいただく」


ある程度の予想していたマレスは冷静さを保ちながらも警戒心を強めた。


「ふむ。ひとまず俺を殺したい理由とやらを聞いておこうか」


「理由か・・・良いよ、冥土の土産に教えよう。かつての混沌を極めた世界の景色をを取り戻すのさ。あなたを殺すのは僕の夢を叶える為の第一段階だ」


「・・・組織ではなくお前個人の野暮か?」


「違うね。僕の夢が叶えば、彼らの夢も叶うんだ。つまり一石二鳥ってわけさ」


「なるほど、物騒な集団だ」


「僕からも質問いいかな?」


「この際だ、好きなだけしろ」


「じゃあ、お言葉に甘えて────君たちはどうして国や民に尽くす?世界の人々が、五千年間貫き通している君たちの扱い・・・はっきり言って糞だよ」


「君たちの王国への多大なる貢献は、他の四英傑と比べても遜色ない。だけど世界は君たちだけを認めてくれない」


「そうだな」


「僕はね、それでもエルバイス家が不毛な慈善活動を続ける理由を知りたいんだよ。さぁ、答えてくれ」


マレスは目を閉じ、一呼吸置いてから言った。


「愚問だな、そんなもの俺は知らん。俺たちは与えられた使命を全うしてるに過ぎん。ご先祖さまより引き継がれたエルバイス家の誇りと魂を次の世代に受け渡すのが俺の役目だ」


マレスの瞳には、静かなる強い意志が宿っている。


「そっか・・・それが君たちの答え・・・くくく、はは・・・はははは!」


突然笑い出した仮面の男にマレスは顔をしかめた。


「昔からいつも僕の斜め上を行く君はとても興味深い」


「はて?俺とお前は初対面のはずだが」


マレスは言うが、それを無視して仮面の男は腹を抱え笑っている。


「そうか、となるとマルスくんは責任重大だね」


「っ・・・!」


あえて出さないよう努めていた息子の名前を言われ、彼はこの日初めて動揺を隠せなかった。


「む、息子がどうした?」


「彼には凄い才能がある。僕にはわかるんだ」


「当然だ、俺の息子なのだからな」


「僕はね、マルスくんには本当の意味で強くなってもらいたい。あなたの犠牲はその過程に必要な絶対条件。息子の成長の為に死ねるんだ、本望だろう?僕に感謝してくれても邪神様は怒らないよ」


「お生憎様、俺は息子の傍で成長を見守りたい親バカタイプなんでな。邪神様には、信仰するお前が俺の代わりに謝っておいてくれ」


「勘違いしてるようだけど僕は無神論者だ。邪神教を信仰してるのは僕の部下だよ」


「どうでもいいわ」


「僕はあなたと無闇に争いたくない、大人しく殺されてくれないかな?」


「断る」


「うーん、交渉の余地はなし?」


「俺の生死が懸かっている、交渉以前の問題だろう」


「そっか残念」


一変して冷淡な口調は、マレスに正体不明の恐怖心を植え付けた。


「僕はね、悲しいんだよ。歴史の闇に葬り去られし大戦の真実。時が経ち捻じ曲げられた伝承をまんまと信じ込む愚かな子孫たちに非難され続けるエルバイス家が哀れでならない」


「まるで自分はその真実を知っているかのような口ぶりだな」


「ああ、知ってるさ」


仮面の男は一歩前へ踏み出した。


「あの日、僕を封印した彼の氷魔法の冷たさ・・・目を閉じれば今でも鮮明に蘇る。唯一僕と対等に渡り合えたヘイルダムの魔法ともう一度、僕は戦いたい」


「な、何故それを、お前が知っている!?」


慌てて剣を手に取ったマレスが立ち上がる。


「そっか、まだ名前を言ってなかったね。僕の名前は──────悪神・ロキ。約五千年振りかなエルバイスくん」


✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼


戦いは決した。


戦いがあったにしては室内は綺麗なままであった。


整理整頓された本棚に、マレスが片付けていた書類の山は数刻前の状態と変化なし。


いや、少しだけ変わった。


敗者の血が室内を真っ赤に染めていたのだ。


横たわり浅い呼吸を繰り返すマレスに、仮眠の男は語りかける。


「僕は優しい。最後にマルスくんと話す時間をあげようと思う」


胸に突き刺した剣をゆっくりと抜く。


「ほら、丁度彼が帰ってきたよ。僕は彼に危害を加える気は今のところないからね。そろそろお暇させてもらうよ」


マレスに背を向ける仮面の男。


剣を鞘に収めると、窓が独りでに開いた。


「さらば、誇り高き英雄の子孫。あなたの死によって止まっていた歴史の歯車が再び回り始めた」


マルスによって玄関の扉が開かれるのと同時に、仮面の男は窓から飛び降りると、そのまま悠揚と夜の闇に姿を消していったのであった。

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