五話
「ほうほう、アルフはルーレットをやるのか。……にしてもでかすぎるだろこれは」
フロアの中央に鎮座する巨大なルーレットを中心とし、円状に並べられた席の一つに僕は座っている。背後では持ち金を吐きつくしたリーシェとガンドレンが観戦中だ。
数字と色が割り当てられたルーレットが回り、それを囲む客たちが当たった外れたと、結果に一喜一憂している。
勇者になる前の木こり時代、僕が最も得意としたゲームがルーレット。他人の顔色から相手の持ち札を予想したり、逆にポーカーフェイスで相手を欺いたりするような対人戦は得意ではなかった。
生き物を相手にするよりは描かれた柄や数字と睨めっこする方が変に気を揉まなくていいし、何より僕は運で勝負する方が圧倒的に勝率が良かった。
「数字を選ぶならやっぱり一番でかい数字だよな! 俺だったら間違いなくそうするぜ」
「短絡的ね、そんなことやってるからあっさり負けちゃったんでしょ?」
「まんまと担ぎ上げられて、みっともなく泣き喚いてたのはどこの魔法使いさんだったかな」
「うるさぁいっ!」
やかましく口喧嘩する二人はほっといて、僕は着々と準備をする。ルーレット盤を転がる複数の球がどんなマス目に入り込むのか、数字と色の組み合わせを選択していく。
本格的なプレイヤーなら盤と球の状態、どの組み合わせが勝ちやすいか、などを材料として理論詰めで勝つ確率を上げるのだろう。だが、僕のやり方は至って単純で直感に任せるのだ。
「……これとこれと、色はこんな感じかな」
「最初はいくら賭けるの? やっぱり小手調べってことでちょびっとだけがいいんじゃない?」
「全部だよ」
「全部ぅ?!」
リーシェの血色のいい顔がみるみる内に青ざめていき、欠乏した酸素を必死に吸い込むかのように口がパクパクと開閉する。
「僕、運はいい方なんだ」
「はっはっは! 持てる力の全てで挑む。アルフ、お前も豪快な男だな!」
「笑ってる場合じゃないでしょ、もし! もしも外れたら! おやつのケーキすら買えないくらい窮乏した生活が始まっちゃうのよ? 私、食欲には自信があるから真っ先に死んじゃう!」
「痩せられるしいいんじゃな――いてっ!」
杖で叩かれた僕は小さく唸る。肩甲骨に押し付けられた杖先の宝玉から、そこまでにしろというオーラを受け取ったので、黙ることにした。
広大な卓を囲む全ての客が選択を終え、満を持して球が次々と投入されていく。
盤の隅にある溝を滑る球は徐々に勢いが弱まっていき、板で仕切られたマスに入り込んで動きを止める。やがて盤上の全ての球が停止した。
「ちょっとちょっと、これって……」
「実際に目の前で起きたことだけどよ、すぐには信じられねーな」
未来を予知したかのように、僕の組み合わせ通りの結果となった。初めてでない僕自身ですら慣れていないのだから、二人の驚きはひと際大きなものだろう。
傍を通っていた客たちも足を止めて、興味深そうに僕たちの卓を眺めている。周りの客たちの注目を集めながら、僕は倍率分だけ増加したチップを受け取った
「言っただろ、僕は運がいい方だって」
「アルフ、悪いことは言わないから、イカサマしてるなら早く白状した方がいい。いくら負けちゃいけないからってずるするのは良くない」
「何もしてないんだけどなあ」
リーシェはまだ信じられないといった具合で、僕が小細工をしているのではと疑っていた。けれど、その後も連続で勝ち続けると、疑心は捨てて素直に増えていくお金で何が買えるか想像する方に集中しだした。
僕たちがカジノを出るころには日は沈みかけ、空は少しの赤色を残して暗さを帯びだしていた。建物の窓からは室内の明かりが漏れ出し、夕食を作っている家庭のいい匂いが漂ってくる。一日の仕事を終えた人々が、これから仲間たちと共に酒盛りへと向かうのか、浮足立って跳ねるように歩いていた。
「よくやったぞアルフ、元の金までどころか余分に稼いだじゃねぇか!」
「あれ、アルフ全然嬉しくないの?」
「もちろん嬉しいさ」
「浮かない顔してるけど?」
「えっ? そうかな……」
――本当に僕は運がいい。
素晴らしい仲間たちと巡り合うことができたおかげで、困難な局面でも力を合わせて乗り越えて旅を続けてくることができた。僕一人では途中で折れていたかもしれない。
彼らと出会えたことこそが僕にとっての何よりの幸運だろう。
ふと、カジノで出会った怪しい客のことを思い出した。彼は自分に正直に生きていた。
自分の心に嘘をついてまで間違ったことをするのは良くないかもしれない。今回は……、そう、特別ってことにしとこう。
「ちょっと行きたいところがあるんだけどいいかな?」
「何か買いたいものでもあんのか? それとも、リーシェを押し切ってでも綺麗なお姉さん方との宴を開こうってか?」
「違うよ、……人探しだ」
察しがいいガンドレンは誰を探すか、を聞かないうちに口角を吊り上げた。見透かされたようでいい気がしなかったが、眉根を寄せて何のことだかさっぱりという表情をするリーシェにすっかり毒気を抜かれてしまった。
「カジノに行く前に息子を探してくれって頼まれただろ、あれに後ろ髪を引かれるのはいやだからさ。それを解決したら今度こそ気兼ねなく脱勇者だ」
「そういうことなら、アルフの気が変わっちゃう前にさっさと行っちゃいましょう! 善は急げって言うしね」
男の息子が行方をくらませたという森は、街からそう遠くはない。昼はまだ安全だが、夜になると夜行性の魔物たちが蠢く危険な場所となる。もしかしたら深部へと入り、戻るための道に迷ったのかもしれない。魔物と遭遇して襲われれば、身を守れるほどの戦闘技術がなければ命はない。
今も男は息子の身を案じて気を病んでいるだろう、何とかして息子を見つけ出して男の元へ連れて行かねば。
だが、僕たちの気持ちとは裏腹に捜索は難航していた。
辺りは完全に暗闇が覆い、木々の絡み合う枝から差し込む月明かりだけが、僕たちの視界を機能させる。昼の内に出向いていれば、もっと環境は良好だったことに歯噛みする。
下草を踏みしめ、頭上から垂れ下がっている大きな葉をどけて人の姿を探す。見逃さないように目を凝らすが、成果は時折姿を現す野生動物だけ。
一刻の猶予もないという事実が僕の心を焦がす。
「なんて名前なのか聞いておけば良かったな、声を掛けようにもなんて呼べばいいのか分かんないや」
「叫んどけば人の声を目印に寄ってくるだろ」
「それで魔物がおびき寄せられるとかは勘弁してよね」
ふと、枯れ枝が折れる小気味のいい音が静寂に飛び込んできた。何者かの気配を認め、僕たちは一斉に音源の方に振り向く。
暗がりからぬるりと滑るように現れたのは、まさしく僕たちに捜索を切望したあの男だった。見知った顔だが僕たちは警戒を解かず、彼の一挙一動を凝視した。
「やっぱり来てくれたんですか、さすが勇者ですね。断られたときはどうしようかと思いましたが、信じていた甲斐がありました」
「あなたは森に入ることができないと嘆いていたはずだけど?」
それも魔物が活発になる時間帯なら尚更おかしい。
「あー、そういえばそうでしたね。あれ、嘘です。行方不明の息子もいません。全部あなたたちを誘い込むための罠ですよ」
男の背後の闇の中に、無数の赤い光が輝く。それは獲物へと向けられた魔物たちの狂気の籠った双眸だった。配下の魔物をこの場所に集めてきたのだろう。
一匹の魔物が僕たちに襲い掛かろうとするが、男に制止される。
「街で会った時も不思議だったんですがね、あなたたち勇者パーティは四人だったはずだ。後の一人は……どこに行ったんですか?」
心臓を直接握りつぶされるような痛烈な動悸がした。