見知らぬ倉庫で気がついて
そこは倉庫だった。ただ、がらんとして、物があまり置かれておらず、それだけでなく、壁も天井も傷んでいてあちこちに空いた穴から太陽光が差し込んでいた。
廃屋だ。コンクリートの床が空気を冷えさせる。
先野光介はその中央で縄を打たれていた。縄は鉄の柱に結ばれ、逃げられない。
気がつくとそんな状態だった。
倉庫には先野のほかに誰もいない。
――ここはどこだ?
バス停で降りて何者かに襲われたまでは覚えていた。そしてその後、おそらくその何者かによってここへと運ばれた。どの程度その地点から離れているのかはわからない。
まさかここまでするとは……。
先野は歯噛みした。こんな手段に訴えるとは、マジでヤバい。やはり塔山香代は某国の工作員だったのだ。あるいは暴力団? その仲間によって誘拐されたのだと先野は思った。なんとかして脱出しないと、下手をすれば殺されてしまう。
だが縛られて手首の自由がきかない。それでも手首をひねって縄を解こうとした。
先野は周囲を見回してみた。なにか適当な道具がないかと、ゴミの散らかった廃屋倉庫の床を探してみた。
伸ばせるのは足のみで、足の届く範囲には紙屑や木片や汚れた布や破れたビニール袋などが散乱していたが、足でそれをかき集めたところで、なにかできそうには思えなかった。
なぜ犯人がこのまま先野を生かして放置するのか、なぜすぐに殺してしまわなかったのかは謎である。なんらかの理由があるのだろうが、それは思いもつかない。
戻ってきたら判明するだろうが、そのときはもう無事ではすまない。
先野は焦った。考えが甘かった。そして、三条を巻き込まなくてよかったとも思った。
(ともかく、なんとかここを脱出せねば……)
犯人が戻ってきたら絶望的だ。殺されるかどうかはわからないが、その可能性がないとはいいきれない。
この案件は危険だと、その覚悟はしていたつもりで自ら飛び込んで切り抜けてやろうと意気込んではいたものの、実際にこのような目に遭うと余裕がなくなった。
先野の足にガラスの破片が触った。これだ、と思った。
足で引き寄せ、両足ではさみ、縄で固定された手首までなんども失敗しながら持っていった。
汗が吹き出し、喉が渇いて苦しかったが、力を振り絞って手に持つことができた。
今度はそのガラスの破片で縄を切るのだ。
だがこれもそう簡単にはできなかった。
角度が悪くて縄にガラスが当たらない。手を捻じ曲げて、少しずつ少しずつ切っていった。気の遠くなるような作業だった。
窓の外が赤くなって夕方になってきたのがわかった。
なんの根拠もなかったが、日が暮れると、誰かが戻ってくる気がした。
先野は歯を食いしばりながら、縄を切ってゆく。
そして――。
「やったぞ!」
手首の縄が切れた。
両手が自由になったことで、体と柱をつなげていた縄もほどくことができた。
「よし」
すぐさま外へ出ようとして、なにかにけつまずく。
見ると、ビジネスバッグだった。
「なんだ?」
先野はそれを取り上げ、中身を改めてみた。
書類だった。なにかわけのわからない記号の羅列が印字されており、赤い捺印がいくつも押されていた。パスポートが出てきた。しかもいろんな国の。そして、数か国の紙幣。
「こいつはまさか……」
嫌な汗が背中をつたう。まさしく、これは他国の工作員が活動するための道具ではないのか……この意味不明の記号の羅列は、なにかの暗号ではないか――。
だとすると……。
(おれを襲ったのは、間違いなく他国の工作員だ。これが動かぬ証拠ではないか)
先野は確信した。
なぜこんな大事なものがここに置いてあるのかは謎だった。単に置き忘れたとしたら、工作員としての資質が疑われたが、あるいはもう必要のないものなのかもしれなかった。
これを持って帰れば証拠としてこれほど確かなものはなかったが、同時に非常に危険な気がした。
一介の私立探偵がかかわるには、相手が大きすぎる。途方もない厄介ごとに巻き込まれてしまうのは避けたいところである。国家間の騒動に首をつっこんでも、得することはなにもない。
逆に目をつけられて、命を狙われるかもしれないのである。まったくもって願い下げである。
考えが甘かったことに、先野は今さらながら肌が粟立つ思いだった。
先野は廃屋を出た。閉鎖された工場の跡地だった。地方都市にはよくある物件である。
景気が悪いうえに人材不足で事業所が維持できないというのはよく聞く話だ。仕事がないからつぶれていく、つぶれていくから働く場所がない、働く場所がないから人が都会へと出ていく。香代が実家を出たのも仕事がないからだ――そして工作員の仲間となった。
夕暮れの住宅街。ここがどこかわからない先野は、スマホで連絡を取ろうとして、それがなくなっていることに気づいた。ポケットというポケットを探しまくっても、でてこなかった。
当然だな、と思った。
香代の仲間の工作員に奪われたのだ。財布もなかった。
先野は舌打ちした。
「やれやれ。面倒なことになっちまったぜ」
ともかく、ここからなるべく遠くへ離れるのだ。それからどうするかは、安全を確保したのち考えよう。
速足で歩きながら、先野は依頼者にどう報告すべきか頭を悩ませた。




