最強賢者、父になる
俺はただ、ティナの手を握ることしかできなかった。
分娩台の上の彼女は呼吸が荒く、額には汗が滲み、苦しげにギュッと目を閉じている。こんなに苦しそうなのに、俺には何もできない。
これまで俺はどんな敵にも負けなかった。邪神の呪いを自らの力にしてから今日までずっと研鑽を続け、どんなことでも出来るようになったという自負があった。
それでも──
「俺は、こんなにも無力なのか」
魔力は無限にある。どれほど強力な魔法だって撃てる。
それでもティナの痛みを消し去る魔法はなかった。
「ティナ様、もう少しですよ。頑張りましょうね!」
俺の横でリファが助産師のひとりとしてティナに声をかける。
彼女以外にも、10人以上の医師や助産師が周囲で慌ただしく動いている。みんなティナの出産のために真剣だった。
安産に繋がるとされるアイテムや魔道具は出来る限り集めた。
それに神頼みもした。
なんならその神様の一柱が今、俺の隣にいる。
「あの、大地神デメテル様。ティナがものすごく辛そうなんですが……。なんとかしてあげられませんか?」
母なる大地を司る神、ということで安産には最適だろうと思ってデメテル様には昨晩から俺の屋敷で待機してもらっていた。
「ごめんね。この世界のヒトが子を産むって、ものすごく特別なことなの。だから私でも苦しみを無くすことはできない。でも産まれてくる子は、私が絶対に守ってみせるから」
それももちろん重要ですけど……。
見ているこっちが辛くなるほど、ティナが苦しそうにしている。
安産って、母子ともに健康を保ちながら負担の少ない出産を迎えることらしい。だからいくら安産祈願したりアイテムをそろえても、出産時の痛みは消せないみたい。
「は、ハルトさま」
「ティナ! 頑張れ、俺がついてる!」
ティナの目がかすかに開き、俺を見た。
その瞳に、決意と愛しさが宿っている。
「私は、大丈夫です。守護の勇者様と世界を救った、最強の魔法剣士なんですから」
「あぁ。そうだね」
「でも、ほんの少し。ちょっとだけ不安なので、そばにいてくださいね」
「もちろん! どこにも行かないよ。俺はずっとここにいるから」
──ティナは俺の妻だ。
俺が守ると決めた人だ。
「もう少しですよ!」
リファの声が響く。
ティナが最後の力を振り絞り、強く手を握り返してくる。
そして──
「う、産まれました!」
赤ん坊の甲高い泣き声が部屋に響いた。
「ハルトさん、元気な男の子です」
「……っ!」
俺は言葉を失った。
リファの腕の中で、小さな命が確かに息をしていた。
「これが、俺の子」
赤くてしわくちゃで、俺の指よりもずっと小さい手が、必死に空を掴もうと動いている。
リファや他の助産師たちが赤子の身体を洗ってくれている。
「ハルトさんはティナ様についていてください」
「わ、わかった」
セイラがティナに回復魔法をかけてくれていた。
そのおかげで彼女の顔色は良くなっている。
「お疲れ様。頑張ったね、ティナ」
「はい。後でギュってしてくださいね」
いくらでもしてあげるよ。
微笑むティナを見て、俺は胸をなでおろした。
それと同時に新たな不安も感じていた。
こんなに心臓に悪いのを、俺はあと何度繰り返せば……。
そう。ティナが一番初めに出産することになったが、 同時期にマイとメイ、リュカ、それからエルミアが俺の子を妊娠していた。
彼女らが無事に出産しても、多分その次が……。
いや、今は考えるのを止めよう。
我が子の誕生を喜ぶことだけに集中するんだ。
「お待たせしました。綺麗になりましたよ」
産湯が終わったみたい。
産湯って、子どもの健やかな成長を祈って行う儀式らしい。この世界では穢れのない女子がやることが望ましいとされている。
今日は聖都からわざわざ聖女が産湯のために来てくれた。
本当にありがたい。
「ティナ様、お子さんを抱けますか?」
「はい。ありがとう」
リファから赤子を受け取り、ティナが優しく抱きしめる。
「しばらくそうしてあげなさい。母親の胎内で守られていた赤子は、この世界に産まれた不安で泣くのです。危険な魔物もいる世界ですから、あなたがこの子を守るという強い想いを込めて抱いてあげなさい」
「……はい」
デメテル様の言葉を聞いたティナは、子を抱く腕の力を少し強めた。
ティナがかすかに笑う。
涙を浮かべながら、その子を見つめている。
「元気に産まれて来てくれてありがとう。あなたの名前は、リオンよ」
事前に話し合って決めた名前。
エルフの言葉で『太陽』を意味する。
世界を照らす太陽の様になって欲しいと願いを込めた。
少しして、ティナが俺を呼んだ。
「さぁ、次はお父さんの番ですよ」
赤ん坊が、俺の腕の中にそっと渡される。
小さなその体が胸の中でぴくりと動き、柔らかいぬくもりが伝わってくる。
これが、俺の子どもか。
感動で目がアツくなる。
「リオン。産まれてきてくれてありがとう。お前は何があっても父さんが守ってやるからな」
俺はレベル1だけど、最強の賢者だ。
そしてリオンの父親だから。
相手が魔王でも邪神でも呪いでも、この子に手を出すことは許さない。
そう心に誓いながら、俺は生まれたばかりの我が子をそっと抱きしめた。




