女と男の間で悩むのは
それは昨日のことであった。
先野光介のもとに一件の依頼が舞い込んできた。事務所に併設された面談スペースに会ったのは、50代とおぼしき疲れた顔の陰気な婦人であった。
興信所を利用しようという人間は、だいたい暗い雰囲気を漂わせていた。当然だろう、悩みがあるから相談に来ているのだから。悲壮感いっぱいで、すがるような気持ちでいる。金銭で解決しようというからには、相当な決心をしたわけで、無理もない。
バッチリ化粧をしているが、心までは隠せない。
そんな依頼者を安心させるのが探偵の仕事なのである。
「どうもお待たせしました」
パーテーションで区切られた面談スペースに入った先野は、口元に微笑をたたえる。本人は依頼者にリラックスしてもらう効果を狙っているが、気持ち悪い印象しか与えなかった。さらに全身真っ白な上下のスーツとソフト帽が、もうなにかのコスプレにしか見えず、こんなところに相談に来てだいじょうぶだろうかという不安をつのらせてしまう。が、もちろん先野はそんなことに気づかない。
「大船に乗ったつもりでお任せください」
そういう大げさな物言いが、逆に胡散臭さを倍増しているのに。
「はい……」
明らかに戸惑っているのが、その「はい……」の一言に表れていた。
が、先野は動せず、名刺を差し出す。
「担当の先野と申します」
依頼者の真向かいに腰を下ろし、分厚いシステム手帳をテーブルに置き、シャーペンの芯をカチカチと出す。
「お話をどうぞ」
仕方ないな、とため息をつき、紙コップのお茶を一口すすると、婦人は、実は……と口を開いた。
「わたしの一人息子のことなんです」
線田英翔、21歳。地元の高校を卒業して、就職。
どこにでもいる、ごく普通の若者である。仕事ぶりは真面目で、無断欠勤などなく、浪費癖もない。
親に心配などかけたことのない、いってみれば、素直なよい子なのである。
ところが、あの女が、と憎しみをたたえた声音で依頼者は忌々しげに言うのである。
30歳をすぎた女が息子をかどわかしている。このままでは息子の人生は台無しにされてしまう。あの年増女が何者なのかは知らないが、なんとか息子を助けてほしい──。
いままで隠し事なんかしなかった息子がなにも言ってくれないから、興信所を頼るほかなかった、と依頼者はしまいにはメソメソと泣き始めた。
「それはお辛いでしょう」
先野は依頼者をいたわる言葉をかけた。
依頼の内容としては、さして珍しくない案件だった。ただ、別れさせるというのはそう簡単ではない。だれもが知ってのとおり、昔から男女の仲というのは理屈では割り切れないところがある。周りからみれば、絶対にうまくいかないだろうと思って(事実、ほどなくして破綻することが多い)いるのに、当人たちは聞く耳を持たない。大きな傷を負う前に、なんとか正常な判断力を取り戻してほしいと願うが、真正面から説得しようとしても、ますます意固地になるばかりで逆効果になりがちである。
しかし、依頼されたからには、なんとかせねばならない。
勝算があるかどうかはわかならいが、ともかく依頼者の気持ちに寄り添い、胸をたたいて引き受けるのが探偵たるもの、というポリシーを持つ先野であった。
「その辛いお気持ちを軽くできるよう、精一杯、努めさせてはいただきます」
「よろしくお願いします……」
ハンカチを握りしめ、依頼者の婦人は頭を下げた。




