一話
聖剣を質屋に入れることにした。
「私は預けられる品物の価値を測る審美眼には自信がありますがね、この柄にはめ込まれた宝玉の輝き、それに錆や刃こぼれ一つない真っ白な刀身……間違いなく本物の聖剣だ!!」
カウンターに置かれた剣をあらゆる角度から観察していた質屋の主人は勢いよく顔を上げた。興奮しすぎているのか、喉を引きつらせている。
僕は頷いて店主の疑問に肯定した。
「正真正銘、僕が一年前に古の台座から引っこ抜いた聖剣だよ」
「だとしたら、あなたは勇者ということになるが、その象徴を手放すおつもりなのですか? なぜです?」
「もう飽きたんだ」
僕の掠れるような声に店主は顔をしかめたが、すぐに真剣な表情となった。
さすがは大商業都市一番の質屋を切り盛りしているだけあって、商売の話となれば好奇心すらもねじ伏せることができるようだ。余計な詮索をされないのは僕としてもありがたい。
「いくらくらいになりそうかな? 僕としてはなるべく高い値を付けて欲しいんだけど」
「任せてください。王都の中心に巨大な豪邸を立てて、死ぬまで遊んで暮らせる額は保証しましょう」
「はは、それはうれしいね」
せめて働かずに生活出来ればいいと思っていたが、想像以上に聖剣には価値があるようだ。
こつん、と背中を杖で小突かれる。振り返ると、赤茶色の髪を肩で切り揃えた魔法使いの少女、リーシェが頬を膨らませて不満を露わにしていた。ぐいっと身を乗り出してくると、
「冗談じゃなくて、ほんとに売っちゃうつもりだなんてありえない! これじゃどうやって魔王を倒すっていうのよ!」
「旅は終わりにするつもりだよ」
「えっ……、そうなの? そんなあ……」
リーシェは俯き、その顔が髪に埋もれたせいで彼女がどんな表情を浮かべているかは分からない。……きっとポジティブなものではないのだろう。
短い間の後、持ち上がったリーシェの水色の瞳には涙が浮いていた。
いつもは快活で、僕たちの旅に華やかさを与えてくれるリーシェを図らずも追い詰めていたようだ。
「パーティが解散するなら、私はもういらないってことなのかな。そんなのってないよ、これからどうすればいいの……」
「そう落ち込むなリーシェ。誰にだって気分転換は必要さ、アルフみたいな戦い尽くめの勇者なら尚更だ」
リーシェを諫めて僕に助け舟を出したのは、大柄な格闘家のガンドレンだ。身につけている服はこの都市に着くまでの間の戦闘でボロボロに破れて、布切れのように垂れ下がっている。
顔つきも、街で見かければ自然と避けてしまいそうになる厳つさ。だが、彼は人の心の機微を推し量る繊細さも兼ね備えていた。
その凶暴そうな容貌とのちぐはぐさはなんとも可笑しい。
「アルフ、お前にも考えがあるんだろ。そう簡単に勇者っていう立場を投げ出すような奴じゃねぇもんな」
「……」
「あのー……、取引の方に話を戻してもよろしいですかな?」
割って入るタイミングを図っていたのであろう店主が、両手をこすり合わせている。僕たちの間に険悪なムードが漂い、商談しづらくなるのを避けたかったのだろう。
「ああ、わるい。金は今すぐ受け取れるかな?」
「私どもの手元にある分ですと、足りないというところが実情です。なので、他所から集めてくる時間を少々いただけますかな」
「わかった」
店主の気合いの籠った号令が飛び、茶を飲んだり昼寝をしたりしていた店員たちが大慌てで出かけていった。
特別な客のための部屋へ案内すると言われたが、僕たちは順番を待っている客たちと共にソファに座って待つことにした。
「うう、私だっていっぱい魔法使って頑張ってたのにー」
瞑目して休もうとしたが駄目だった。ご機嫌斜めなリーシェはぶつぶつと小言を言い続けている。しかもちょくちょく杖の根本で足元に攻撃までしてくるのだ、これは構わざるを得ない。
「金が手に入ったら新しい杖を買ってあげるからさ、元気出してくれよ」
「やったー! ってあれ? 新しい杖をゲットしても使う機会がなくっちゃ宝の持ち腐れじゃない!」
「優秀な魔法使いなら引く手数多さ。もし悩むようなら故郷に帰るってのもいいんじゃないか?」
「……ひどいこと言うんだね」
「あっ……」
適当に流そうとして、配慮の欠けた提案をしてしまった。「ごめん」と謝ると、彼女は太陽のようにさんさんと煌めく笑顔を取り戻してくれたので、ほっと胸をなでおろした。
切り替えの早さも彼女の良さと言えるだろう。辛いことや悲しいことがあっても、すぐにまた前を向ける。素直に羨ましい。僕だってそうでありたいものだ。
「他にも金の使い道は考えてんのか?」
「そうだね、せっかくの大金だからやっぱり豪勢に使いたいな」
「この都市には綺麗な女がいて、高級な酒を出す店がいくつもあるらしいぜ、どうだ?」
足を組み、ソファに反り返っているガンドレンが口角を吊り上げる。巨体はソファを深く沈ませ、二人分の幅を取っている。
僕として悪くないのだが、
「ちょっとアルフ、パーティに私という可愛らしーい女の子がいるのに、そんな怪しいところ行ったりしないよね? ねぇ?!」
「わ、分かったから。それ以上近づかないでくれ!」
リーシェが噛みつかんばかりに顔を寄せてきたので、仰け反ると、開いた距離の分更に詰めてくる。
高速に脈打つ心音を聞かれたくないので、両手で肩を押し返した。
「分かればよろしいのです」
リーシェは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「がっはっはっは!! 勇者様は大変だなあ、アルフよお」
「まったくだよ……」
地鳴りのようなガンドレンの笑いがソファを揺さぶり、縦にも横にも幅のある部屋に響き渡る。
僕の小さな溜息なんぞは吹っ飛ばされてしまった。
勇者になってからは目まぐるしい日々だった。
そもそも僕は小さな村の木こりとして生活を成していた。山に入って木を伐り、それを街に行って売る。余分な儲けは街で娯楽に使うといったありふれた人生であり、この先もずっとそうなのだと思っていた。変化が訪れたのは今から一年前、僕が十七歳になったとき。
いつものように街に下りると、中央の大きな像がある広場に人だかりができていた。どうやら王都からの使いが王直々の命により、聖剣に相応しい勇者を探しにきたらしいとのことだった。
古くから伝わる勇者と魔王の関係は僕も小さいころから何度も聞かされていたので忘れることはない。数百年に一度復活し、世界を牛耳らんとする魔王、そして魔を滅する力をもつ聖剣を携えて魔王討伐を目指す勇者。長きにわたる因縁の周期が現在訪れているということなのだ。
力に自慢のある屈強な男たちが金色の光沢を豊潤に放つ未知の鉱石で築かれた台座から聖剣を抜こうと試みる。だが、湯気が出るのではないかというほど顔を真っ赤にしても、聖剣はびくともしない。剣先が埋もれているだけなのに、台座と一体になっているかのようだった。
何百人と挑戦したが尽く失敗。人波に揉まれていつの間にか見物人の最前列にいた僕も挑戦することになった。もちろん、たかが一介の木こりである僕には、僕自身を含めて誰も欠片たりとも期待していなかった。
だが、聖剣はそれを嘲笑うかのようにあっさりと隠していた剣先を晒したのだ。まるでコーヒーが入ったカップからスプーンを取り出すときのように抵抗なく。
かくして、「ありゃりゃ」という間の抜けた声とともに、僕は聖剣に認められた勇者となったのだ。