十二年前の出来事
気がつくと、クルマに乗っていたはずの三条愛美は道路の真ん中で茫然とつっ立っていた。
さらに、周囲の様子が異なっていることに気づいた。住宅地には変わりないが、塔山香代の実家のある近所とは様子が違っていた。
かといって、道路の幅や向きは同じで、それが別の場所ではないような不思議な感じをかもしだしていた。
それよりも――。
三条は仕事を思い出した。
塔山香代が近くにいた。彼我の距離は約30メートル。
それだけではない、香代のそばに一人の男が立っていたのだ。年齢は四十代半ば。アイボリーの上着を着て、身なりは悪くない。
だが依頼者の塔山雄哉が見たというのは若い男だった。その点が異なり、三条はさらに混乱した。
カメラを隠したショルダーバッグの向きを、レンズが香代をとらえるように変え、三条はチャックを開いたバッグのなかの液晶ファインダーを見る。
会っているだけでは、浮気とは限らない。家に入る? 家には親や祖母がいるのに、ということは、この男は浮気相手なんかではなく――そう思って香代の実家を見ると、そこに建っていたのは、さっきまでそこにあった真新しい一軒家ではなく、昭和なデザインの古びた民家だった。
三条は自分の目が信じられなかった。最初から新しい家で、古いと思ったのは単なる思い違いかと考えた。
それよりも……二人に焦点を合わせ、シャッターを切る。が、望遠レンズを通してズームアップされた香代が男性にしがみついて泣いているのが液晶画面に映っているのがわかって、三条は戸惑う。
「なに……?」
小さくつぶやいてしまった。どんな感情が香代の中にあるのか、まったく想像がつかなかった。涙の意味はなんなのだろう?
と、いきなり視界がふさがれた。暗くなったファインダーに驚いてカバンの中を見ていた視線をあげると、目の前二メートルほど離れた路上にひとりの若い男が立っていた。
見覚えのない顔だった。三十歳ぐらいだろうか。メガネをかけていた。
濃紺のジャケットにジーンズという服装を見て、あっと思った。浮気調査を依頼した、香代の夫の塔山雄哉が目撃したという若い男が着ていたという服装だ。この青年が浮気相手?
どういうことか、咄嗟には状況が整理できなかった。
いや、そんなことよりも!
興信所が調査していることが露見してしまった。
これはとんでもない失敗である。探偵たるもの、ターゲットに気づかれてはならないのは定石中の定石である。
しかしなぜ気づかれた?
三条は、これまで香代に一度も接近しなかった。もちろん、この青年もまったく接触がない。
なんとかごまかそう、と三条は思った。こんな状況も想定して、ごまかす方法をいくつか心得ていた。興信所からその教育をきちんと受けていた。
が――。
「計算外だったな……」
三条が話しかけようとする前に、話しかけれられた。
「まわりを見てごらん、異常に気づいているだろう?」
「それは……」
思わずこたえてしまった。改めて見るまでもなく気づいていた。だいたい、乗っていたはずのプリウスはどこへ行った? 周囲の光景が変わっていることよりも激しい異常事態だ。本来なら仕事どころではない。浮気調査など後回しだ。
クルマ一台消滅した手品をこの青年がしかけたのか? テレビで見た、まるで魔法かと思うようなマジックショーのように。
「きみも興信所の探偵なんだろ、知っているよ。相棒のおじさんもね」
初対面とは思えないひどく失礼な物言いだった。
「なんの話かしら?」
三条はとぼけた。先野のことまで知っているとなるとごまかしきれないなと、額に汗が浮かんでくるのを感じた。
先野からはなんの連絡もないことを思い出した。連絡しないのではなく、連絡できない可能性に思い立った。
この青年はいったい何者なんだ?
「隠さなくていい。そちらの立場なんかぼくには興味がない。それより、想定外のことが起こってしまったよ」
「…………」
三条は黙った。彼がどんな目的があって接触してきたのか図りかねた。だからうかつにしゃべってこちらの手の内を明かすのは避けるべきだと判断した。
家へと入っていく香代と中年男を横目でとらえたが、追いかけることもできない。
このおしゃべり男がなにを伝えようとしているのかと警戒した。
「まだ気がつかない?」
彼はひと呼吸待った。が、三条がなにも言わないところを見て言葉を続けた。
「信じられないかもしれないけれど、ここは十二年前の世界なんだよ。そう……あの大地震の前」
「ええっ?」
思わず声が出てしまった。
今から十二年前……。直下型の大地震がこの地域を襲った。マグニチュード6・2、最大震度6強。死者五十四人、負傷者約三百人、倒壊家屋約千棟。
大きな被害がでた。
当時、高校生だった三条は、連日テレビで報道されるニュースに釘づけになったのをよく覚えていた。その地震の前……。だから道路の向きが同じでも建物が変わっていたのである。
つまり、ここに見えている家々は、間もなく地震によって軒並み倒壊する運命にあるのだ。
そして、倒壊した家屋の中で香代の父親は圧死した。
「まさか!」
そこまで考えが及んだとき、三条は気がついた。
さきほど香代といっしょに家に入っていったのは、香代の父親……。
「そのとおりだよ」
彼は明るく言った。
「でも……」
とはいえ、タイムリープなんて、この目で見ても信じられない。状況は確かに動かしがたいが、それでも、どうしてタイムリープなんかが可能なのか……。
「混乱しているようだね。でも、きみのクルマが消えた理由もそれで説明がつくはずだろ?」
クルマはタイムリープしなかったのだ。「現在」に置き去りにされている。
「ぼくの名前は……とりあえずKSとしておいてくれ。本名を明かせない事情は察してほしい。そして、タイムリープはぼくの能力なんだ」
タイムリーパー。時間跳躍者。KSと名乗った青年はそう説明したが、三条はますます混乱した。
「どういうことなんですか? なにが目的で?」
三条は問うた。どうやらKSはすべて明らかにしてくれる気でいるようだった。




