先野の足跡を追って
たしかに、なんだか身に馴染みのない気配が漂っているような感じがした。
それが幽霊なのだと言われたら、そうなのかもしれないが、三条はそう断言できるほど霊感が強くはない。これまで幽霊など見たことはない。だからといって存在を信じていないわけではなく、いわば半信半疑であった。
山の中の森は静かで鳥の声もしない。植林された杉の森ではなく、原生林のような森が周囲にあった。かといって、国立公園として指定されているわけでもないから誰かが訪れるような場所ではなかった。
詠川が運転するレンタカーは、どんどん山の奥へと入っていき、いくつも枝分かれした道路は次第に細くなっていった。この道の先に人間が住んでいるとは思えないほど。カモシカが棲んでいる、いわれたほうがよほどぴったりである。
クルマが止まった。
一台のシルバーのコンパクトカーが細い道をふさぐかのように停まっていた。「わ」ナンバーからレンタカーだとわかる。
「きっと先野が借りたクルマです」
ここまでは先野は来たのだ。しかし本人の姿はない。周囲に人家らしきものはなく、ここは終点ではないのなら、先野はこの先へと進んだのだろう。
「ここから先はクルマでは行けません」
詠川はエンジンを切る。
助手席の三条にも道が終わっているのが見えていた。
「どう行くんですか?」
「ここから山を登ります」
「どこから登るんですか?」
「ちゃんとした道はありません。それでも行きますか?」
「先野の姿を見ていない以上、行かないという選択はないですよ」
「足元に気をつけてください」
詠川はクルマを降りる。ドアに施錠もしない。迷うことなく登れそうな斜面に向かう。
歩き回ることを予想してスニーカーを履いてきた三条は、足元を確認しながら詠川のあとに続く。
幸い天候はいい。春は天気が目まぐるしく変わる。とくに山の天気は変わりやすい。雨に降られたら先野の捜索に支障がでる。先野の命がどうなっているのかもわからない今、見つからない可能性もあった。
「ここを登ります。──行けますか?」
振り返って詠川が訊く。だいじょうぶです、と答える三条。草を踏みしめ、前進する。
かろうじて階段状に整備された道は、幅が三十センチほどしかなく、一歩一歩、滑らないようしっかり踏みしめながら登っていった。
「凹卜さんとは何度か会ったことがあるんですか?」
三条は訊いた。
「ここに来るのは十年ぶりです。……実は、凹卜さんは私の先生でもあるんです」
詠川は、ここにきてやおら話し始めた。道中、そんな話はしていなかったのに──。
「私が霊媒師として活動を始めたばかりの頃、凹卜さんの噂を聞いて訪ねたことがあります。凹卜さんは私よりもずっと若くて、ひと目で普通ではないオーラを放っているのを感じました……」
三条は、詠川の背中を見ながら黙って聞く。
「凹卜さんはいくつかの術を教えてくださいましたが、霊媒師の質は、そもそも持って生まれた性質に大きく左右されます。誰でもなれるものではないのです。術にしても、才のない人間はいくら努力しても術は使えず霊媒師にはなれません。その意味で凹卜さんは人間離れしていました。もはや神の領域とも言っていいほどです。私は自分の限界を知り、早々に山を下りました」
詠川の話は身に染みていた。霊媒師という看板を上げることに、どこかしら遠慮を感じているのだろう。
どれぐらい登ったろうか──。
森が途切れた。
まるで高い山に登ったときのように、そこから先は木々が途切れていた。背の低い灌木ばかりが点々と散在し、その間には草もまばらな黒い土が見えている。視線の先はハゲ山だ。とてもこの先に人間が住んでいるとは思えない光景であった。
と、そのとき、三条はなにか寒気に似た感覚を覚えた。標高が高いため、たしかに気温はふもとよりも低いだろうが、強い風が吹いたわけでもないのに、肌に感じる寒さ、というのとは少し違う寒気が背筋を這い上っていく感じなのだ。
「詠川さん、もしかして、ここには……?」
三条は訊いた。これが霊感なのだろうか、と。
「います……。幽霊です」
霊媒師の詠川は断言するが、三条にはそれらしいものはなにも見えない。だが、いるのだろう。霊感がぜんぜんないと思っていた三条がこれだけ感じてしまう〝なにか〟が。それが幽霊だとして、これからどうなるのか。
「このまま進みますか?」
三条はさらに尋ねた。詠川にいっしょに来てもらってよかったと、その背中が頼もしかった。勢いにまかせて一人で飛びだして来てしまっていたら、この先の対応ができなかったろう。
「幽霊の意思を確認しながら進みます。もし危険と判断したら、先野さんをおいても後退しますよ」
「危険って……先野もそれに巻き込まれたということですか?」
幽霊の意思──。それがいかなるものなのか。普通の人間の思考とはべつのものなのか、それとも……。しかし今は解説を求めている場合ではない。
すると、
「おそらく……。先野さんは霊にとり憑かれたのだと思います」
一歩一歩、慎重に進みながら、詠川はとんでもないことを告げた。
「とり殺されたなんてことは!」
三条は蒼くなる。最悪の事態を想像した。
「今はなんとも言えません……。とにかく凹卜さんに接触しないことには……」
詠川は気休めを言わなかった。本当にわからないのだろう。しかしここに至って、三条は詠川に全面的に依存しないといけない。たとえ見えなくても、なにかが存在しているのは確かに感じられるのだから。
地雷原を歩いているような気分で、二人は少しずつ前進する。
登り坂は起伏が激しい。なるべく平らな地面を進みたいところだが、そうもいかないようで、二人は足元に気をつけつつ登坂する。地面には大小の石が転がり、火山が爆発した際の火山岩が散らばっているようであった。現実、そうかもしれなかった。




