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第三幕 香風

 時無しの沼から戻った私は、生い茂る竹林の中で意識を取り戻した。

 折り重なる葉のざわめき、竹の軋む音。そばを吹き抜ける爽やかな風が、私を呼ぶ凪の声と、甘く優しい香りを運んで来る。

 凪。

 風が止む様を表す名前を持つ君の存在を、吹き抜ける風が私に伝える。


「行かなくちゃ」


 凪が直ぐ近くに居る。そう思うだけで、感じるだけで……肌が、心がざわめく。腕に抱いた凪の長刀を強く想いを込めて抱き締めた。


「凪……なぎ」


 逸る心に体がついていけず急ごうとすればするほど足はもつれ、巧く前に進む事が出来ない。早く、早く、早く会いたい。会って凪を抱きしめたい。その温もりに触れたい。


「なぎ、凪、凪っ」


 弾む声色とは裏腹に、一瞬だけ胸にちくりと棘が刺さった。凪は私と別れた後直ぐに、女の腹に宿って十月十日を共に過ごす。その大体の女は子を欲しいと思っておらず、生まれる子を疎ましく思い、産み落として間もなく人目に付かぬところに捨てる。

 そして私はその子を拾い、凪と名付けて育てる。その赤子ははたから見ればどんなに不幸なのだろうか。

 産みの親に捨てられ、育ての親に殺される。

 それでも凪は一度も責めたりしない。それどころか、私の手をとって共に歩んでくれる。

 凪、私の大切な存在……私の全て。もし、私は凪に会えなければどうなってしまうのだろう? 凪が居なくなってしまったら?

 あまりの恐ろしい考えに私はゾッとした。そんなはずはない。しかし血の気がどんどんと引いていく。そんなはずは、ない。

 今まで何度も、何度も、気の遠くなるような時間を繰り返し過ごしてきた。同じように過ごしてきた。

 それでも今回は何故か何処かが少し違う。理由は解らない。解らないけど……何処かが違うと感じる。

 息が苦しい。凪の方に近づけば近づくほど、久しく感じた事のない違和感を感じる。冷や汗が頬を伝う。


「ハァ……ハァ……」


 何だろうコレは? 言いようのない威圧感。遥か過去に何度も出会ったことのある嫌悪感。凪の気配が消えていく。

 凪の声が、香りが消えていく。


「な、んで……?」


 私は不自然な動きをする、からくり人形のようにギリギリと関節を無理やり動かし、半ば這うように前に進む。

 この感じは、この嫌な感じは……そうだ、すっかり忘れていた。この肌が粟立つ嫌な感じは、近くに退魔師が居るあかし。私は自分が出来る極限まで気配を消した。いま見つかれば、きっと私は消されてしまう。凪に一度も会えないまま、消されてしまう。

 今の私は無力だから。

 凪の肉体を喰らうことによって、異形の力と共に眠りについた『()』。ゆえに、ここに居る『私』は人と妖異の中間、何の力も持たず、人でもない曖昧な存在。

 再び生まれた凪の血を受けることで私はより人に近づくことができ、凪の退魔の刀からの影響と、退魔師の目と力から私を隠す。

 でもそれは、まだ成されていない。

 私は祈る思いでひたすら息を止めるようにじっとその場に身を潜め、退魔師がこの場を去るのを待った。

 どの位の時が過ぎたのか極限まで張り詰めた緊張は思いの他、私から精神力と体力を奪っていく。その間の願いは唯一つ。凪に逢う、ただそれだけ。

 しかし、退魔師の気配が去った後、私が最も恐れていた事態が起きていた。まさか、そんな馬鹿な……!

 慌てて凪の気配が感じられる場所に転がるように滑り込む。


「そん、な」


 震える手でそっと地面を撫でてみる。微かに残る凪の香り、温もり。

 でもソコに…………凪はいない。

 ガクガクと膝から下が崩れ落ちる。まるで自分の体から全ての骨がなくなってしまったみたいだ。


「い……やだ。そんな……嫌だ、凪、なぎぃぃぃ!!」


 頭が真っ白で何も考えられない。

 凪の気配が残るこの場所から、草を分け、地面を這い、凪の名を呼びながら、指先が血で塗れるまで辺りを探し回った。

 何処にも居ない。

 居なくなってしまった、凪が消えてしまった。


「う、ぁ……うわぁぁぁ――――!!」


 私の喉からは悲鳴が搾り出される。

 長く、長く、糸を引く様に、何時までも、溢れ出る叫びは止まらない。


「あぁぁぁ――――!!!!」


 どうして……? どうして、どうして、どうして!?

 誰が、一体誰が私の凪を連れて行ったの?

 何の為に!?

 凪は、私と居なければいけないのに!!

 怒りと絶望に近い感情が私を取り囲んだ。それが眠っていたはずの『()』を呼び覚まし、ギチリ……と長く伸びた牙が、爪が音を立てる。


『ダ、レガ……。ユルサナイ……ユルセナイ……カエセ、カエシテ、凪ヲ、凪ヲ、カエセェェェ!』


 私は周囲の草木を辺り構わず己の爪で引き裂いた。巻き上がる抉り取られた木片と鋭く刈り取られた草。

 やがて激情のままに暴れまわる私の爪が、固い何かに触れる。


 ガキン。


 その瞬間、体中に冷や水を浴びせかけられた様な冷たさが走り抜けた。

 鬼の爪でも引き裂けない。それは凪の長刀の鞘。


『ア……ウゥ……』


 私は漸く落ち着きを取り戻し、震える手で凪の長刀を引き寄せると、膝を抱えて座り込んだ。じわじわとと胸の奥底から癒えることのない痛みが溢れ出て止まらない。きっと、魂を引き裂かれるとこんな感じがするのではないだろうか。

 凪の刀ごと強く、強く、自分の体を抱え込む。

 辺りはすっかりと闇に包まれていた。吹き抜ける風も、葉の音も、虫の音も何もない静寂。そして更に深い闇が私を包む。

 凪が、消えてしまった。

 気配だけを残し、凪は私の指の間からするりと抜けるように消えてしまった。こんなにも凪に逢いたいのにどうして、逢う事が出来ないの……? ねぇ凪、キミは一体何処に消えてしまったの?

 現実を受け止められない私は夜の闇より更に深い、漆黒の闇の中に逃げ込んでいく。

 ねぇお願い、誰か助けて。


 誰か……助けて、凪…………。


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