生きることは修行
謙虚でいたいと思う
誰かを傷つけたくないとも思う
それでいて、ふとした瞬間むくむくと悪い自分がでてきて
相手より優位に立とうとしたり
相手を打ち負かしたくなったり、
いらだちをぶつけたくなったりする
そんなとき、その悪い自分を押さえつけたり
調伏しようとするのではなく
その悪い自分をじーっとみつめて
気が付いてありがとう
気が付かせてくれてありがとう
悪い自分もありがとうとただ見つめる
悪い自分も自分だからどうにかしようとして出来るものではない
だからこそ見つめることが大事
私の中の優しい鬼は
笑顔で誰かに近づいてアドバイスをする
だけど私は誰かにアドバイスできるような優れた人間ではなくて
アドバイスという名のもとに誰かを操ろうとしてるようなきになる
優位に立とうとしているのではないかと思う
そんなときもジーっと自分を見つめる
そしてありがとうと
気が付かせてくれてありがとう
気が付いてありがとうと
自分は生きてるだけで素晴らしい
ただ生きる
生きること そのすべてが業であり修行
日々の生活のなかの気づきこそが感謝であり修行だと思う
そういう生活の中の小さな気づきから
1つ1つ腑に落ちることがあって、心が成長していく
修行(いきることはすべて修行)を重ねていく
修験(滝に打たれたり断食の行など)は派手だし逆に簡単だと、
でも1番大変なのは念仏をとなえること
単調でいつもやっているようなことにこそ、魔がひそむ
暖かい日の食後などつい眠くなってしまう
そんな中で集中してとなえることが難しい
眠気や、いつもやってるから今日くらいなんて誘惑がある
そんなことの繰り返し
死ぬまで修行