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加護もらっちゃった

喋る事を禁じられた令嬢の役割

『今宵も最後までお付き合いありがとうございました。素敵な睡眠時間を過ごせますように。では、おやすみなさい・・・』


いつものお決まりの文言を言えば、今日の放送は終わりだ。

お決まりのお別れ言葉だが、この言葉を聞いている人物はいるだろうか。

聞けれる人が居るとは思っていないアンヌは毎回、言う必要は無いのではないかと思ってしまう。


アンヌは手元の本を閉じて軽く手を上げて、放送局員のカミーユでアンヌの放送担当へと合図を送った。

カミーユが耳当てを外し手元の装置を操作しているのを確認すると、アンヌは鞄を手に取り放送ブースから出ていった。


「アンヌさん、お疲れさまでした!」


アンヌはにっこりと笑い頭を下げる。

カミーユは笑顔で挨拶をしてくるが、今日の放送内容に触れる事は一切無い。

それはいつもの事でそれが寂しいと思う事も無ければ、どうだったかと感想を尋ねるような事もアンヌはしない。


(だって、この放送を最初から最後まで聞いてくれる人はきっと居ないもの・・・)


もちろん、それは悲しいし辛いがその事を嘆く時間が勿体無いと達観してしまったのはもう随分と前だ。


「そう言えば今日も何通かファンレターが届いていますよ」


そう言うとカミーユは何通か手紙をアンヌに手渡して来た。

アンヌはそれを受け取り、片手でありがとうのポーズを取ればカミーユはどういたしまして、と返事が返って来た。


「遅いですから、気をつけて帰ってくださいね」


アンヌはカミーユに別れの挨拶として手を振り、急いで馬車乗り場へと向かった。

馬車の乗り場でアンヌは定位置に見慣れた御者と馬車を見つけて近づくと、直ぐに御者もアンヌに気づきドアを開けてくれた。


「お嬢様、お疲れ様です」


アンヌはニッコリと微笑み片手でありがとうのポーズを取り、馬車へと乗り込んだ。

馬車が動き出すとアンヌは先程受け取ったファンレターを開封しはじめた。

いつも通り内容は‘‘良く眠れます‘‘や‘‘夢見がいいです‘‘などお礼や報告の手紙ばかりだ。

感想はあっても声が素敵ですと言う文言ばかりで、放送内容に触れるものは見当たらない。


最後の一通を開封しながら、アンヌは他の手紙と変わらないのだろうと目を通した。



『最近知り合いに睡眠導入放送があると聞き拝聴し始めました。透き通るような綺麗な声に、朗読するスピード、とても心地よいです。ただ、時々イントネーションが間違っている事があるので、朗読する時には気をつけた方がいいと思います。あとは、朗読内容ですが開始直後は子供が好む様な作品、後半は大人が好むような作品を選んでみてはどうでしょうか。それと、いつもお別れの挨拶が適当に感じ、少し残念です。』


アンヌは今までに届いて来た手紙とは明らかに違う内容に驚いた。

アドバイスが何点か書かれており、お別れの挨拶も聞いているのでは?と感じる感想。

そこまで多い文字数では無いが、ファンレター1枚に対して心から嬉しいと言う気持ちが湧水のように滲み出て溢れてくる。

アンヌにとってこんな気持ちはいつぶりだろうか。







アンヌ・シフォンクーヘンには不思議な力がある。


その力はアンヌが生まれた時からあったわけでは無い。

15歳の頃、アンヌの母が儚くなり、母の事を心から愛していた父は落ち込み夢見が悪く不眠になっていた。眠いのに眠れない、父は日に日に窶れて行く様子をアンヌは近くで見ていて、父まで病気になってしまうのでは無いか、死んでしまうのではないかと不安になった。

そこでアンヌは父の寝室に忍び込んだ。


「お父様?今日も眠れませんか?」


寝台には上半身を起こした父の姿。

やせ細り、青白い顔色。

不眠が進むにつれて、食欲も減退していた。


「飛び飛びには眠れているよ。アンヌも眠れないのかい?」

「お父様が眠れるように子守唄を歌ってさしあげようかと思いまして」

「それはうれしいな。是非お願いしよう」


嬉しそうに微笑む父の耳元でアンヌは昔母に歌ってもらっていた子守唄を歌った。


(お父様が私の声で眠れたら良いのに・・・)


そう考えながら。

するとアンヌの子守唄を聞きながら、父はうつらうつらとし始めそのまま静かに寝入った。

いつもなら暫くすれば魘されて起きる父をアンはしばらくの間様子を確認していた。

しかし、今までと違い父が起きる様子は全く無くアンヌは嬉しくて、嬉しくて仕方なかった。


願いが届いたと思い、その事を誰かに話したくてアンヌは父の寝室を飛び出した。

父が寝た事を兄に話に行こうと、兄の部屋に向かうとすぐ近くに使用人の姿が見えた。


「ねぇ、聞いて!!お父様が寝たのよ!私が子守唄を歌って差し上げていたら寝てくれたの。私の声で寝てくれたら良いと思って心を込めて歌ったわ。お兄様にも報告しに行くから、他の者にも伝えてくれるかしら?あとは、お医者様にも確認していただいた方がいいかしら?」


アンヌは嬉しそうに早口で話せば、にこやかに聞いてくれて居た使用人の目は段々と虚になり、そのまま崩れるようにその場に倒れてしまった。


急に倒れた使用人に驚きアンヌは大きな悲鳴を上げ、助けを求め泣き叫んだ。

アンヌの声に気づき近づいて来た使用人達もアンヌと喋っていると次々と倒れる。

目の前で原因不明で人が倒れ、自分だけが取り残されている恐怖。

アンヌの鳴き声に兄は直ぐに気づき一目散に駆けつけて抱きしめてくれたが、暫くすれば周りと同じように意識を手放した。


1人泣き疲れて、声が枯れた頃。

最初に倒れた使用人が意識を取り戻した。

その時、アンヌは心の底から安堵したのを今でもはっきりと覚えている。

使用人は起き上がると、アンヌに気づき眠っていた事を謝ってきた。

そして、周りの状況に驚き、倒れている一人一人の状態を確認すれば全員寝ているだけだと教えられ、アンヌの緊張が少し和らいだ。


使用人の話ではアンヌが話しているのを聞いていると、少しずつ眠気に襲われそれに抗えず意識を手放してしまったらしい。


アンヌは泣き疲れて声が枯れていたので声が出せず、状況の説明は父が起きたときにする事になった。


翌日もアンヌの近くに居る者が眠気を催す現象は続いた。

昨日、倒れた者達が再び倒れる事は無かったが、それ以外の使用人の中から倒れる者が数名居た。

アンヌに対して恐れを感じている使用人もいて、15歳の少女に向けられる負の視線にアンヌの口数は少しずつ減った。

すると、不思議とその現象が落ち着いた。

無事に起きた兄もアンヌの様子を見に来てくれるものの父が眠っているためその対応に忙しく、アンヌは1人屋敷の中で心地の悪さを感じていた。


父が起きたと呼ばれたのは父が寝て翌々日の昼過ぎのことだった。

窓から差し込む日に父の顔が照らされれば、一昨日まで血色の悪かった顔色は赤みを取り戻し、目の下の隈は少しばかり薄くなっているようだ。


「アンヌ、素敵な子守唄をありがとう。久々にゆっくり眠れたよ」


そう言われて一昨日感じた喜びが再び湧いてくる。

しかし、その後に起こった事まで再び思い出してしまい、アンヌの気分はストンと落ちていった。

そして、ポツリポツリと一昨日の事を思い出して父へと報告を始めた。


アンヌが報告を後半に差し掛かるころ、父が再び睡魔に襲われた。


起きたばかりだと言うのに、異様な睡魔に父は顔を左右に振り、眠気を振り払うそぶりを見せる。

よく寝たとは言え、今まで眠れず悩んで居たのだ。

その反動で眠くなったのかもしれないと、父の様子にアンヌは黙り込む。


「もう大丈夫だ。続きを話してくれるか?」


話しを中断して父の様子を見守っていると睡魔は遠のいたのか、父は話の続きを要求しきたため、アンヌはそのまま最後まで説明した。


「子守唄を聞いた日から、アンヌの声を聞いていると心地よくて眠ってしまいそうになるな・・・」


聞き終わった父にそう言われて、寝てしまった他の人達もそうなのだろうか?とアンヌは疑問に思った。


「私、お父様が私の子守唄で寝てくれたら良いのにとは思ったけれど・・・」

「ありがとうアンヌ。その気持ちが届いたのかもしれないね?」


父の優しい言葉に気持ちが少し浮上して来たが、その後もアンヌの周りでは眠気を催す人物は後をたたなかった。

原因がわからぬまま、アンヌの周りで奇怪な事が続けば続くほど好奇の目に晒され、アンヌは外出する事が減っていった。


それと反比例する様に父の不眠は解消された。

それどころか、精神的に安定して仕事でも今まで以上のパフォーマンスができるようになったと喜んでいる。

そんな父もアンヌの周りで起こる不思議な事を詳しく調べてくれていた。

その内に王太子の耳にその話が届き、アンヌに会いたいと突然申し入れがあった。


この国の王太子ルシードに呼ばれ、王宮の謁見室へとアンヌとその父であるシフォンクーヘン伯爵は朝早い時間に赴いた。

朝、早い時間を指定したのはシフォンクーヘン伯爵側であった。

なるべく、人と合いにくい時間帯で周りに迷惑をかけないようにするためだ。

そして、アンヌは若い令嬢のため夜遅い時間よりも早い時間を願い出たのだった。


「2人とも、今日はわざわざ出向いてくれてありがとう。早速だけど・・・貴方は精霊に愛されているみたいだね」


この国では珍しい藤色の髪の青年が、アンヌを観察するように見て微笑みながら声をかけてきた。

その髪の色だけで、王太子であるルシードだと言うことが直ぐに分かる。


「え?」

「私は精霊が見えるんだ。最近は精霊が近くに居る事が増えて、精霊の言いたい事も何となくわかるようになってきたのだけれど・・・。ご令嬢は精霊の加護が与えられたみたいだよ?それも少し厄介な加護だね」

「厄介・・・?とは」

「ご令嬢の声に催眠の力を乗せているらしいよ。だから、貴女が喋れば周りが眠くなる」


まさかの答えにアンヌは言葉を失った。

精霊の加護の話は本で読んだことはあるが、どこか非現実的でアンヌは言い伝えだとばかり思っていた。

その加護を授かったと聞かされてもどう返事をすればいいかわからなかった。


「でも、しっかりと寝た後なら効果は薄いようだ。ただ、歌うその声に込められた力は強いみたいだからそれは気をつけて」

「な・・・なぜ、娘に加護が・・・」


アンヌの隣に座る父がポツリとこぼした。


「精霊の加護は精霊に好かれた者の強い願いと、それを願う誰かの気持ちに精霊が呼応して与えられる」


アンヌは父とお互いに顔を見合わせた。

お互いに心当たりがあるのからだ。


「すまない、アンヌ・・・」


父まで失いたく無いと言う強い気持ちで願った事で、アンヌは人生を大きく変えてしまうかもしれない力を手に入れてしまった。


「なんで謝るのですか?私は、お父様が眠れるようになって良かったです」


それよりも父の体調が良くなった事の方が嬉しい。


「よければ御令嬢の力を確認した方がいい。精霊の加護は貴重だ。できればこちらから協力を願いたい。それに、力を気にして喋るのも負担だろうし、その辺も力になるよ。公表はしてないけれど我が妃も精霊の加護持ちのため、貴女の力も効きにくいだろう。あ、この事は内密にね」


アンヌは目を見開き、少し怖くなった。

王太子妃が加護もちであると言うこの国の機密を、さらりと聞いてしまった。

そして、王太子であるルシードだけでは無く、王太子妃パティシアとも関わる事になるかもしれないプレッシャー。

今まで関わりの無かった王族から急に距離を詰められてきて身構えてしまう。


「お願いしよう、アンヌ」


父はどこか深刻な面持ちでアンヌを見ていた。

その表情から、受けなければいけない事を察した。


「はい。よろしくお願いいたします」


こうしてアンヌの催眠の加護についての調査がなされる事になった。

アンヌの力は他者に対しての影響が大きい事と、その特殊な力のため他者が知れば利用したい者も出てくる事は簡単に予想がつく。

そのためごく一部の限られた人間のみで慎重にアンヌの加護の調査がなされた。



調べてわかった事は


アンヌの催眠効果が付与された声は声量がより効果が変わる。声量が大きければ効果は強い。また、喋る時間が長ければ効果は強くなる。

加護持ちや精霊に愛されている者やその周辺人物には効果が効きにくい。

睡眠不足にはよく効く。

歌声、特に子守唄の効果は強い。

疲労回復効果がありそう。

蓄音機などに吹き込んだ音声には効果はない。

音声通信などは力が弱まるが効果はそれなりにある(魔法の介入があり)

声を遮断すれば効果はなし。

アンヌに調整する事はできない。


などであった。

この事からアンヌは力の制御は不可。

加護の力を消す事が出来ず、アンヌが喋る事で周囲へ影響があることが確実となった。

そして、アンヌの精霊の加護は他人に与える影響が大きく、その力が露見してアンヌ自身が危険な目に遭う可能性を周りは危惧し始めた。

これまで以上に情報統制を厳しくし、家族からは関係者以外との会話を禁止された。


元々友人も多い方では無かったアンヌは、しゃべる事を禁止され社交もままならず屋敷中に引きこもりがちとなり、少しずつ社会から引き離されていった。

それと並行するようにアンヌの噂も自然と消えて行き、アンヌの存在も段々と薄れていく。

明るく自然と笑顔の多かった少女は、大人しく愛想笑いを向ける女性へと変わって行った。


父や兄からはしゃべる事を禁じられては居たが、外出を禁じられていたわけでは無かった。

だが、過保護な二人はどんな危険があるのかと言う、日々呪文のように説かれていればアンヌが邸から出たがらないのは必然であった。


そんな生活が何年も続き、健康面に悪影響だと伯爵家の主治医から少しでも外出するように勧められ、アンヌは少しずつ外出する機会を増やしていった。

もちろん、決まった人以外と喋る事はほぼ無いし、周りの目を気にしてしゃべる事は控えている。

何か伝えねばならない時は筆談だ。

すれば、シフォンクーヘン伯爵家の引きこもりのご令嬢は喋れなくなったと言う噂が広まる。

引きこもっていた理由が失声症だと認識され、哀れみの視線を集めるようになってしまった。

このまま社交もせず結婚せず、家に居座るわけにもいかない。

家族はアンヌがこの家に根を張るのを期待していたようだが、アンヌもそこまでは考えていなかった。

しかし、ほぼ社交もせず狭い社会の中しか知らない、特殊な力で危険と隣り合わせのアンヌ。

1人で自立できるような方法を見つけ出そうとしても、そう簡単に見つけられるはずも無く落ち込む日々が続いた。


そんなアンヌにまたしても王太子ルシードから声が掛かった。


「仕事をしてみないかい?夜間、人々が眠りに着く時刻の一定時間、国営の音声放送を利用して喋って欲しい。寝る時間帯に君の声を届けて、国民に良質な睡眠を取ってもらいたい。眠りながら疲労回復効果も有効活用できると思ってね。国民のパフォーマンス向上は国としても、恩恵がある」


アンヌにしかできない仕事内容にアンヌは心が踊った。

今まで喋る事を憚っていたのに、その喋る事が仕事になるなんてとても魅力的な提案だったからだ。

しかも、放送基地への行き帰りには護衛をつけてくれると言う事で待遇も凄くいい。

父と相談して、アンヌはその仕事を受ける事にした。


放送内で喋る内容はなんでもいいと言われて、アンヌは適当に喋るよりも朗読をする事にした。


こうして、さまざまな準備をしてアンヌの朗読時間の放送が始まった。

『良質の睡眠へ誘います』を謳い文句に始めた朗読放送は宣伝をあまり行わなかったが、少しずつ心地の良い眠りにつけると聞き手を増やしていった。

勿論、誰がその朗読放送を行っているのかは伏せられている。




そして早数年。


アンヌは未婚のまま精霊の力を使い今でも朗読放送を続けている。


今でも友人と呼べる人物は居ないし、しゃべれる相手も限られている。

慣れてはいるもののやはり急に孤独感に侵食されて寂しさを感じることもある。

しかし、届いたファンレターの中の一通にアンヌは心が救われたような気になった。


そんな手紙が届いて数日後。

アンヌは久々に王太子ルシードに呼ばれた。

最初は緊張していたルシードの面会も、今では慣れたものでアンヌが喋れる数少ない中の1人となっていた。


「アンヌ、お久しぶり」

「王妃様。お久しぶりです」


王宮の応接室に入るとルシードの隣に王太子妃パティシアが座りアンヌに向かって微笑みかけていた。

ブロンドの髪にターコイズブルーの瞳。

アンヌはいつ見ても美しいその姿にため息が出てしまいそうになる。


王太子妃パティシアも精霊の加護持ちでアンヌの力が効きにくいため、アンヌが気にせず話す事のできる1人だ。

孤独なアンヌにとって恐れ多くも姉の様な存在であった。


「今日は急に呼び出して、すまないね。実はアンヌ嬢に助けて欲しい人物がいるんだ」

「助けて欲しい人物 ・・・ですか?」

「あぁ・・・。数ヶ月前、前宰相の退役で歳若い青年が宰相の職についた。彼は私よりも少し歳下なのだけれど、真面目で堅物。自分の仕事を最後まできちんと済ませなきゃ、気のすまないタイプでね。引継ぎのため、まぁ目まぐるしいほど忙しく寝る間を惜しんで仕事をしてくれている」


前宰相が退役し新しい宰相に変わった事はアンヌも知っていた。

アンヌと歳もそう変わらない、侯爵家の優秀で利発な次男坊と言う事が新聞に書かれていた記憶があったからだ。

それと、引き継ぎの折にアンヌの加護の情報共有もあったため、王家からアンヌの加護を申し送っても問題ないかの確認もされていた。


「とても優秀な御仁なのですね?」

「優秀だし仕事もできる。ただ、少し堅いんだよね・・・。そんな彼、ベルナール・ガトーブラウニーなんだけど、仕事のし過ぎで寝ようとしたら仕事が残っている気のする・・・所謂、強迫性障害って言うのを患っているみたいで、最近寝るのが怖いそうだ」


そこまで言われればアンヌもなんと無くピンとくる。


「睡眠障害、ですか?」

「そうだね。寝不足を誤魔化すため最近は鬼気迫る雰囲気で、女性なんかは近づきたがらない」

「美丈夫ですのにね」


ルシードの言葉に、パティシアから今は必要無さそうな情報が開示された。


「え?パティはあぁ言う顔が好み?」

「世間一般的な感覚で答えただけよ、ルゥ」


少し甘い雰囲気を醸し出す王太子夫婦はいつもの事だ。


「それでね、体調管理してくれる様なお方が居れば良かったのだけれど、そういったお相手も居ないし・・・。アンヌの朗読放送も勧めてみたのだけれど、効果が無かったらしいの」

「え?」


直接アンヌの声を聞きよりも効果は弱まるが、リアルタイムでの放送にはきちんと催眠効果があるのは確認済みだ。

力は効きにくい人は居たけれど、効かない人は初めてだ。


「そこで、彼に直接声をかけてくれないかな?流石にこのまま不眠が続く様なら、健康面に不安も出てくる。職務にも影響が出ているし・・・」


ルシードの頼みはベルナール・ガトーブラウニーをアンヌの力で寝かせろと言う事だ。

アンヌは恩人でもあるルシードの頼みを断る選択肢はない。


「わかりました。お受けいたします」

「それは良かった!まぁ、その返事が返って来るのがわかっていたから、彼も呼んでいるんだけどね」

「えっ!?」

「不眠続きで健康状態も良くない。今晩はアンヌ嬢の放送は無い日だよね?できれば今晩、彼を寝かしつけて欲しい。明日は、ベルナールの休みも取ってある」


ルシードは食えない笑みを浮かべ、合図を送ると待機していた侍女(耳栓をしています)が入り口を開いた。

アンヌは入り口の方を振り返ると、細身で色白の人物が立っていた。

身長は高いが、女性かと思うような華奢な姿。

白銀の髪には元気が無いく、時間がない事を物語る様に伸び切っている。しかし、その髪型は彼の性格を物語るようにきちんと結われている。


「失礼いたします」


きちんと伸びた背を、教本の様に見事に曲げた。


「今日は随分と顔色がいいね」

「気持ちが高揚していますので」


入室してきて1人がけのソファーに座ったベルナールの横顔に、昔の父が重なる。

どこか、不健康で儚い雰囲気の青年だ。

確かに美丈夫であるのだろうが、痩せているためかアンヌよりもだいぶ若そうに見えた。


「はじめまして、シフォンクーヘン伯爵令嬢。僕はベルナール・ガトーブラウニーと申します。この度は、ご協力のほう、ありがとうございます」


深々と頭を下げられ、アンヌもつられて頭を下げた。

アンヌは寝不足のベルナールの前で喋るのは危険だと思い、声は出さない。


「流石に、2人とも未婚とは言え体裁もあるからアンヌ嬢が退室するまで、2人ほど部屋の中に常駐はさせるから」

「わかりました」


アンヌも大きく頷き、持ってきたノートとペンを取り出してノートへと書き慣れたように文字を書き綴る。


『よろしくお願いします。宰相様が安眠できるよう、務めさせていただきます』


書き終わったノートをベルナールへと差し出しにっこりと微笑む。

ベルナールを入眠させるためだけの関係で、そこまで良好な関係を築く必要も無いが、珍しく紡がれた縁を無下にする事もない。

アンヌはなるべく、人当たりの良さげに笑ってみせた。


「字も素敵だ・・・。あ!いえ!申し訳ない」


ベルナールは咳払いをして誤魔化すような仕草をみせた。


「?」

「貴女の声を直接聞ける事を楽しみにしています。では、僕は明日の分の仕事まで済ませてしまわないとなりませんので・・・」

「もう行ってしまうのかい?」

「仕事が残っていますので」


そう言い残すと、ベルナールは風の様に去っていった。


「あんな感じで真面目でせっかちなんだ」

「生き急いでいる様に感じるわ。座る必要はあったのかしら?」


ルシードは苦笑い、パティシアは呆れた様な表情を見せる。


「アンヌは彼の印象はどうかしら?」

「・・・昔の父を見ているようで、危うく感じました」

「マイナスな印象は?」

「まだ、そこまでは・・・」


ベルナールと会って話したのは本当に少しの間だ。

人と接する機会が少ないアンヌは、もともとコミュニケーション能力は乏しい。

対人に対しての見極めは苦手な分野にあたる。


「そう?・・・まだ少し時間もあるし、帰るにしては時間が無いわ。アンヌ、よければ私と時間を共にいたしましょう?夕食は私と一緒に」

「パティ、私は?」

「ルゥは最近早く帰れているのだから、今日は宰相殿が早めに切り上げれるようにしてあげて?」


パティシアがルシードの手を握り見つめる。

人が居ても関係なくこの2人は甘い雰囲気を撒き散らすのだ。


「わかったよ。では、アンヌ嬢申し訳ないがベルナールの事を頼んだよ。彼は決して悪い人間では無いから」

「尽力いたします」


そのままルシードは別れを惜しむ様にパティの頬へキスをして、部屋から退室した。

アンヌもベルナールの就寝時間まではパティシアと時間を共にすることとなった。




アンヌは何時頃、呼ばれるかわからないままパティシアとゆったりした時間を楽しんで過ごしていた。

パティシアとの夕食が済みパティシアの話を主に聞きながら歓談している途中、ベルナールから声がかかった。

アンヌが思っているよりも早い時刻であった。


室内で待機してくれる予定の2人に案内され、ベルナールの待つ部屋へと案内される。

通された部屋はベッドがあり、書き物机と一脚の椅子があるだけの簡素な部屋だ。


「お待ちしていました」


ベルナールは髪を解き、夜着を着ていた。

夕刻に会った時はきちんとした正装を着ていたため雰囲気が全く違う。

夜着から見える胸元は肉がなく皮膚だけで、鎖骨が浮かび上がって見えた。

それに他人の夜着姿を見る事が初めてなアンヌにとって、見てはいけないものを見てしまった様な少し罪悪感に似た気持ちにもなった。

そして帷が落ちた中、異性と狭い空間に一緒にいると言う緊張感も加えてアンヌの鼓動は早くなっていた。


「寝る前に少しだけ、お話ししませんか?」


アンヌはコクリと頷くと、ベルナールにベッドの横に一脚だけある椅子を勧められ、ゆっくりと近づきそこに腰を下ろすと、ベルナールからどうぞと声をかけられてサイドテーブルにカップが置かれた。

そこからは湯気がたちハーブティーの香りが鼻腔を擽る。


「僕はベッドに入らせていただきますね」


ベルナールはそのままベッドへと上がり、上半身は起こしたまま下半身だけ布団へと潜り込む。


「実は、殿下に勧められて貴女の朗読放送をよく聞くようになったのですが、少し前に貴女宛にお手紙を書かせていただきました」


アンヌは最近届いた手紙のことを思い出す。


(あの手紙は彼だったの?)


手にしていたノートを開き、手紙の事を確認しようとアンヌがペンを持つとベルナールにその手をそっと握られた。

異性に手を触れられた経験が無いアンヌは驚きのあまり、反射的に顔を上げた。


「筆談では無く、貴女の声が聞きたい・・・」


真剣なその眼差しにアンヌは戸惑う。

ベルナールは不眠が続いてしまっているため、アンヌの声を聞けばすぐに寝入ってしまうだろう。

お喋りどころでは無くなるのでは無いかと思ったからだ。

アンヌもできれば少しだけ、手紙をくれたかもしれない人物と話しをしてみたいと思った。

答えが出せずアンヌが迷っていると、ベルナールは即すように次の言葉を紡ぐ。


「だめですか?」


アンヌは否定する様に左右に頭を振り恐る恐る声を絞り出した。


「あの・・・、アドバイスを手紙に書いてくださっていましたか?」

「はい。書きました」

「放送、を・・・最後まで聞いてくださったのですか?」

「はい、とても落ち着く耳障りの良い声とテンポで最後まで聞き入ってしまいました。でも、実際の声の方が何倍も素敵です」


アンヌは声の賞賛を直接貰い、恥ずかしくなり顔を赤く染めた。


「眠くならなかったのですか?」

「僕は片方の耳が難聴で少し聞き取り辛いのです。あ、でも生活に支障はないですよ?こうして宰相にもなれましたし」


ベルナールが触れている耳にアンヌは視線を向ける。

ほっそりとした指は白く骨張っていて、逆に耳の血色はよくほんのりと赤い。


「この耳で聞いていると、不思議と眠くならないのです」

「初めて、最後まで放送を聞いてもらえました。きっと最後まで聞いてくださる方はほとんどいないでしょう・・・。嬉しかったです」


アンヌはお礼の気持ちを口にする。


「今は眠くないですか?」

「少し、眠いです。横になっても?」


にっこりと笑い、アンヌは立ち上がると布団を持ち上げると、その空いた隙間にベルナールは体をスライドさせて寝る体勢をとった。

ベルナールの瞼は重そうに、瞬きが増えてきた。


「僕とまたお話ししていただけますか?貴女ともっと話したい。貴女の声を聞きたい・・・」


アンヌを求めているような、そんなふうに聞こえてしまう。

寝る前の戯言だ。

勘違いしてはいけないとアンヌは自分を戒める。


「えぇ、私もアドバイスいただいた事のお話を聞きたいです。おやすみなさい」


アンヌは精霊の加護が強い子守唄を口ずさむ。

歌い始めると直ぐに、ベルナールは眼を閉じ寝息を立てはじめた。

アンヌは最後まで子守唄を歌い続け、ベルナールが起きない事を確認し立ち上がるとドアの前に控えていた2人に歩み寄った。

2人とも耳栓をしているため、もちろん意識ははっきりとしている。


そのまま3人で部屋から退室して外側から鍵をかける。

その鍵を王太子の元に預けに行けばアンヌの役目は終了だ。

アンヌは先程まで見ていたあどけないベルナールの寝顔を思い浮かべて、少しだけ頬が緩む。

この国の宰相と言う重圧を背負っている青年はアンヌと2歳しか変わらない。

アンヌも大人になっているとは言え、今の自分が国を重役に立てるかと言えばそれは努力しても無理だろう。

勿論、そんな大それた事を考える向上心すらアンヌには無いが。


この国の宰相は世襲制ではない。

ベルナールが実力で勝ち取ったポストだ。

もちろん次の国王であるルシードが近くに置きたい優秀な人材を選んでいる事は確かなため、ルシードに歳の近いベルナールが選ばれた事も不思議では無い。

そのため、今回ルシード自らアンヌの元に赴きベルナールの不眠問題の解決を頼んで来たのだろう。

若く優秀な人物を自分が戴冠するまでに失うのは避けたいところだろう。

加護の力を授かり辛いと思う事の方が多かったアンヌは、今回身近な人物の役に立てた事で久々にこの力に感謝した。






それから翌々日、アンヌの元へベルナールからよく眠れたと言う知らせと、お礼の菓子が届いた。

ルシードからもお礼の手紙と、もう何度かベルナールの入眠に協力して欲しいと書かれていた。 アンヌが来れば、仕事も適度に切り上げるのでその目的もあるとの説明が手紙の中に書かれてあった。


アンヌは放送がない日の夜は王城のベルナールの仮眠室へと足を運んだ。


アンヌが通えば通うほど、ベルナールは日に日に顔色も良くなり、食欲も出てきた。

こけていた頬にも肉がついてきたようにも見える。

そうなれば、彼の顔立ちの良さは際立って見えてきた。


そして、アンヌにとって朗読放送と同じくらいベルナールと会う時間が特別なものへとなっていった。


「アンヌ嬢、いつもありがとう」

「まだお忙しいのですか?」

「最近は少し、手を抜く事も覚えました。貴女に会う時間を融通するために・・・」


ベルナールは時々こうして耳を赤くしながら、アンヌを喜ばせる言葉を伝えてくれる。

生真面目と聞いていたが、美丈夫で地位もある男性のため、女性の扱いは案外慣れているのかもしれない。


そして、なによりも驚いた事にベルナールの聞こえにくい耳の方から喋ればアンヌの力が効きにくいという事がわかった。

理由はわからないが、アンヌにはうれしい発見であった。

ベルナールが寝不足でなければ気にすることなく喋れる。


「昨日の放送は何度か少し噛んでいましたね?」

「少し難しい言い回しでした」


ベルナールは放送の方もなるべく聞いてくれているらしい。

こうしてよく感想をくれるし、正しいイントネーションも教えてくれる。

他人と喋る事の少ないアンヌにとって、変な癖のついたイントネーションを正す事はとても勉強になっている。

それにベルナールの送ってくれた手紙のアドバイス通り、今では放送の前半は子供が好む様な童話などの作品、後半は大人が好むような作品を選んで構成するようになり、聞き手からの評価も上々である。

最後まで聞いてくれるベルナールの為に、アンヌはお別れの言葉をきちんと考え発言するようになった。

聞いてくれている皆に届けたい言葉ではなく、本当はベルナールに届けたい特別な言葉だったりするがそれはアンヌだけの秘密。


そして、この特別な時間も少しずつ終わりが見えはじめている事にアンヌは悲しみを覚えていた。

ベルナールが眠れるようになり、元気になればアンヌは不要だ。


「最近、辛そうな表情を時々するけど何かありましたか?」


アンヌのちょっとした機微にベルナールは直ぐに気づき、アンヌの手をそっと握ってくれる。

最初に触れられたときは冷たかったその手に、今は温もりを感じる。


もう、何度かアンヌはベルナールに手を握られてはいるが、それだけでドキドキしてしまうのは変わらなかった。

慣れるどころか、ドキドキは増すばかり。


「今度、気晴らしにどこか出かけませんか?私もそろそろお休みが欲しいのです。一人で出かけるのも寂しいので、お付き合いしてください」


返答に困っていたアンヌにベルナールは気を遣って外出の誘いをしてくれた。


「でも・・・」


用事が無ければ出かけないアンヌにとっては、凄く魅力的なお誘いだ。


「いやですか?」

「いやではありません。ですが、父の許可が必要なのです」


20歳も過ぎいい大人だが、アンヌにとって外の世界は危険だ。

何かあってからでは取返しもつかぬため、加護を授かってからは外出したい時には家族に相談するように教えられ、守ってきた。

ルシードやパティシアが絡んでいる事ならいざ知らず、ベルナールとの外出に許可が降りるかはアンヌには答えようがない。


「なら、明日お伺いの手紙を伯爵に出します。許可が出たらいいですか?」

「もちろんです」






結論から言うと父からの返事は却下だったらしい。

やはり、あまり外に連れ出してほしくないと言う旨が丁寧に書かれ、ベルナールに届いたそうだ。

ベルナールはその返事を見て、直接説得しようと試みたがのらりくらりとかわされたり、話しができても「申し訳ないが許可できない」の返事ばかりで、前には進まなかった。


アンヌは少しだけ期待していて、楽しみにしていたため大いに落胆する事となった。

そんな落ち込んでいるアンヌを慰めてくれるかのように、王太子妃パティシアから登城のお誘いがきた。


アンヌは気を持ち直しパティシアへと会いに行けば、パティシアしか居ないと思っていたその部屋に、ルシードとベルナールの姿もあった。

アンヌは驚きのあまり飛び跳ねてしまいそうになる。


「大丈夫ですか?アンヌ嬢」


ベルナールがすぐに近づいてきて、顔を覗き込む。


「あら、堅物宰相との噂は偽りだったの?ルゥ」

「パティ・・・わたしも、こんなベルナールを見るのは初めてだよ?どんな、ご令嬢が近づいてきてもツンツンしているばかりだよ」

「殿下、妃殿下・・・揶揄わないでください」

「ほらこの通りだ」


ベルナールは眉間に皺を寄せ咳払いすると、アンヌの手を取りソファーまでのちょっとした距離をエスコートする。

それだけで、アンヌの顔は茹で上がってのぼせてしまいそうだ。

アンヌが座れば、その横にベルナールもすました顔をして腰を下ろした。


「ごめんなさいね?アンヌ・・・、今日は伝えておかないと行けないことがあるの」

「・・・はい」


(きっと、ベルナール様の件だわ・・・)


最近の体調を考慮して、アンヌの仕事は終わりを告げられるのだろう。

アンヌは心を落ち着かせ、次の言葉を待った。

覚悟はしていたつもりだったが、やはり寂しさが勝っている。


「君たちの噂が流れていてね?」

「・・・え?・・・う、うわさ?」

「君とベルナールが恋仲だと。ベルナールの仮眠室に通う姿が目撃されてね・・・。」


覚悟していた話ではないことにアンヌは安堵した。


「君のあらぬ噂も広がっている」


夜間にベルナールの仮眠室に通っていたのだ。

ふしだらな女性だと言う噂だとは思うが、社交を一切しないアンヌにその噂が届く事は無い。


「・・・殿下。もとより私は結婚する予定もありませんので問題はありません。そのために仕事をいただいたのですから。それよりも、ベルナール様にご迷惑がかからなければ良いのですが・・・」

「私は君にそんなつもりで仕事を任せたわけじゃないよ?」

「この噂で迷惑を被るっているのは僕ではなく、貴女です」


そうかもしれないが、現宰相と一伯爵令嬢では婚姻の重さは違う。


「まぁ、このまま噂が広まれば君よりも君の父君にベルナールは目の敵にされるだろうね?そのまま後手に回れば、ベルナールの想いも叶わなくなるだろうなぁ」


ルシードは半分片言のようなセリフのような言葉をベルナールに向かって話す。


「殿下にお膳立てされるのは腑に落ちませんが・・・」


するとベルナールは強張った面持ちでアンヌに身体を向けて、両手でアンヌの手を握り締めきた。


「もし、嫌で無ければ僕と結婚してください。僕は、貴女に好意を抱いている。貴女の放送を聞いて、貴女の声に惹かれて、貴女に助けて貰い、貴女自身を知って惹かれています。僕は噂を本当にしたいです」

「あ・・・」


ベルナールの表情は真剣で、嘘偽りないことが伝わってくる。


アンヌが今まで忘れようとしていた人恋しいさ。

枯渇していたその気持ちがベルナールによって注がれ、浸透してゆき溢れ出てきた事には気づいていた。

もし気持ちを受け止めしまえば、その溢れ出す気持ちはもう止められない事もアンヌはわかっている。


アンヌの瞳からほろりと水滴が頬を流れ落ちた。


「アンヌ嬢!?」


ベルナールはソファーから降り膝を突き、アンヌの顔を覗き込んできた。


もう、止められない。


人恋しいさが涙と一緒に溢れでてきた。


あたふたし始め、部屋中を動き回るベルナールとは逆に、パティシアがアンヌの横に移動してきて抱きしめてくれた。

嗚咽が漏れぬ様に、アンヌは静かに泣いた。

こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。

寂しい気持ちがあっても、泣くことでは無いと自制をかけてきたため、ほとんど泣いた記憶は無い。




しばらくして、涙が止まり落ち着きを取り戻したアンヌを見て、ルシードがパティシアの手を取る。


「あとは二人次第だし、二人で話し合ってみてね?勿論、私たちは二人が仲良くなる事は肯定的だ。もし、結婚を前向きに進めるなら私から伯爵を説き伏せてもいいし、ごゆっくり」


そのまま仲良くルシードとパティシアはアンヌとベルナールだけを残し部屋から退室した。




*****



「あの2人を応援しているのはわかるけど、噂を流すのはやりすぎよ」

「なぜ私だと?ベルナールに心酔している侍女かもしれないよ?」

「噂が立って回るのが早過ぎるの。たかが侍女の噂話なのに、広まるのが早いのは不自然だもの。私は聞き耳の達人ですからね?」

「流石、私のパティ。あの2人はあれくらいしないと、焦れに焦れて進展しないだろ?それに、シフォンクーヘン伯爵は2人で出かけるのも許可しないほどの過保護さだ。手強そうだしね」


呆れたパティシアは横にいるルシードの横顔を見上げた。

生き生きとして見えるその顔にパティシアは小さくため息ついた。


「彼なら、1人でどうしかするでしょうに・・・。貴女の好意はいつも偏っているのね」

「そうかな?」


2人はそのまま肩を並べ歩いて行った。



*****




「僕との婚姻は受け入れ難いですか?」


ベルナールは眉児尻が下がりどこか自信がない表情をしている。

プロポーズの返事を聞くことに緊張しているのだろう。


アンヌは首を左右に振り否定する。


「婚姻は諦めていたので戸惑っているだけです・・・」

「なら、もう一度お聞きます。アンヌ・シフォンクーヘン伯爵令嬢、僕と結婚してください。僕が寝る時、貴女に横に居て欲しい。一人で眠れるようになって来て、ますますその欲求は増すばかりです。もし、貴女に断られたら、僕は1人で寝ることに恐怖して、また眠れなくなりそうだ。いや、そうなれと願うでしょう。そうすれば、また貴女に側に居てもらえるから」


「眠れない時は私が側で歌います。だから、私のお話を聞いてくださいますか?」

「もちろんです!貴女の声を聞ける幸運を僕にください」

「よろしくお願いします」


アンヌはベルナールの婚姻の申し入れを受け入れた。


そして、その返事を聞いたベルナール直ぐに行動に移す。

脱兎の如く駆け回り、敏腕宰相の力を発揮した。


まずはルシードとパティシアへの報告。

その次にルシードの書状を持参して、シフォンクーヘン伯爵家へと訪れ婚姻の申し入れ。

勿論、伯爵は許可を出さず説得は難航した。

アンヌとベルナールの婚姻に対してのプレゼンは好感触であったが、娘への愛が深すぎるが故に嫌だと意固地に反対され、仕方なくベルナールは最終手段を取り出さした。

王太子の書いた王家の家紋が押された書状を見せ、泣く泣く伯爵も許可をだし、めでたく2人の婚約が成った。



家族に喋る事を禁止されたアンヌは、社交界では失声症のため結婚しない令嬢だと思われていた。

そんなアンヌと若き宰相の婚約は社交界に激震が走った。

婚約の前に流れた噂と2人の年齢を考慮したスピード婚の予定のため、2人に子供が出来たのではないかと言う憶測も飛んだが、ルシードとベルナールがその噂を見事に消して見せたがアンヌは何をしたのかは知らない。



結婚後もアンヌは放送を続けた。

朗読放送の日はアンヌが寝室に帰ってくるのは夜遅い。

それに、嫉妬したベルナールがアンヌの放送を10年も聞かず拗らせたのは、ごく一部だけが知る宰相の黒歴史となった。




最後までお読みいただきありがとうございます。


設定上少し無理やりな部分もあるかとは思いますが、温かく読み解ていただけたら嬉しいです。

ちなみに補足としてはアンヌの力は耳から脳にかけて作用するようなイメージで、ベルナールの耳は膜が張ったような聞き取りにくさがあります。

その影響で脳に力が届きにくいと言うような設定です。



今回脇役として出て来た、ルシードとパティシアのお話にもし興味がございましたら、

『擬態する令嬢は王太子妃としてスカウトされる』

と言う作品が2人のお話になります。

お時間ありましたら、ぜひそちらもお願いします!!

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