予想外な事実
宗中が話し終えても、先野はまだ黙ったままだった。しばらく沈黙していたが、やおらメモをとっていたシステム手帳をパタンと閉じ、
「わかりました……」
「参考になりましたでしょうか」
「ええっと……そうですね……」
思わず難しい顔をしていたようである。
「捜索を続けます」
先野は宗中邸を出た。雨が降り出していた。
事務所に戻るクルマのなかで、聞いた話を反芻した。まったくもって、出来すぎた馴れ初め話だった。そこに作為的なものを感じた。
ジョギングしていたりジムに通っているのなら運動神経もいいはずだ。なのに、宗中にぶつかって転ぶ──そこからして怪しかった。派手に転んだとしても足を痛めてなんかいないかもしれない。
馴れ初めにしても、そんなに簡単にコトが運ぶものだろうか。引っ越してきたばかりで友人がいないとはいえ、六十をこえた男に恋心を抱くとは思えなかったし、そこからの行動が異様に早い。運動をしているのも、健康体である外見を保って、子供が作れるように見えるため、ともとれる。
なにからなにまで、あやしい。
これが宗中の財産が目当てだというなら、まだわかりやすい。だが失踪した。しかも計画的に失踪している。突発的な事故や事件ではない。最初から姿を消すのがわかっていて、なぜ、宗中と接触したのか……?
そんなターゲットを捜索するとなると、けっこう骨が折れるだろう。
だが──。
(必ず見つけ出してやる)
先野はいつになく燃えていた。
とはいえ、結婚まで決めた相手だというのに、宗中総一は、桃崎杏南の個人情報について恐ろしく知らなかったこともあって、捜索は難航していた。勤めていた職場も知らないし(名刺ももらっていなかった)、出身地も知らなかった。そのうえ、桃崎自身も巧妙すぎるほど痕跡を残していなかった。あのマンションでは、近所の人もいちいち他人に関心がないから、聞き込みをしてもたいして成果があがらない。
近所に聞きまわるも、「そんな人、見たことない」という反応ばかりであった。二ヶ月あまりしか住んでいないなら、近所づきあいもなにもなさそうだから仕方ないかと思えた。隣室の青年はたまたま知っていた、ということで、あまり積極的な交流はないようだし。
宗中といっしょに行ったという飲み屋にも行ってみた。
写真を見せ、「この人、見たことないですか?」と尋ねてみても、「おじいさんらしき男性といっしょでしたね」という答えしか帰ってこなかった。
一人で来ていたり、宗中ではないほうの中年の男性といっしょだったという目撃談は聞けなかった。
「お客さん、その女性のなんなんですか?」
詮索好きのバーテンや女将に逆に問われると、
「振られたんだよ」
それで通した。
すると、
「二股かけているようには見えなかったなぁ……」
意外そうな顔をされた。
「二股どころか、三股も四股もかけていたのかもな」
同情されて奢ってもらった杯を飲み干し、先野はそう言った。
なかなか進展しない調査だった。
が、それでも新たな事実がわかった。
スポーツジム「ウィットハウス」。
一階が駐車場、二階が競泳用の二十五メートルプール、三階に各種運動器具を揃えたスペースという立派な施設であった。安全に運動できるようトレーナースタッフが見回り、最近流行のホットヨガも教えた。
階段で二階に上がると、明るく広い玄関の右側に受付があった。左側は靴棚で、ここで運動用シューズに履き替えるようになっているらしい。奥には男女の更衣室のドアが色分けされてひとめでわかるようになっていた。
先野は、受付カウンターの向こうにいた黄色いスタッフTシャツを着たショートヘアの女の子にスマホの写真を見せた。
「すみません、この人、こちらへ来ていました?」
スマホの画面をカウンターごしに身を乗り出して見た女の子は、「あっ、はいはい」とうなずいた。
「よくご利用いただいていました」
「今はぜんぜん?」
「あー、そういえばそうですね。一ヶ月ほどお見かけしませんね。でも、そういうお客様は多いですよ。運動しようとジムに入会したものの、実際にはなかなか続かないんですよね。でも弓野さんはそんな感じじゃなかったんですけどね……」
「えっ? ちょっと待ってください」
先野はつばを飲み込んだ。
「弓野さんって……? 桃崎さんではなくて?」
「はい。弓野さんです。当ジムでは、なにか事故が起きたときのための保険に加入していただくために、身分証明書を提示してもらっています。ですから、お客様の名前も確認しています。桃崎さんという名前ではなかったと思いますよ」
一応、確認してみます、と言って、彼女は受付奥のバックヤードへ入っていった。ほどなくしてA4のファイルを持ち出してきた。さっと中をめくり、目的の入会カードを見つけると、免許証のコピーの小さな写真と見比べ、
「間違いないですね、弓野さんです」
「……………」
黙りこんだ先野の反応を見て、受付の女の子は、余計なことを言ってしまったかな、と気まずい表情をした。知ってはいけないことを知ってしまったかのように。
「あのう……ご入会されますか?」
動揺して、ついトンチンカンなことを言ってしまう。
「いや、入会はいいよ。ありがとう」
先野は回れ右して出て行った。
その後ろ姿を見送るスタッフの女の子は、この後なにが起きるのだろうかと、心配そうな表情をしていた。
駐車場でクルマに乗ろうとしたときに、電話がかかってきた。会社からだった。
「はい、先野です」
「お勤め、ご苦労さま」
興信所のマネージャだった。探偵の仕事の進捗状況をみて、人員の配置を検討する役目を担っていた。各探偵の性質を見極め、滞っている案件があれば人員の強化をしたりするのだ。
「いま、いいかしら?」
ねっとりとしたオネエ言葉が耳元でささやくように。
「なんでしょう?」
「先野さんにサブをつけるわ」
「順調に進んでいると思っているがな」
サブをつけられる、というのは、調査がすすんでいない、というのを意味する。なるべくならサブをつけずに完了したい先野であるが。
「ともかく、一度、事務所に帰って。打ち合わせをしますから」
伝えたいことを告げると、通話は切れてしまった。
先野は舌打ちした。
事務所に戻ると、三条愛美が声をかけてきた。
「わたしが先野さんのサブに入ることになりました。ちょうどわたしの担当していた依頼案件が片づきましたので、さっそく調査に出ます」
「いきなりか……」
先野は棒でも飲み込んだような顔をした。
「サブはハラショーじゃないのか?」
「ちょっとてこずっているようですから、原田くんじゃ無理でしょう」
「まぁ、それはそうだな……」
探偵として駆け出しの坊やである原田にまかせるには荷が重いだろう。桃崎杏南は最初から存在しなかった。いや、いたにはいたが、偽名を使っていたという時点で、追跡が困難になってしまっていた。
「わかった」
先野はうなずいた。三条が優秀なのは、だれもが認めるところであった。一人で解決できずサブを入れられたことで、ますます独立の夢が遠ざかっていくようで不本意であったが、やむを得ない。
「じゃあ、これまでの調査経緯を説明しよう」
事務所の隅の会議机に移動した。




