依頼者の優雅な日常
ジャガーを運転してたどり着いたところは、国道から少し外れた住宅街に近い一軒家を改装したと思しきフランス料理店だった。
赤い屋根と純白の壁はヨーロッパ風の外観。控えめな看板には「Yamakura」とあり、フランスで修行して帰国後、一流ホテルのレストランで料理長まで上り詰めたのち独立しましたというオーナーシェフがいそうで、その名前がたぶん山倉なのだろう──と、五台ほどしか停められない駐車場に軽自動車を入れ、先野は想像を膨らませた。
こんな店で昼食とはいいご身分だな、とつぶやき、だがうらやましいとは思わなかった。──どのみち、おれのスタイルには似合わない。
ここはよく来る馴染みのお店なの、と麗亜は嫌味なセリフを吐く。
「あなたもいっしょにどう?」
先野は運転席の窓を開け、玄関へのアプローチへと歩き出す麗亜に向かって顔を突き出した。
「いえ、遠慮しますよ」
こんなかしこまった店で、しかもボディガードという立場でテーブルをいっしょにしたところで、美味くもなんともないだろう。せっかくのフランス料理の値打ちが損なわれる。もちろん値段のことも気になる。領収書をもらっても経費で落としてはくれないだろう。だからといって、食べずに麗亜の横で召使いのように立っているなんていうのはもってのほかだ。
「私はここで待っています。仕事ですから」
丁寧に断った。
「あら、そう……」
「いつものように振舞ってください」
「わかったわ」
店の玄関に向かおうとして、麗亜は足を止める。キョロキョロと周囲をうかがう。
「どうしました?」
「誰かに見られているような……」
先野は弾かれるようにクルマから飛び出す。注意深く周囲を探った。
だが不審な人物どころか、人影さえない。
「どこにいるんです?」
ささやくように尋ねた。
「気配が消えたわ。もうどこかへ行ってしまった」
気のせいではないのか、というセリフを飲み込み、先野は念のため駐車場から歩道へと出てみた。左右を確認するも、なんらかの気配を感じさせるような存在は目に入らなかった。クルマで逃走した可能性もあるが、その可能性はかなり低いだろう。
誰もいませんでしたよ、と振り返ったときには、麗亜はもう玄関ドアを開けて店に入っていくところだった。先野は憮然とした。
軽自動車に戻り、車内から周囲に視線を配る。本当にストーカーが現れるかどうか見張っていなければならない。
曇り空を見上げ、雨が降りそうだな、と思う。
今日は寒い日だ。最高気温も一〇度に届かない予報だった。しかし雪がちらつくほど寒いわけではない。
うっとおしい天気だな、と思いつつ、グローブボックスに入れていたゼリー飲料を引っ張り出す。カロリーは少なめでも糖分だけは補給して頭をはっきりさせておかなければ。
前の道路を行きかうクルマや、ほんのときたま横切る通行人に注意を払うが、不審な人物がこちらをうかがってるということはなかった。
眠くなってきた。
最初から「いない」と決めつけてしまうのはよくないが、極めてその可能性が高いと思われる以上、どうしても気がゆるんでしまうのは避けようがない。
二時間が経過した。ゆっくりした昼食だった。
優雅なフランス料理の昼食ならそれぐらい時間がかかっても不思議ではない。先野としては、忙しくあちこちうろつきまわってくれるよりはよほど楽だから大歓迎だった。
このまま夜になり、原田と交代する夜九時ごろまで何事もなければ万々歳である。
だが──。
妄想の原因はなんだろうと、ここで先野は原点に立ち戻って思い返した。なんらかの気配を感じたからこそなのだろうが……それが誰にでもわかるものではなく蒼宮麗亜が脳内で感じられるものなら手の打ちようがないが……なにか、ストーカーの気配共通の客観的にわかる現象でもあれば、それを指摘して現実をわからせることもできるのだが……。
麗亜が店から出てきた。
先野のもとへ来る。
「誰か不審な人物がいましたか?」
先野は窓を開け、いいえ、と首を横にふる。
「ここまでのところ、異常ありません」
「そう……」
「今日は、現れないかもしれませんね」
半笑顔で水を向けてみた。
「油断しないでください」
ぴしゃりと言われた。そして、
「しょっちゅう気配を感じるんです。さっきも、ぜったいに誰かがわたしを見ていたんです」
先野は笑顔を引っ込める。さっきというのは、昼食前の出来事だ。誰もいなかったが。
「必ず尻尾をつかんでみせますよ」
心にもないことを言った。
「で、次はどちらへ?」
「今日はもう家に帰ります」
「帰るんですか」
まだ三時半をすぎたところである。
「忙しいのは嫌いなんです」
「帰ってからは……?」
「午後はゆっくりくつろいで、それから夕食を作ります。美容と健康には気をつけていますので、メニューを考えて」
「明日は……?」
「明日はエステです」
「はあ、そうですか……」
仕事はなにをしているのだろうか。その外見と身のこなしを見るにつけ、しみじみ「労働」という言葉が似合わない。モデルでもしている、というなら納得しないでもないが……そうなのか?
麗亜はコートの裾をひるがえし、ジャガーのドアを開ける。
先野はふっと息を吐くと、軽自動車のエンジンをかける。




