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しんどい興信所の超常探偵  作者: 赤羽道夫
見る夢は異世界かもしれない
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殺人事件の真犯人

 わたしたちには子供がいない。生まれたらマンションから引っ越すかもしれないけれど、今はまだその兆候さえない。

 手早く朝食を終えると、後片づけをし、服を着替え、メイクをする。

 夫から頼まれていた仕事にとりかからなくてはならない。

 今日は、指定された喫茶店で張り込むことだった。朝から営業しているその喫茶店で、スマホに転送された写真の女が来ていることを確かめるのだ。夫の話だと、午前一〇時ごろに現れるはずである、という。

 これがどう事件解決につながるのかは、わたしにはわからない。そもそも、夫の頭の中身がどうなっているのか、わたしのような凡人が推し量るのは無理だとあきらめている。でも信頼はしていた。

 その喫茶店は、住宅街のなかに十数年前から建っている五階建てマンションの一階に入るテナント店舗だった。

 レンガを模した意匠の、都会のチェーン店にはない落ち着いた感じの店だった。やや薄暗い照明で、エンジ色のレザーを張ったイスと白いテーブル。アンティークな調度品がさりげなく置いてあり、店主マスターの趣味が前面に出ていた。

 カウンター席の向こうで蝶ネクタイを締めたその白髪頭のマスターが、自ら選び抜いた豆でコーヒーを淹れてくれる。コーヒーの味を知る者だけが訪れる空間。仕事を忘れてここでコーヒーを楽しみながら、好きな小説でも読みふけられたら、時間がすぎるのも忘れてしまいそうだ。

 わたしは入口近くの席に陣取り、店に出入りする客をチェックしている。本を開くが読むふりをしているだけで、頭には入っていない。

 今の時刻は午前九時五〇分──。わたしがこの店に入って約三〇分がすぎた。他に客はなく、けだるげな午前の時間がすぎていく。

 そろそろ夫が言う時刻に近づいてきた。果たして、来るのだろうか……。

 わたしは来るだろう、と踏んでいた。夫の〝予言〟がはずれたことはない。わざわざわたしに確認してくれと頼んだ以上、確信があってのことなのだ。

 緊張しつつ待っていると──。

 ガラスをはめ込んだ木製のドアが開いて、カラン、とカウベルが鳴った。

 視線を向けると、一人の女が入店してきた。小柄な女だった。薄いブラウンのスプリングコートを羽織り、迷うことなく奥へと進み、端っこのテーブルについた。そばを通るとき、一瞬であったが顔も見えた。間違いない。写真の女だ。しばし観察する。

 あからさまに見つめていたら怪しまれるので、さりげなく視線を飛ばした。

 脱いだコートの下は紺色のタートルネックのセーターだった。細面の美人で、マスターが直接応対している。

 わたしはスマホを取り上げ、LINEメッセージを送る。

『九時五五分、ターゲット、来店』

 と短く。

『了解。何時までそこにいるかも、引き続き調査を』

 返事が来た。

 わたしはいつまで続くかわからない〝張り込み〟をする羽目になったが、それは決して苦痛ではなく、どこかこの状況を楽しんでもいた。

 観察対象の様子をうかがいつつ、コーヒーをもう一杯注文。

 どちらかといえば、チェーン店のような不特定多数が相手ではなく、馴染みの客が来るような喫茶店へわざわざ入る、ということは、マスターとも知り合いになってしまうわけで、昔から通っている、と考えてよさそうだ。あの女はいったい何者なんだろう……。夫はあの女について、なにを知っているのだろう……?

 わたしは、女の挙動に注意しながら考えてみる。年齢は二十代後半から三十代前半といったところか……。メイクはそれほど濃くない。平日のこんな時間に喫茶店なんかに来ているわけだから、普通のOLではないだろう。といって、水商売の女のような派手な雰囲気はない。保険のセールスレディ?

 マスターの淹れてくれたコーヒーを飲み、静かにスマホを見ていたりする。マスターとおしゃべりに興じるわけでもなく、誰かを待っているような感じがした。

 待ち合わせを約束しているなら、その相手がそんなに遅刻してくるとは思えないが、店にはなかなか客が入ってこない。

 まったりと時間がすぎていく。

 三〇分ほどが経過して、やっと店に客が入ってきた。

「いやー、マスター、また来たよ」

 七十代ぐらいの禿頭の太った男が大きな声で挨拶する。黒いスタジアムジャンパーを着こみ、

「まだまだ寒いねー」

 などと、馴れ馴れしい調子で言うと、さっきの女の前の座席にどっかと重そうな体を落ち着ける。

「よう、アイちゃん。お待たせ」

 手に持っていた小さな紙袋をテーブルの上に置いた。

(アイちゃん……? それがあの女の名前……?

 少しでも得た情報を光介に伝えようと、わたしはとっさにスマホにメモをとる。

 アイちゃんは紙袋の中を検めると、

「ありがとうございます……助かります」

「なんてことないさ。アイちゃん。他でもないアイちゃんの頼みなんだし」

 親子ほど歳の離れた二人がどんな関係なのかすごく気になる。本当の親子ではなさそうだし、なにもわからなくてモヤモヤする。

(まさか、彼女が殺人事件の真犯人!)

 わたしの手が急に汗ばんできた。人殺しをしたようには見えないが、もしそうなら、なおのこと彼女──アイちゃんの正体が知りたくなった。

 が、もちろん、本人に直接聞くわけにはいかない。聞こえてくる会話から情報を拾っていくしかない。

 顔は向けず耳だけをすまして、わたしは会話に集中する。女の声が聞き取りにくい。もう少し近い席だったらよかった。

 と、

「じゃ、あたしはこれで」

 アイちゃんが立ち上がる。ほとんど個人的な情報は得られなかった。

 わたしは彼女が会計をすまして店を出ていくところまで確認した。LINEメッセージと、こっそり取った写真を送った。

 残った客の男を注視していたが、マスターとの会話にアイちゃんは登場しなかった。競馬の話に花が咲いて、わたしは急速に興味がしぼんでいく。

 昼時になってランチ目的の来店客が多くなってくると、店内も騒々しくなってきた。頃合いを見計らって切り上げることにしたが、その客の中に、わたしを見つめる目があることに、そのときは全然気づかなかった。



 わたしの報告がどう生かされるのかと気になりつつもできることはこれ以上なにもなく、いつになるかわからない夫の帰りを待つしかなかった。

 午後十一時──。

「ごめん、連絡できなくて」

 玄関ドアを開けて帰ってきた光介からLINEメッセージが入ったのは、三〇分ほど前だった。

「いいのよ、べつに」

 わたしは聞き分けのよい妻を演じる。本音を言えば、もっと早く帰ってきてほしかったが、こんな仕事をしているわけなのだから不規則な生活もやむを得ない。何日も帰ってこないこともあるわけだし、今日また顔が見られただけでもよかったと思う。それに、聡明な夫のことを尊敬している。

「お手柄だったよ。どうやら証拠をつきつけて、警察も考えを変えてくれたようだ。きみのおかげで、一人の若者を冤罪から救えたよ」

「あの……どういうことなの?」

「あの喫茶店にいた女の人はね……いや、その話は明日にしよう。とりあえず今日は疲れたし」

「そうね。食事、まだなんでしょ?」

 早く聞きたい気持ちはあったが、夫の体のほうが大事だ。

 わたしはキッチンに入り、作ってあった料理を用意する。

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