老婦人が語る
「キツネは、ときどき若い娘さ化けて、里に下りる、といわれとる」
なんの話をしているのだろうと、三条は内心首をかしげた。
「人間さ化けたキツネは、村の人間といっしょに暮らすようなる。けども、長くは続かん。キツネの姿ば戻ってしまう」
「あの、すみません」
相手の話の腰を折るような失礼はしたくなかったが、三条は口をはさまないではいられなかった。
「まさかサオリさんはキツネの化身だなんて、おっしゃるんじゃないでしょうね……」
まさか、とは思うが、一応確認したかった。
余所者が来たからといって、いくらなんでもそんな話でごまかされてはかなわない。
「しまいまで、聞きなされ」
老婦人はピシャリと語気を強めた。
「サオリは都会ばあこがれちょった。だから都会へ出て行ってしもうた。けんど都会でもとの姿に戻ったら、たいへんなことさなることば知ってたべ、どうがして長く人間の姿でおられんよう方法はねぇもんかと考えとったべ。稲荷神社ば行って模索しとっただけど、そんなごっで、妖力がどうにかなるものではね」
こんな迷信話を聞いて、どうなるというのだろう?
三条はしかし我慢強く話を聞くしかないだろうと、じりじりした気持ちで思った。
「一年もすぎっど、もう二度と人間の姿ばなれんようなる。あせってんだろな。でも、夢ば破れて帰ってきたわ」
三条は目を上げた。帰ってきた……?
「あの……サオリさんは、どこにいるんですか?」
キツネの話はともかく、この人はサオリさんの所在を知っている!
三条にとってはその事実だけが大事だった。
「ぜひ会いたいんです。会わせてください」
老婦人は不敵な笑みを浮かべた。ぞっとするような凄みに似た感じを受けた。
「会えるべ。もっとも、サオリだとわかるかどうか……」
「写真なら、あります」
「そんじゃ、庭の外ば見てみるべ」
そう言われて三条は振り向き、縁側から立ち上がると、小走りに道路へと飛び出した。
ひびの入ったアスファルトに、一匹のキツネがいた。尻を地につけ、おすわりのポーズ。
人間を怖がるふうもなく、三条を見返していた。
そんなばかな……。
「まさか、ホントにサオリさんなの?」
三条は、初めて見る野生のキツネに声をかけた。自分でも滑稽だと思った。
が、キツネは逃げもせず、その場で三条の言葉を聞いているかのよう。
そこへ、携帯電話の呼び出し。マナーモードだったから、スーツのポケットの中でバイブレーション。こんな山奥でも電波が届くものかと関心する。
取り出してみると、先野からだった。
通話ボタンを押す。
「珍しいですね、先野さんから電話なんて」
「まぁな。そっちの首尾はどうだい? サオリは見つかったかい?」
三条はどうこたえようかと一瞬躊躇したが、
「いえ、見つかりませんでした」
「そうか……」
歯切れの悪い先野の返答を聞いて、京都でも見つからなかったんだな、と察した。けれども、一応訊いてみる。
「先野さんはどうだったんですか?」
「足取りはつかめたんだが、タッチの差だったよ。二、三日前までは伏見稲荷神社にいたらしい、というところまではつきとめられたんだが」
「すごいじゃないですか!」
あの情報量だけで、そこまでつきとめるとは、なかなかの成果といえた。
「だが、そこからの行方がサッパリだ。だからもしかしたら山形に帰ったかもと思ったんだが。しかたない、聞き込みを続けるか。しかし観光客も多いし、いいかげん疲れてきたぜ。というわけで、今、休憩中だ」
「たい焼きパフェでも食べてるんですか?」
「よくわかったな! いま左手に持っているところだ。見た目はグロだが、うまいぞ」
「そうですか」
当てる気のない、あてずっぽうで言っただけで、実はどうでもよかったので、投げやりな返事になってしまった。
そのとき、三条の前にいたキツネがくるりと背中を向けて去っていった。
――あ、待って!
そう言いかけたが、口を閉じた。呼び止めてどうなるものでもない。あれがサオリだとは、どうしても思えないし、そもそも野生動物に日本語が通じるわけもないのだ。
そんな三条のことは知らない先野は、電話の向こうで通話を続けている。
「ま、見つからないかもしれないから、そのときは、依頼者に謝らないとな」
「そうですね……」
「山形よりは京都のほうがまだ見込みがありそうだから、もう少し調査を続けてみるけどな。もっとも、予算が限られているから、見つかるまでねばるわけにもいかんが」
「お疲れさまです」
「じゃあ、切るから」
通話は先野のほうから切れた。
三条はキツネの消えていった耕作放棄地の草むらをしばらく見ていたが、きびすを返してさっきの老婦人の家へと戻った。
「あの、すみません……」
そう言った三条の足が止まった。
愕然とした。
一瞬、なにかの見間違いかと思ったのだ。
たしかにさっきの家には違いないのだが、さっきよりも明らかに荒れていた。数年は人が住んでいないような外観に変貌していたのだ。閉じられた木製の雨戸は風雨にさらされて穴があき、割れてくずれかけた屋根瓦の間からは草が生え放題。玄関戸のガラスは割れて散って、跡形もなかった。
老婦人の姿もどこにもない。
手の込んだ手品を見せられているようだった。
「…………」
声もなく、その場に立ち尽くしていると、玄関の破れた戸から一匹のキツネが素早く出てきた。
そして、三条の見ている前で一度立ち止まり、わざわざこんな山里まで来た探偵の顔を数瞬の間見つめると、トコトコと尻尾を揺らしながらどこへともなく去っていった。
え――? 今のキツネは……?
「そんなばかな……」
自然、そんなつぶやきがもれた。そのつぶやきは、現実に起きていることが現実的でないと訴える理性によるささやかな抵抗なのかもしれなかった。




