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しんどい興信所の超常探偵  作者: 赤羽道夫
恋人は夜にいきる男
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虎穴に入って得た虎子

「きみはキュートだけど、見かけよりずっと大人なんだね」

 クッションのきくゆったりとしたカップルシートに並んで座ると、パロッティーニ悠也は微笑む。白人の血が入ったその顔で、「アイ・ラヴ・ユー」などとささやかれたら、女ならたいがいコロッと落ちてしまうだろう。

「よく言われるわ」

 三条も微笑み返す。

 カップルシートは個室に設えられ、他からの視線は完全にさえぎられている。二人っきりの空間は間接照明がやや薄暗く、ちょっと過剰なぐらい落ち着いた雰囲気を醸し出していた。かすかに流れる音楽は、耳をすまさなければ聴こえないほどで会話の邪魔にはならない。テーブルに運ばれてきた赤と青のカクテルの色が浮き上がって見える。

「積極的な女の子は魅力が倍増するものだね」

 と、パロッティーニの甘いささやき。

 会話がうまかった。とにかく女性をほめちぎり、いい気分にさせてくれる。そのほめかたも的確で嫌味なく、三条は、これはたしかに心を動かされるだろうと、パロッティーニの話術に舌を巻いた。歯の浮くような台詞でも、彼の口から出ると甘美な波となって脳が痺れるのだった。

「あなた、とても言葉が上手ね……。どの女の人にもそんなことを言ってるんでしょ?」

「そんなことないさ。きみは特別だよ」

 カクテルのアルコールが体に滲みていく。

 互いの距離が次第に短くなって、けれども悪い気はしない。

 ストレスを与えあうような社会に疲れて、そんなときに彼と出会って癒されたなら、もう身も心をゆだねてしまいたくなる。

 しかし、これは仕事だ──。

「今夜は楽しもう」

 パロッティーニの顔がさらに接近してきたとき、三条はポケットに入れていた手を引き抜いた。目の前で拳を開く。

「うわあっ」

 パロッティーニは悲鳴をあげた。三条を突き倒し、顔を背けて目を覆う。

「本当に効くとは思わなかったわ」

 三条の手のなかにあったのは、一つの十字架だった。

「念のために、有名な教会の牧師さんにお祈りをしてもらったのが良かったかも」

 パロッティーニが恐怖のこもった目で振り向く。両の瞳は金色に変じ、口からは二本の牙がのぞいていた。イケメンが、背筋がぞくりとするような凄みのある顔になっていた。

 三条はさらに十字架を突き出す。

「毎夜毎夜、女の人の血を吸い続けないと生きていけない体なのはわかったけれど、早奈さんとはどういう関係なの?」

「おまえ、早奈のなんなんだ? 早奈には近づくな! 早奈はおれの……」

「おれの……なに?」

 パロッティーニはうなった。

「くそぅっ」

 悪態をついてカップルシートから立ち上がると、コンパートメントから逃げるように出て行ってしまった。

 三条は追わない。十字架を掲げたまま動けなかった。

 たっぷり1分ほどしてからようやく手を下ろした。

 体が震えていた。心臓の鼓動の音が耳に届くみたいに激しく打っていた。まるで全力疾走した直後のように呼吸が荒くなっていた。

 用意はしてきたものの、ジップロックに入れたニンニクは、店内に匂いが充満するので出さなくてすんでよかったが、まだしばらくは持っていたい気分だった。

 スマホが呼び出し音を鳴らしている。三条はハンドバッグから取り出して、画面を見る。先野光介からだ。通話アイコンをタップする。

「だいじょうぶか? さっきパロッティーニ(きゃつ)が大慌てで店から出てきたが、なにがあった?」

「追いかけてるんですか?」

「いや、見失った。というか、犬みたいに速くて追いかけられなかった。オリンピックの短距離走者もかくやというスピードだったぞ。いったい、どうなってるんだ……」

 先野の驚きが電話ごしでも伝わる。

「そうですか……。わたしは無事です。今から店を出ます」

 ようやく鼓動が元にもどりかけてきた。

 数日前──パロッティーニ悠也と女がホテルに入った翌朝、先野が先にホテルから出たパロッティーニを追っていたが逃げられ、コンビニでへたばって寝落ちしていたちょうどその頃、三条は朝になってようやくホテルから出てきた女と接触した。

 心が抜き取られたかのような女を通りがかりに見つけたという偶然を装って、気遣っているフリをしつつ話を聞いているときに、それに気づいた。

 首筋に残った2つの傷跡。できたばかりの赤い点のようなかさぶたが5センチほど離れてついている。

 パロッティーニ悠也の、人間離れした体力や、夜中にしか出歩かないこと、毎晩のように置き去りにした女の子は記憶がなくなっていて──。

 まさかとは思ったが、それらを総合して三条が出した結論は見事に的中したのだった。

 しかし店の外にいた先野に、正直にそれを話したものかどうか迷った。

「とりあえず、なんともなくてよかった」

 先野は一瞬、安堵の表情を浮かべたが、すぐに不機嫌な顔になり、

「おれに断りもなく勝手なことをするんじゃない、これはおれの依頼なんだからな」

「すみません」

「まったく……。なにもなかったからいいようなものの、いくら探偵といっても危険に飛び込んでいくような調査は感心しねぇな……。で、なにか、わかったのかい?」

「たぶん、パロッティーニさんにとって、早奈さんは居場所を提供してくれる人なんでしょうね……」

「どういうことだ?」

「大事な女性ひとってことですよ、文字通り」

「女遊びが激しくても、早奈さんだけは特別ってことなのか……? まぁ、とにかく、今夜で調査は終わりだ。帰るぞ」

 先野はきびすを返す。

「あの、先野さん」

「なんだ?」

「せっかくこんな繁華街に来たんですし、どこかで飲んでいきません? お疲れでなければ」

「なんだって?」

 歩きかけて、先野は振り返る。

「おごりますよ、ご心配をおかけしたお詫びに」

「女におごってもらうのはおれのポリシーに反する。それにもう10時をすぎてるんだ、夜更かしは美容によくないぜ」

「あら、そうですか。残念。じゃ、駅までいっしょに──」

「おれと並んで歩くなよ。おれのほうが身長が低いから、きみがでかく見えてしまう」

「気にしませんよ、そんなこと」

 先野の態度はいつもとかわらない。だが、さきほど一か八かの怖い目に遭ったばかりの三条は、もう少し寄り添ってほしいな、とも思うのだった。

 そこが、先野の少し残念なところだった。

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