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しんどい興信所の超常探偵  作者: 赤羽道夫
花嫁の夢を見ていた
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桃崎杏南の痕跡

 都会の雑踏にまぎれてしまいそうな六階建てのワンルーム賃貸マンション。駅からは徒歩七分で、近所にはコンビニエンスストアやスーパーマーケット、コインランドリー、美容院、携帯電話ショップ、診療所、銀行があって、暮らしていくにはかなり便利な立地だ。靴や洋服だって、電車で数分のターミナル駅に出ればすぐに買えてしまう。

 その代わりごちゃごちゃとして騒々しい。ミニバイクのエンジン音が遠ざかり、梅雨時の曇り空を隠す背の高いビルの間を往きかうカラスの鳴き声。どこかから聞こえてくる音楽……。

 先野は住所のメモ書きを頼りに、目的の賃貸マンションの前に立っていた。事務所内にいるような白いスーツではなく、目立たないポロシャツとチノパンに着替えて、いよいよ本格的な調査開始である。

(ここか……)

 消しゴムみたいな細長いマンションだった。玄関の入り口上に「クレアセトル西森町」とマンション名が金色の明朝体で貼ってある。

 蛍光灯が一部消えていて薄暗い玄関に入ると、左手側にステンレス製の各戸郵便ボックスが取り付けられている。郵便物の投入口から広告のチラシがはみ出していたが、桃崎杏南の住んでいた202号室はガムテープでふさがれていて、住人がいないのは明らかだった。

 玄関の奥には茶色い扉のエレベーター。ボタンを押して扉を開けると、定員五人の小さなエレベーターは少し金臭かった。落書きを消した跡のあるそれで二階へと移動する。

 202号室には表札もなかったが、他の部屋も表札のないのが多く、おそらく迷惑な訪問者が来ないように警戒しているのだろう。

 呼び鈴を押すと、チャイムは鳴った。電気は契約されていないだろうから、呼び鈴だけは別系統なのかもしれない。というか、電池式か。

 空き室なので、当然、反応はない。しかし先野はもう一度押してみた。さらにもう一回。

 すると、隣室のドアがそっと小さく開いた。メガネをかけた気の弱そうな若い男が顔を出して、

「そこ、空き室ですよ」

 何度も呼び鈴を鳴らすので、さすがにたまりかねた様子で。しかしこれこそ先野の思惑だった。

「あっ、そうなんですか? 困ったなぁ……。いつ引っ越したんですか?」

 と、わざとらしく尋ねる。

「さぁ……。気がついたら、いなくなってました。ひと月ほど前かな? 借金の取り立てでしたら、ボクには関係ないですから」

「いやいや、私は探偵でしてね。ちょっと人を捜しているんですよ」

 率直に打ち明けた。こういう引きこもり系の青年は非日常的な出来事を欲している。探偵なんてフィクションではあふれるほど描かれているのに、現実に会ったことがある人はそうそう多くなく、ミステリアスな匂いに魅かれてしまうに違いない、と思った。

「探偵?」

 案の定、ドアが大きく開いた。

「ここに住んでいた人について、なにか知ってますか?」

「あ、はい」

 青年は身を乗り出してきた。隣室の住人が若い女ということもあって、ひそかに好意を抱いていたのだろうか。でも正面から接触できず、悶々とした気持ちで壁にのぞき穴でもあけていたかもしれない。宗中から桃崎杏南の写真を見せてもらったが、なかなかの美人だし、青年がそんな気持ちになるのも無理ないだろう。

「桃崎さんといって、三ヶ月ほど前に引っ越してきたんです」

 青年は話してくれた。

「三ヶ月ほど前?」

「そうです。仕事はなにされているか知らないですけど、家をあけている時間が不規則なので、普通のOLではないですね。それと……毎朝ジョギングに出てますね」

「だれか訪ねてくることはなかったですか?」

「何度か男の人が来てましたね。このマンション、壁が薄いから声が聞こえるんですよ。恋人なのか家族なのかわかりませんけど、ただ、声が違ってたので、一人ではなかったようですね」

「ほう……。一人が父親で、もう一人が恋人……かな?」

「さぁ……。僕もバイトがあって、いつも家にいるわけじゃないので、それ以上はわからないですが。外泊が多かったですね。一週間も留守にしてたり。ま、実家に帰ってたのかもしれないですが」

「桃崎さんと外で会ったことはありますか?」

「一度だけ近所で見かけましたよ。スーツ姿のおっさんと歩いてました。こっちには気づいていなかった感じでした。あの人が恋人なのかな。父親というには若かったし、会社の上司と部下みたいで」

「それはいつの話?」

「ええっと……、うん、二ヶ月ほど前かな。ゴールデンウイーク中でしたから。覚えているのはそんなところかな?」

「ありがとう」

 よくしゃべる青年だ。しかしいい情報が手に入った。

 先野は名刺を差し出す。

「もしなにか思い出したら、そこに連絡してきてくれますか?」

「あ、はい、いいですよ」

 青年はニヤッと気持ちの悪い笑みを浮かべて名刺を受け取る。

「ところで、桃崎さんって、なにかやらかしたんですか?」

 名刺をまじまじと見つめて、青年は興味津々といった目で尋ねる。

「うむ?」

 先野はここでいたずら心を起こした。

「それは秘密なんだが……協力してくれたお礼に特別に教えよう。実はある事件にかかわっているんだけれど、警察より先に接触しないといけないんだ。でないと無実の罪で苦しむ人がいるんですよ」

「へえ!」

 青年は目を輝かせた。

「おっと、だれにも言ってはいけませんよ」

「はい、もちろんです」

「では、失礼しますよ」

 先野は笑顔で一礼すると、マンションを辞した。

 予想外に情報をつかめた。

 先野はメモをとって整理する。重要なのは次の二点。

 まずひとつ、

 ──ここに越してきたのは、三ヶ月ほど前。

 宗中と付き合いだしたのは、三ヶ月ほど前ということで、ちょうど引っ越した直後ということになる。それからわずか二ヶ月で退去して行方不明。もともとワンルームマンションの住人は長くは定住しないので、そんなこともあるのだろうが、二ヶ月はさすがに短すぎる。引っ越した、というが、本当か? 荷物を残してはいないのか?

 そして、もうひとつ、

 ──宗中ではない、男の存在。

 恋人である宗中のほかに、もうひとりの男の存在があった。父親ほど歳は離れていない……。職業がOLではないとなると、水商売関係? その男は常連客?

 そこまで考えて、先野の頭の中でいやな想像が駆け巡った。

 もし桃崎杏南に惚れた中年男が、宗中との仲を知って激昂にかられ、彼女を殺して死体をどこかへ遺棄したとしたら……。

 何ヶ月かしてどこかの山中から桃崎の死体が発見されたりすれば警察が動く。身元が判明され、組織力をもって桃崎の交友関係を洗って犯人が割り出されるだろう。

 もちろん、そうなってはもう探偵の出る幕ではない。さっさと警察に下駄を預けることになる。

 桃崎の周囲をかぎまわっていたとして、先野が警察から取り調べを受ける可能性もあった。まさか、とは思いたいが、ありそうな展開ではないかとブルーになった。さきほどでまかせで青年に話したことが現実になってしまう?

 だがその想像はウラのとれた話ではない。もっと調べる必要があった。


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