斡旋所は2年待ち
「またですか」
俺から用紙を受け取った窓口担当者はうんざりした様子でそう言った。
この順番がやってくるまで2年も待ったというのに、その態度はないんじゃなかろうか。
しかしここでキレて担当者の機嫌を損ねてはいけない。より良い斡旋をして貰う為、今は我慢が必要だ。
椅子に座りながら、ゆっくり心を落ち着けるように深呼吸をする。
「どこか記入に不備でも?」
「必要事項は全く問題ありません」
書き直して最後尾に並び直すように、と言われなくて良かった。
「ただ、本当に多いんですよこの希望。実態を知る身としては理解し辛いのですが、皆様は憧れるのでしょうね、前世の記憶を持って異世界に転生することに」
人の形をしてはいるが全身真っ黒で表情の見えない担当者は、大き目の動作でこちらに感情を伝えた。
生きてきた世界に不満があった訳じゃない。
それなりに成長して、人並みに働いて、幸と不幸を同じくらい味わって、平均よりは早く死んでしまったが概ね悪くない人生だった。
ただ魂が体を離れ、手に持っていた転生希望用紙の存在に気付いたとき、このまま普通に生まれ変わって同じような人生を送ることを面白くないと思っただけだ。どうせ生まれ変わるならば全く知らない異世界で前世の記憶を利用して偉人として生きてみたい。
「そんなに多いんですか」
「とても多いです。確かに前世を覚えている状態で異世界に転生することは可能です。しかし決してお勧めしませんし、私からの説明をお聞きいただいた後希望を変更されても構いません」
「転生の条件が厳しいと?」
「いいえ」
一体なにが問題だというのだろう。
「まず、幸せな人生を送れる確率がとても低くなります。前世の記憶がなければその世界の基準でそれなりに幸せになれますが、記憶がある場合は前世の基準で判断します。例えるなら、人間の記憶を持ったまま家畜に生まれ変わるようなもの、とお考えください。逆でも良いですよ。家畜が人間になっても精神が家畜のままなら幸せになれないのは同じですし」
「記憶があれば経験から状況を打開して幸せになれるのでは?」
「前世の経験は殆ど通用しません。失礼ですが、あなたは天才的な閃きをすることができるとか、一を聞いて百を知るタイプだと自分自身を評価できますか?」
「いや」
「異世界を選んだ場合、転生先は完全にランダムになります。いかにもといった世界もありますし、見た目だけは前世の世界なのに物理法則が全く違う世界もあります。そこで必要になるのは経験ではなく頭の回転がいかに早いか、ということになります」
「ランダム、ですか。異世界の数はどのくらい?」
「そうですねえ」
担当者は抽斗から紙とペンを取り出し、なにやら書き始めた。
「まずあなたが生前いた世界、それに付随するパラレルワールドがその世界の人口くらいの数。想像すると簡単に創造されるんですよパラレルワールドって」
大きめの丸の中に小さな丸を沢山書いていく。
「これが基本的な世界モデルです。この小さな点の中にこの世界モデルと同じものが入ってますし、この世界モデルは別の世界モデルの小さな点でもあります」
想像して頭がくらくらする。つまり無限ではないけれどどこまでも増え続け数え切れないほどある、ということか。
「どうやらスケールはご理解いただけたようですね。確かに前世の記憶があれば都合の良い世界も存在しますが、世界を変えるくらいの強運は持ち合わせていないと狙うのは難しいです」
「それでも可能性はゼロじゃないんでしょう?」
「ほぼゼロですがゼロではありません。実際に生まれる世界、生まれつきの才能、両方恵まれる方もいます」
それならばギャンブルと同じだ。当たるか当たらないかのどちらかしかない。
「それでも確実に幸せになれるわけではありません」
「恵まれたのに?」
「光が強ければ強いほど影は濃くなります。前世の記憶に関係なく英雄や偉人となった人物は上り詰めた後、極度の人間不信になることが多いです」
確かに若い頃同期の中で出世が早かった奴に対して俺も陰口をたたいたことがある。
あれは彼の能力に対する正当な評価だったと今ではわかるが、当時はどうやって上司に取り入ったのか、ゴマすりが上手いのか、などと考えていた。
「前世の記憶があり、前世で全く恵まれていなかった場合、最初から人間不信なので支障がなかった、という事例もあります。それは幸せと呼べる人生ではありませんでしたが」
「その、幸せになれるかどうか、というのは必ず考えないといけないの?」
ちょっとした疑問を投げかけると、担当者は少し考え込んだ。
先程までの饒舌さが嘘のように、ゆっくり確認するような口調で彼はこう答えた。
「いえこれは、この狭間の総意ではなく、私個人の希望になります」
「決まりではない」
「全体の決まりではありません。各担当者に一任されています」
「それなら俺についてはもっと事務的に処理してください」
このまま長々と説得のような説明を聞くより手っ取り早い。
「幸せになれるように、というのは私個人の指針ですが、転生に関する説明そのものは義務ですので続けますね」
まるで役所のようだ。規則だからと役所でたらい回しにされた記憶が蘇って不快になる。
「ただ不幸になっても構わないから希望通りに転生したい、ということは充分わかりました。次の説明で最後にします」
「ありがとうございます」
担当者はまた抽斗から紙を取り出した。なにか文字が印刷されている。
「こちらは前世の記憶があり、異世界へ転生した人のうち無作為に選ばれた千人が何歳で死んだかを集計した表になります」
棒グラフは一部を除き全体的にばらけている。一番高い棒、半数近くが生後間もなくから幼児で亡くなっていた。
死因は書かれていない。ここまで極端だと表そのものがでたらめの可能性もある。
「これは、生まれつき体が弱くなる、ということですか?」
「肉体は問題ありません。生まれつき病弱であったり、医療が未発達で幼くして死んでしまう場合もありますが、その中では少数派です」
「では何故」
「記憶があるからです」
「異端として迫害される、と?」
担当者は静かに首を横に振った。
「当たり前のことを当たり前に受け入れられなかったら死ぬんです」
真っ黒で影法師のような彼と目が合う。闇の中に浮かぶ金色の眼は猫のように鋭く俺を射竦めた。
「生まれてから死ぬまでずっと水中で生きる世界に生まれた陸の記憶を持つ人は、周りと同じように水中で呼吸できる体を持ちながら記憶のせいで呼吸ができずに生後間もなく死にました」
「有機物が一種しか存在しない世界に生まれた食物連鎖の記憶を持つ人は、同族のみを食べる世界を嫌悪して食べられる側を選びました」
「どちらの方も次の転生は記憶なしを選ばれましたね。2年待って転生したのにすぐ死んでまた2年待つことになったのだから当然の選択です」
嫌な話を聞いた。待っている2年間感じることのなかった感情を必死で飲み込む。
記憶を持ったまま異世界に転生したら、半分は生き延びることができず、生き延びてもまず幸せになれない。考え直すには充分な情報だろう。
だがそれは俺じゃない。俺はそうはならないかもしれない。
僅かでも例外になれる可能性があるのなら、そのチャンスを逃すものか。
「説明は終わりですか?」
「生き延びにくい、ということはご理解いただけましたか? それでは説明はこれで終わりです。希望の変更はございますか?」
「変更なしでお願いします」
「先程の事例、ふたつとも過去のあなただったとしても?」
「……変更しません」
机の上に載っていた2枚の紙とペンが消えた。残った転生希望用紙が机からふわりと舞い上がり、ほのかに光を帯び始めた。
「わかりました。希望通り受理します」
座っていた椅子の下がいつの間にか真っ黒な穴になっていた。宙に浮いた椅子の上から底の見えない穴を覗く。奈落の底にでも続いてそうだが不思議と恐怖は感じない。なんというか、俺はこれを知っている気がした。
「その穴からあなたの新しい一生が始まります」
「覚えていませんがこの穴を何度も通ったことがある気がします」
「この狭間の記憶は生まれて何年かすれば忘れてしまいますが、きっと魂が覚えているんでしょう。次に会うときはあなたが私を忘れていることを祈りますよ」
「ええ、絶対に忘れてから来ます」
ついに椅子も消え、同時に意識が下へ下へ移動する。
「それでは佳い一生を」
担当者の声はそこでぶつんと消えた。
「お次の方どうぞ」
手の中の用紙を手渡す。
「はい、希望は記憶の引き継ぎなし、ですね。前回と同じ希望ではないようですがよろしいですか?」
あの真っ黒な産道から俺は希望通り異世界へ生まれ落ち、眩暈を起こしそうな悪趣味な景色と家族の吐き気をもよおすグロテスクな容姿にひきつけを起こして死んだ。美的感覚の違いでも人は死ねるようだ。
また俺の順番がやってきて2年ぶりに会う担当者は、金色の眼を三日月のようにして俺を見た。
「ああ。ところで俺は、ずっとこれを繰り返してるの?」
「そうですね。今度はきっと長生きできますよ」
長生きして生と死の狭間のやり取りを忘れて、次に転生するときは記憶を持ったまま異世界に生まれたいと言うのだろうな。
担当者がうんざりするのも今ならよくわかる。
「今回は特に説明はありません。このまま受理します」
それでもまた世界に生まれることにしよう。
知ってる世界でも知らない世界でも、どちらでもいい。今度は真っ白になって生まれた世界に染まって生きる。
「それでは、より佳い一生を」
2年待つのは転生における最終審判が三回忌(死後2年)だからです。