妄想が止まらない 依頼についての先野の所感
「そんなはずはありません! ぜったいに誰かに狙われているんです!」
依頼人である女は目をむいて抗議した。丸顔の真ん中で目が危険な色をしていた。
それに対して、四人掛けの白いテーブルをはさんで座っている男は冷静だった。なだめるような、というより、まるで相手にならないといった感じで受け流す。
「では、もし実害がありましたら、申し出てください」
先野光介は室内にいるにもかかわらず白いソフト帽を目深にかぶり、鍔ごしに依頼人の女を冷気をたたえた目で見返した。
女は鬼のような形相で立ち上がる。その勢いでイスが後ろへ倒れるが、女は気にしない。太った体を仁王立ちにして、先野を睨めつける。白のスーツ姿というのが、どこかしらからかわれているようにも感じられて。
「こんな調査結果ではお金は払えません。返してください!」
「それはできません。きちんと調査はしたのですから」
「こんないい加減な調査で!」
依頼人は納得しなかった。この手の依頼者はしばしばいた。
「意に沿わない調査結果が出ることはよくあります。しかし我々は物的証拠を積み上げて、極めて客観的に判断しています。その結果、ご依頼人であるあなたさまは、誰からも、いかなる攻撃もされてはいない、と結論されました。電波攻撃などされていないし、通りすがりのおじさんが敵意を見せたこともありません」
あくまで先野は冷静に振る舞う。テーブルに置いた報告書を押しやるが、依頼人の女はそれを受け取ることなく、
「訴えてやるわ!」
大股で、パーティションで仕切られた面談コーナーを出ていった。
服がはち切れそうなその背中に向けて、先野は言った。
「お好きにどうぞ。訴訟をお待ちしております」
興信所「新・土井エージェント」の事務所──。
依頼者に渡すはずの報告書を小脇に抱えて面談コーナーから事務室へと戻ってきた先野を、三条愛美が見とがめた。
上下のスーツは純白で、赤いネクタイが紫のシャツの真ん中で揺れる謎のファッションを貫き通す先野に向かって、三条は、どうでした、と尋ねた。
今回の依頼は、先野が二人の探偵とともにつきっきりで半月間、調査を実施した。
自分は何者かに攻撃されている、だからボディガード必要で、攻撃してくる者を排除してくれという、どう考えても妄想としか思えないような依頼だった。調査する前から結果は明らかだった。
「バカバカしい依頼だったぜ」
先野は自分のデスクにつき、どっかとイスに腰を下ろした。
「何者かからの攻撃って、なんで依頼人が攻撃されるんだってんだ。あげくのハテに電波で攻撃されているときた。やってられん」
報告書を無造作にデスクに放る。
「ご愁傷様でした」
三条は同情した。この手の依頼は本当に疲れる──過去、同様の案件を担当したことがあったから、先野の気持ちは理解できた。
「なんだって事務所はこんな依頼なんか引き受けたりするんだよ」
依頼内容は事前に電話で聞いて審査される。あまりに現実離れした依頼だとその時点で断られるのだが。
「まぁ、仕方がなかったんでしょう。会社にもいろいろと事情があるようですし」
どんな事情があるのか、皆目見当もつかない。
「冗談につきあって、本当に困っている人の力にならなくて、なにが探偵だ」
先野は探偵としての哲学を語った。
「警察でも法律でも医者でも助けられない人のために探偵は存在している。精神障害なら医者の出番であって、おれたちじゃない」
「…………」
もっともな言い分に、三条はうなずくしかない。
「で、なんの用だい?」
先野は三条に訊いた。雑談をするために先野に話しかけてきたわけではないとわかっていた。
「お疲れのところ悪いですが、三時から依頼人との面談が入っていますから、その確認です」
「というと……次の仕事は三条さんと組むわけか……」
パソコンで、入っている仕事の予定は承知していたが、三条と組むことは見逃していた。
「わたしと組むのは不本意で?」
「いや、そんなことはないさ。きみはきわめて優秀だ」
先野は壁の時計を見る。二時四〇分。
イスから立ち上がる。
「ちょっとタバコを吸ってくる。十分前には戻るから」
ポケットの手を突っ込み、事務所の外の非常階段にある喫煙所へと出て行った。
依頼人は蒼宮麗亜と名乗った。三十代とは思えないほど若く見える。艶のある黒髪、派手ではないが、しっかりしたブランドのスーツ。かすかなコロンの香り。一見、悩みとは無縁の印象だが……。
しかし、面談コーナーで三条とともにひとしきり話を聞いた先野は正直げんなりとした。今しがた調査報告をした依頼内容とそっくりだった。
「わたしに気があるなら正面切って話しかけてくればいいものを、こそこそ隠れて見ているだけで恋愛感情を膨らますなんて、性格のひん曲がった気の弱い男に違いないです。そんな男は、たとえお金持ちだとしても交際相手としては願い下げだわ」
先野の服装など気にもとめず、いるかいないかわからないストーカーに対し、麗亜は文句を言う。
先野はため息しか出ない。
「とにかく、ストーカーが何者かをつきとめればよろしいんですね」
三条が確認する。
依頼人は大きくうなずいた。
「そうです。ここへ来るときも、つけられていたような気がするんです」
それは妄想だろ……と先野は喉から出かかった。それを顔に出さないように気をつけつつ、システム手帳にメモを取る。
麗亜は、提示された手付金に、これでじゅうぶんですわね、と札束をテーブルの上におく。
「多めにお渡ししますので、きっちり調査してくださいな」
この気前のよさ。
資本主義における本当の金持ちは不労所得で生活している。
そういう女なのだな、と先野は思った。
「モテる女はつらいわ」
「でしょうね。心労、お察しします」
感慨もなく、先野はそう言った。
気のせいか、体が重い。
「まったく、どいつもこつも……」
蒼宮麗亜が帰ると、先野は自分のデスクにつくなり小さく吐き捨てた。これから調査プランを練らなければならないが、取りかかる気になれない。
深くため息をついた。
ストーカー調査は、最近増えてきた案件だった。警察に相談してもじゅうぶんな対策をしてくれない、お金をかけてでも身の安全を確保したい人が探偵にすがるのだ。
それは先野も理解できた。
しかし困るのは、妄想に振り回されている場合である。
とりあえず、依頼人をボディガードのように張りついて警護はする。そこで本当にストーカーが存在するならそいつを追跡する。ストーカーは、ボディガードがいたからといって、それを警戒して姿を隠しはしないだろうから、見つけ出すのは容易だ。ボディガードを恐れて手を出さないくらい思慮深ければ、そもそもストーカー行為には走らないだろう。
しかし今回は、というか、今回も、ストーカーなどいないだろうな、と先野は想像する。ストーカー被害に遭う場合、だいたい、どこの誰かか面識があるはずなのだ。元交際相手というのが最も多い。ボディガードの存在を知って攻撃をかけてくるなら、こちらとしても調査が楽だが、なにもないとなると依頼者が納得しない──ここが厄介な点だ。
ともかく──。
先野は三条と蒼宮麗亜の警護をどうするか、そのプランをまとめはじめた。




