聖女になれなかった女のはなし
人生をやり直すには大切なモノが多すぎた
「聖女様を召喚すればよいのではないかしら?」
その一言で華やいだ雰囲気が水を打ったように静まりかえった。そうさせた当事者である少女はあまりに予想外な周囲の反応に困惑を浮かべる。
そんなに自分は変なことを言ってしまったのだろうか。不安が全身に広がりながら、そっと隣にたつ人に目をやれば心の底からの驚愕と嫌悪を混じえたような顔をしている。
私は裕福な商家の娘だ。
つい最近どうやら前世らしき記憶が蘇り、そしてここが魔法やら剣やらとファンタジーが当然である世界だと認識した。前世と言ったところでまるで映画でも見たような、結局のところそんな事もあったような気がする程度のものだ。
高校1年生くらいまでの記憶しかないので大した知識もない。ただ、チグハグだったモノが1つに纏まるような感覚と共に、それまで熱の出やすかった身体は健康になった。
病弱ではあったが、日本人の気質というか、対人への配慮についての感覚が無意識に残っていたのか、病気を理由に根性がひん曲がることも無く家族や使用人との関係は良好。回復してからは学園に通えるようにもなり、人脈が広がり友達以上、恋人未満といえるような異性もいる。
今日はその恋人未満の男性に誘われたガーデンパーティで、今の関係から婚約者へと昇格出来るのではないかと胸を踊らせていたというのに肌を刺すようなこの空気はなんだというのか。
「冗談でも言って良いことと悪いことも解らない?」
「え、いや……そんなに不味いことを言ってしまったかしら……?」
この国の名前は知っていた。前世で好きだったゲームと同じだからだ。生憎と舞台となる国ではなくその隣国で、ましてやストーリーには全く関係のない人間であったし、舞台となる国の王子たちも名前が違うので時代がズレているのだろう認識もあった。しかし、魔法の力としてはこちらの国の方が大きい。ならば年々増え続ける瘴気を前に隣国の聖女を待つより自分たちで呼んだ方が早いのではないかという安易な考えだった。
「まあ、落ち着きなさい。君の気持ちは分かるが、聞いたところ彼女はこの前まで領地で長らく療養していたというじゃないか。ご両親の教育については思うことはあるが、幸いにも今日は身内しかいないパーティだ。聞かなかった事にしよう。残念ながら我が家との関係は今日をもって無くなる事になるが」
「え!?そんな……」
「そんな?叔父上が私の顔をこれ以上潰さないために聞かなかった事にしてくれていると言うのに!」
そのまま強制的にパーティを退場させられる事になった私は愕然としたまま実家へと連れ帰られ、話を聞いた両親はすぐさま謝罪の為に馬車を飛ばし、私は部屋から出ることを禁じられた。
一体何がどうなっているのか分からない。ただ、自分が取り返しのつかない失言をした事だけは確かだった。
「お嬢様、お茶をお持ちしました。気分が落ち着きますよ」
幼い頃から専属として使えてくれているメイドの気遣いに恥を忍んで今日の出来事を話す事にした。このメイドはありとあらゆる事に詳しく、今までも幾度となく間違いを正してくれてきた。
「お嬢様…これはお嬢様だけの問題でありません。お身体の弱いお嬢様を大事に思うあまり、きちんと教育として聖女というモノについてお話ししていなかった我々にも責任があります。よいですかお嬢様、聖女というのはこの大陸では禁忌とされている言葉なのです。本来なら寝物語として幼き頃から聞かされ、誰しもが知っていなければならない事です」
50年前、隣国で聖女召喚の儀が執り行われました。魔物が増え、水や大地の力が衰えていく事を危惧しての事でした。
そうして現れたのは少女ではなく26歳の女性。文献によると、大抵が20歳未満だったが為に異例ではありましたが、それでもこの世界の基準からすれば幼い顔立ちに、だれも正しく年齢は知りえなかったことでしょう。なにより聖女であると誰しもが確信するような出で立ちでした。
その女性は白い着物と頭には綿帽子と呼ばれる白い被り物をしていたのです。
「……結婚式…」
「ええ、ですが白無垢に綿帽子という格好は聖女としてはおあつらえ向きでした。この世界にはない異色な風貌がより聖女としての威厳に映ったでしょうね」
何が起きたのか分からず女性は大いに取り乱しました。それを何とか宥めた王様たちが説明をしました。過去の文献と同じく、納得してもらうために多くの報酬と共に頼みましたが、女性は帰りたいと泣き叫んだのです。
当然です、訳の分からない場所で突然あなたは聖女だといわれ、我々の世界を救ってくれ?
なんて、なんて!馬鹿な話でしょう!
衣食住の保証?この国の妃に?宝石や城?そんなものに!なんの価値があるのか!何でも願いを叶える?だったら!願いなど最初から決まってるではありませんか!
聖女の望みは1つです。帰りたい。
家族の元に、友達の元に、職場の仲間の元に、なによりも心から愛しこれから共に生きて死ぬことを約束した唯ひとりの元に帰りたいと。
聖女は問います。救えば帰れるのかと。
王様が答えます。戻るすべは無いと。
聖女は問います。死ねば帰れるのかと。
王様は答えます。知る術はないと。
聖女は問います。救わないとどうなるかと。
王様は答えます。次の聖女を呼ぶための供物になってもらうと。
「お嬢様、間もなく…いえ、明日にでも隣国は瘴気に包まれます。国民は外に出る事もできずに枯れた大地に骨を埋めることになります。そして、その瘴気はいずれこの大陸を覆いきるでしょう。だってここには、この世界には私の大切なものなんて1つもなかった!自分たちは愛する人を近くに置きながら!私から引き離した癖に、助けて、守ってと!死なせたくない人がいるんだと!縋ってくる!」
王様の命で騎士から剣を突きつけられても聖女は叫び続けました。うるさい、ふざけるな、何が助けてだ!
私の愛する人は誰もここにいないのに、何を守れというのか。
殺してくれた方がいい。
戻れないなら死んだ方がいい。
もしも、死体が向こうに行くのならまだ救いがある。
私の家族と恋人は、突然消えた私を諦めきれないまま生き続ける事になるのだ。
死体があれば、死んだことが分かれば次に進めるかもしれない。その事実を抱えて生きていけたかもしれない。
でも、突然いなくなられたら、きっと諦めきれない。
心の底から愛されていたのを知っている。
なによりも大事にしてくれていたのを知っている。
好きで、大好きで愛おしくて、抱きしめられた時の幸福感も、キスしたときの充実感も、結婚してくださいと言われた時の全身に染み渡る愛情も、世界を超えても何一つ私は忘れられず、諦めきれなかった!
王様たちは直ぐに新たな聖女を召喚し直す為に、女性の心臓を貫き生贄にしました。しかし、手順を踏んでも新しい聖女は現れません。遺体は森に捨てられました。そうです。瘴気の発生源と言われる森です。
「聖女はこの世界を呪いました。全ての生き物を呪いました。神さえも呪いました。魔物が、どうして人の住む所に来たのかなんて簡単です。瘴気から逃げてきているのです。この世界の全てを消しさろうとしている呪いそのものが聖女なのです。この世界の人間は、いつか聖女の怒りが収まるのを待っているしかないのです。聖女なんて声に出すことも恐ろしいのです。瘴気が飛んでこないように。気づかれないように結界を張って隠れるようにこの国は生きながらえているのです。聖女の怒りが隣国だけで収まるの願っているのです。そんなこと、無意味なのに。この世界を呪っているのに。何度生まれ変わっても私が忘れるはずが無いのに」
お嬢様、あなたはね次に選ばれるはずだった聖女なんですよ。私が邪魔をしたから記憶だけがこちらの世界に来てしまったんです。フワフワと何十年も記憶だけが彷徨って、お腹の中で死にかけていたお嬢様の身体と1つになったんです。
「懐かしい日本の記憶をもつお嬢様。あなたの気遣いは私の大好きな人達を幾度となく思い出させてくれました」
だからせめて、お嬢様が寿命を全うできるようこの国は最後にしようと我慢しているんですよ。
そう、にっこりと笑うメイドは泣き疲れた子どものようにも見えて、ただただ心臓が痛かった。
転生ではなく転移は辛すぎるよね