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第四幕 影追い

 胸が、痛い。

 チクチク、キリキリ、どうしてこんなに痛いんだろう……? なんだか、全身に鈍く鋭い痛みにが絶え間なく襲う。まるで無数の針にくるまれているみたいだ。

 あぁ……そうだ。目を、開けなくちゃ。でも、あれ? もう目は開いてるんだっけ? どうしたんだろう? 変だ、何も見えない。一体ここは何処なんだろう? どうしてこんなに暗いんだろう?




 ────────────私は、一体何をしているんだろう……?




 ふいに直ぐ傍で人の気配が動いた様な気がした。


「な、ぎ……?」


 恐る恐る、その名を口にしてみる。


『どうしたんだ? 京』


 元気な凪の声、一瞬でさっきまでの胸の痛みも、不安も吹き飛ぶ。安堵感で思わず笑みがこぼれ出した。


「もう、やだな。脅かさないでよ。ねぇ何処に居るの? ここ暗くて何も見えない……」


 手探りで凪の姿を探す。


『ここだよ』


 直ぐ傍で聞こえる声。


「どこ? 本当に、見えないの……。ねぇ、凪? 何処なの?」

『俺は、ここだよ』


 少し、声が遠くなる。


「凪?」


 不思議に思っていると、更に声は遠くなる。


『ここだよ……』

「ねぇ、どうしたの? なんだか、遠い」


 少しの沈黙。


『…………さよなら』


 ズシンと、心と体に重く響いた言葉。ショックで頭から音を立てて血の気が引いていく。


「なに言っ……? うそ……嫌だ、どうして!? 待って! 凪、なぎぃ!」


 空を切るように私の掌は闇を掻いた。


「なぎっ……」


 そうだ、私は凪を見つけられなかった。

 記憶が一気にフラッシュバックする。


「ふっ……」


 傍に、直ぐ傍に居ながら、見失った。

 こみ上げてくる嗚咽で喉の奥が痛い。収まったはずの胸の痛みが、再びキリキリと心臓を締め付ける。



 こんな(・・・)事は一度もなかった。



 私が凪の気配を完全に見失うなど、一度たりともなかった事だ。

 例えどんなに離れていようとも、私たちはお互いの存在を肌で感じる事が出来ていた。それこそ光と影の様に。

 確かに、私たちは目に見えない何処かで繋がっていた。


 なのに今は何も感じられない。


 まるで糸がプツリと切れてしまった様に、凪の存在が感じられなくなってしまった。どんなに思い起こしても、どんなに考えても、まるで原因が分からない。

 今までの私にとって、在り得ない、考えられない程の恐ろしい事態。

 私は凪を見失ったショックの余り、無意識に時無しの沼へ、しかも妖異ですら滅多に踏み込まない、光もなく時の流れもない最深部に逃げ込んだらしい。酷く緩慢な動きで、私は自分の体を抱き締めた。すると腕の中でカチャリと小さな金属音が響く。


 凪の、刀……?

 そう、凪の刀。


 私がまだこれに触ることが出来ると云う事は凪は生きているということだ。現在この刀『蛍雪丸(けいせつまる)』の主は凪。

 だからその主が生きている限り、刀は主の意思なく他者へと介入はしない。あくまで道具は道具らしく、持ち主の意思に忠実にある。言葉や意思を持たないただの道具ではなく、この蛍雪丸は歴史から消された霊刀として名高い一品。

 当然、己で持ち主を選ぶ。

 私と凪の間の繋がりは感じられなくなってしまったけれど、刀と凪の繋がりは切れていない。それならば、私は凪を見付けられる。

 再び凪と逢う事が出来る。

 湧き上がる喜びに、私は打ち震えた。

 急がなければ、凪が待っている。急ごう凪の下へ。

 私は振り切るように涙を手の甲で拭うと、凪の刀を胸に立ち上がった。

 もう一度、行ってみよう、凪を見失ったあの場所へ……。

 瞳を閉じてそう強く願えば、空間が歪んで濃いゼリーを抜ける感覚が肌を撫でる。次の瞬間、鼻腔に広がる冷たい草の香りと湿った土の匂い。



 ゆっくり、目を開く。



 開いた瞳に飛び込んできた景色は私が凪を見失った日から、随分と季節が移り変わっていた。竹林自体は季節に変わりなく、依然とその美しいあおさを茂らせている。しかし、足元は移り行く季節を表さずには居られない。

 確か、あの時はまだ夏の初め、初夏よりはやや盛夏に近かったかもしれない。だが今は隆盛を誇った草は大人しくなり、秋の訪れを感じさせていた。

 茶色く変色した草葉をサク、と踏み分ける。今、私が丁度立っている辺りに、私にしか感じられないだろう、微かに凪の気配が残されていた。今にも消えそうな優しく甘い凪の香り。


「凪……」


 そっと指を触れてみる。

 ヒヤリとした土の感触が伝わって来た。分かっていたつもりだけれど、胸がチクリと痛む。


「……ごめ……ん」


 私は一体、何を期待していたのだろうか? もうココには何も残っていないと解っていた筈なのに。ペタリと膝を付いて、ゆっくりその場に身を横たえた。


 ココに、凪が居た。


 私は涙を堪えるため、胎児のように凪の刀ごと強く膝を抱えて丸くなる。

 一段と強く感じる草の香りと土の匂いが、鼻腔を刺激する。涙を堪えようとすればするほど、ソレは鼻の奥を締め付ける痛みに変わる。


「ねぇ……凪? 一体、何処に居るの?」


 頬に触れる草がひんやりと、腫れたように傷む心を冷やす。傍に居るのが当たり前だった。独りが、独りになる事が、こんなに辛いと云う事を私は忘れていた。


「っつ……ふっ……」


 まるで自分の一部を無理やり剥がされた様に、心も体も痛くてたまらない。息をすることすら、痛みになる。


「……うっ……く」


 その痛みに耐える為、強く強く、自分の体を抱きしめる。消えないように、どこかに行ってしまわない様に、凪にもう一度会うまで、自分を見失わないように、強く抱きしめる。

 ザワ、ザワリ……。

 風が嫌な感じを運んで来た。とても、嫌な感じ。耳の後ろの毛がチクチクと逆立つ。覚えのあるソレそれは酷く禍々しく、血の匂いと様々な怒りと憎しみを纏っている。


「キ、キ、キ。よぉう、懐かしい気配があるから誰かと思えば、チビじゃねぇか、え?」


 ゾクっと総毛立った。


「キヒッ、なんだよ、ツレナイじゃねぇか、え? 俺のコトを忘れちまったのか、え? 昔はあんなに一緒につるんでたじゃねぇか、え? チビよぉ? キヒヒヒ!」


 ネットリと絡みつく視線、耳障りの悪いシャガレ声。


「ムジナ……」


 そろりと体を起こし、声の方へと向き直る。もう、二度と会うことはないと思っていた。


「キ、キ、キ、なんだ、ちゃぁあんと覚えていてくれてるじゃねぇか、え? チビ。ちょっと見ない間に、見違えちまったぜ、え? 随分と、本当に、人間臭くなりやがって、え? キヒヒ」


 私の視線の先に、ユラリと佇む人影があった。丸い形のつばがある黒い帽子を被り、黒のロングコートの襟を立て、ポケットに両手を突っ込んでいる。帽子と襟の僅かな隙間から、明らかに人間とは異なる、鮫のように鋭い牙が並んでいる口元が見えた。


「ムジナ。貴方こそ、随分と様変わりしましたね」

「キ、キ、キ、この方が獲物が掛かり易いんでねぇ……? キヒヒ。ココに辿り着くまで、随分と時間を使ったぜ、キヒヒ」


 私はコイツが嫌いだ。

 醜く、貪欲で、汚い。


「キ、キ、キ.おやおや、どうしたんだ、そんなに怖い顔をして、え? チビ。感動の再会じゃないか、え?」


 ムジナにとって、自分以外は全て利用するだけの道具だ。その利用価値がなくなれば直ぐに消し去る。そう……甘い言葉で相手を散々利用し尽くし、邪魔になれば心の赴くままに相手をなぶり、弄び、その悲痛な叫びを楽しんでから喰い殺す。

 そうやって、コイツは力を付けて来た。

 私も以前、独りの寂しさに付け込まれ、その甘い言葉に踊らされ、取り返しの付かない愚かな事をしてしまった。

 ギリッと凪の刀を力任せに握り締める。


『キ、キ、キ、チビ、お前は自分の価値を分かっていない、え? チビ、お前にはその価値があるんだ、え?』


 悔しさと情けなさで体が震える。忘れていた筈の怒りが甦る。


『キ、キ、キ、ほぅら、見てみな、え? 綺麗な顔じゃないか、え? チビ、人間はお前のその顔に、価値を見出すのさ、キヒ。綺麗な顔、綺麗な声、キ、キ、キ、獲物の数はお前の価値の証しさ、キヒヒ』


 その時の私は、自分の存在価値が欲しかった。自分の居る理由が欲しかった。だから、私はそのムジナの言葉に心を引かれた。

 ムジナの言う通りにすれば、きっと誰かに認められるのだと、信じてしまった


「キ、キ、キ、折角の懐かしい再会じゃないか、え? どうだ、もう一度組まないか、え?チビ。俺たちは、実にいい組み合わせだったよなぁ、え?」


 ポケットの右手を引き抜き、私へと差し伸べながらムジナは一歩、また一歩と近づいてくる。

 頭の毛が逆立つ感覚、胸がムカつく程の嫌悪感が、怒りが、こみ上げる。


「私に近づくな!」

「キヒ?」


 身内を駆け巡る禍々しい力が、消し去るべき獲物を探して荒れ狂う。


「汚らわしい! お前など、お前など!」


 差し伸べ垂れた手に向かい、私は鋭く伸びた爪を一閃させた。うっすらとムジナの掌に赤く滲む筋を刻む。


「キ、キヒヒ、チビ、そう短絡的に物を捕らえるなよ、え?」


 ムジナは顔色をサッと変え、素早く後退る。


「お前など……!」

「キ、キ、キ、そうか、残念だ、え? また上手くやれると、思ったんだがなぁキヒヒ……」


 ムジナは軽く飛び上がると、空中で静止してクルリと身を翻す。


「キ、キ、キ、実に残念だよ、え? チビ、お前は獲物と仲良しゴッコして、人間になったつもりか、え?」


 私は一瞬、凪の顔が脳裏に浮かんだ。まさか……。


「なら、チビ、この優しい俺様が、直々に、お前が何者かを思い出させてやるとしようか、え? キヒヒ!!」

「ムジナ⁉」


 ムジナの云わんとしている事に体の芯が凍りつく。


「キ、キ、キ、人間ってのは実に美味いよな、え? しかも、チビ、お前が心の底から欲しがっているなら、なお更だ、え? キヒヒヒ!」

「キサマ!!」

「キ、キ、キ、せいぜい、俺より早く見つけるんだな、え? チビよ! キヒヒヒ」


 掴みかかろうとした私をムジナによって起こされた強風が阻む。

 強く渦を巻くように吹き付けるその風は、ムジナに利用されている妖異たちの気配が混ざり、ムジナ自身の気配を消す役割を担っていた。


「キヒヒ、楽しみだよ、え? チビ。キヒヒヒ……ヒャーハハハハ!」

「待て! ムジナぁ!!」


 風に視覚と聴覚を塞がれ、ムジナの気配も掻き消えていく。

 なんて事だ!

 影のように張り付く私の愚かな過去が、凪を苦しめる事になる。余りにも愕然とするその事実に、全身から痺れた様に力が抜け、ぐったりと地面に崩れ落ちた。

 ムジナは私を苦しめるために凪を利用しようとしている。いや、利用するよりもっと禍々しい。

 駄目だ、それだけは絶対に駄目だ!そんな事は絶対にさせない。そんな事に巻き込む為に私は凪と共に居たのではない。

 私は凪を守る。

 その為ならどんな事だってする。



 して、みせる。


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