六話
魔物を背後に控えた男が、考え込むように顎に手を当てる。
「勇者パーティは四人のメンバーから構成されているはずですが、私の勘違いでしたかね」
男の言葉を聞きたくない僕は両耳を覆う。
頼むからそれ以上はやめてくれ。リーシェもガンドレンも僕のためにその話題に触れないようにしてくれていたのに。
予想外に狼狽える僕の反応が心地良いのか、男が笑みを浮かべて追い打ちをかけるように声を張る。
「そんなはずないですよね?! ここにいるのは勇者と魔法使いと武闘家。聖女がいないなんてあり得るはずがない!」
「黙れ!」
「くくく、申し遅れましたが私は魔王軍の幹部でしてね。最近幹部の一人が勇者に打ち取られたと報告がありましたが、その戦い以前は聖女がいたそうですね。ということはもしかして……」
弾かれたように男に背を向けて、僕は駆け出した。
一分一秒でもこの場にとどまって男の耳障りな高い声を聞くのが嫌で、いつまでも沈んでいる自分の弱さが嫌で、そこから逃げたかった。
困惑している二人の傍を走り抜け、膝丈まである草を踏みつぶし、あてもなく走る。
そんな僕の様子から男は確信を得たようで、
「噂は本当だったのか。聖女は死んだのだな! だから勇者は打ちひしがれて聖剣を手放したのか!」
無様な僕を侮蔑する男の嘲笑が森にこだまし、耳にこびりついて離れない。
男の推測は正しい。聖女と称されたレイラは一週間前、魔王軍幹部との戦闘の最中に致命傷を負い、命を落とした。この両腕の中で彼女の体温が流れ落ちていく感触を忘れてはいない。
「レイラ……」
呼び掛けても返事の帰ってこない彼女の名を口にする。
枝に引っかけたせいで所々服が破れてしまったが、足を止めるつもりはない。動いていなければ、悲しみの波に飲まれて溺れ、二度と浮上することができない気がした。
涙がこみ上げてきて、目じりから飛び出して空中に溶けていく。
聖剣を引き抜いた僕が王への謁見のため王都を訪れた時が、僕とレイラが初めて顔をあわせたときだった。
王都は初めてだったし、聖剣に選ばれし勇者ということで多くの人の好奇を浴び、僕は疲労困憊。知り合いもいなくて難儀している中で、魔王を倒すための協力者ということでレイラを紹介された。
長い金髪に大きな瞳をした可憐な容姿をしていて、何事も完璧にこなしそうだというのが第一印象だった。
レイラは傷を癒す希少な魔法を得意としていて、魔王を倒す勇者の力となれるよう長年にわたり教育を受けていたそうだ。
彼女は僕が置かれている状況を理解してくれていて、僕の緊張をほぐすために一緒に王都の街中を観光しようと誘ってくれた。
「見てくださいアルフさん、ここが国内でも最高級の宝石を扱っているお店です!」
「看板にレストランって書いてあるよ」
「あれっ?! ほんとだ!」
どこか抜けていたり。
「なんかさっきから同じ道をぐるぐる回ってない?」
「えーとですねぇ、……すみません。迷子になっちゃいました」
王都は私の庭です、と豪語したくせに道に迷ったりと、想像上のレイラの像は見事に打ち砕かれた。この子と一緒で大丈夫かと新たな不安の種が現れたものの、僕が抱いていた心細さは彼女のおかげで解消された。
その後、仙人の爺さんの下での修業が始まった。
当初僕は何度も脱走をしようと試みたが、すぐに仙人に発見されては連れ戻されるという繰り返し。
仙人への愚痴や弱音を吐くのも一度や二度ではなかったが、そんなときレイラは粘り強く励ましてくれた。
「いいですかアルフさん、あなたには素晴らしい潜在能力があるんです。後必要なのは気合いですよ気合い! 私が応援するんで頑張って耐えてくださいね」
ひたすら精神論で発破をかけられたが、おかげで僕は最後まで修業を放棄せずにやり遂げることができた。
ガンドレンと僕の戦いの影響で山が崩れた時は、小一時間二人で正座してレイラに説教されてしまった。リーシェが入ってからはパーティに女の子が増えたと喜んでいた。二人から四人になった旅の仲間。
幸福な道はどこまでも続いているのだと錯覚していた。
その魔王軍幹部との戦いは熾烈を極めた。幹部たちの中でも輪をかけて優秀な魔物であり、勝てた時は心底ほっとした。だが、レイラは戦いの終結と共に地面に倒れ込んだ。
深い傷を負っていてとめどなく血が流れる。自分が大きなダメージを受けてなお、レイラは僕たちの回復を優先していたのだ。すでにレイラの高等な回復魔法でも修復不可能な段階。死の直前だった。
「やだよ、死なないでくれレイラ……。君がいてくれたから僕はこれまでやってこれたんだ。君を失ったら僕は!」
「大丈夫です……、アルフさんは……立派に成長しています。でも、たまに頑固なところは直した方がいいですよ? ……二人が困りますから」
風前の灯火のはずのレイラは気丈にふるまうが、口元からは血が滑り落ち、腹部の傷口から溢れた血が地面に広がっている。膝を折り、レイラを抱き上げている僕の足にも冷たい感触が伝わってきた。
僕の頬にレイラの細く白い指先が撫でるように優しく触れる。最後にレイラが口を開いた。
「あなたは希望の光です、どうか暗闇にさまよう人々を……導いて……あげて…………」
「わかったよ、約束する」
視界がぼやけて、ぐちゃぐちゃになった。袖で乱暴に何度も何度も拭ったが、涙はとまらなかった。
魔王討伐の力になるために、幼い頃からレイラが受けていた教育は厳しいものだった。友達と自由に遊ぶ同年代の子たちを窓から眺めて羨むこともあったと語っていた。世界の為だと自分を抑えて。
ある時尋ねたことがあった。
「重い使命を背負う今の自分の生き方を憎んだりすることはないのか? 魔物と命がけのやり取りなんかしない違った生き方もあったかもしれないだろ?」
「それも悪くはないかもしれませんね。でも……」
レイラは首を振り、微笑む。そこには聖女の名に相応しい慈悲が垣間見えた。
「私は困っている人はほっとけないんですよ。魔王討伐は過程でも結果でも多くの人が救えるじゃないですか、一石二鳥だと思うんですね。それに……、アルフさんにも出会うことができました」
「善人すぎだろー」
「えへへ」
薄い赤みが差したレイラの頬の色が目に焼き付いた。僕の頬もきっと同じ色に染まっていただろう。
レイラがいなくなってから僕の心は鉛が結ばれたかのように重たくなった。前向きに考えることすら苦痛に感じるほどに。
彼女はどれほど恩恵を受けてもおかしくないほど、誰かのために行動していた。それなのに志半ばで倒れるだなんてあんまりじゃないか!
やり場のない激憤が血のように体中を巡った。そして僕は勇者としてやっていく気力がなくなり、聖剣を質に入れることにしたのだ。
新しい生活の始まり――だったはずなのに。僕の傷跡を抉るかのように魔王軍の幹部が現れやがった。
いつの間にか、森を抜けて、街の近くまで来ていた。街を取り囲み住民の安全を守っている高い壁が燐光を受けたように輝く。
レイラが今の僕を見たらきっと口から火を噴くんじゃないかってくらい怒るだろうなあ。レイラは僕を説教する時は決まって正座させたものだ。
靴の下に固い感触があり、足を上げると小石がほんの少しだけその身を土に埋め込んでいた。僕は懐にある硬貨の固い感触を布の上から指で確かめる。カジノで増やしたので、質屋で受け取ったときよりも袋は重い。
「忘れてたよ、レイラと約束したんだった」