呼ばれる神の不運
「……くそっ。なんで俺がこんなことを」
神界の最果てにある神殿。
その壊れた壁をひとりで修繕している神がいた。
この神殿の主であり、四大神の一柱。
世界の暗黒面を司る邪神だ。
「式神め。どこに行きやがった」
他の四大神である海神や空神に複数体の式神がいるのに対して、邪神の式神は一体しかいなかった。創造神が邪神の元に送り込む追加の式神を作り忘れていたのが原因だ。そのため邪神は一体の式神を長く大切に使役してきた。
しかし今、この場に式神はいない。
それは邪神の元に『彼』を連れてきてしまったことを怒られると思い、式神が逃げていたから。
邪神はとある異世界人の運命に干渉し、『彼』をこちらの世界に転生させた。そして『彼』──ハルトに強力な呪いをかけ、眠りについたのだ。
邪神が眠っている時、暇を持て余した式神が偵察と称して人間界に遊びに行ったのだが……。その際偶然ハルトに見つかり、転移用の魔法陣を貼り付けられてしまった。
式神が邪神の前までハルトを連れてきてしまったことになる。だから式神は逃げた。逃げた先は邪神に恨みを抱いていた本人、ハルトの元だった。彼が異常な力を持っていることに気付いた式神は、即座に主を鞍替えした。
もとより式神は創造神の命令で邪神に仕えていた。その創造神が許可したことと、ハルトが式神を受け入れたので彼女はエルノール家の一員となった。
だからいつまで待っても、式神はここに帰ってこない。これまで彼女が管理していた神殿は今後、邪神ひとりで何とかしなければならない。とはいえ彼も神だ。何体もの悪魔や魔人を従える存在であり、本来なら自ら神殿の修繕などする必要がない。本来なら……。
「なぜ悪魔たちも誰ひとり俺の声に応えない!? 一体、どうなってるんだ!?」
悪魔たちは邪神の呼びかけに応じなかった。
否、応じられなかった。
邪神の声に応えられる悪魔がいなかったのだ。
神界に来ることができるのは序列二十位以上の高位悪魔のみ。それら高位の悪魔はある一体を残して、この世界から消滅していた。
妻となったシトリー以外の悪魔を、ハルトとその家族が殲滅していたからだ。
式神がいなくなり、悪魔も呼ぶことができない。しかし神殿に空いた大穴は気になってしまう。眠りから目を覚まして数日後、邪神は仕方なく自ら神殿の修繕を始めた。
彼は眠りから目を覚ましたつもりでいた。
ハルトに呪いをかける前後の記憶がなかった。
彼に殴られた衝撃で記憶を喪失していたのだ。
これは邪神にとって幸運だった。遠く離れた創造神の神殿まで吹き飛ばされるような、ありえない威力で殴られた恐怖を完全に忘れられたのだから。
しかしそれは同時に不幸でもあった。
邪神は忘れてしまったのだ。
ハルトに殴られたこと。
彼に呪いをかけたこと。
彼を殺したのが、自分であることを。
『邪神、召喚!!』
「……ん?」
邪神はどこか遠くから呼ばれたのを感じた。
その次の瞬間。
「な、なんだこれは!?」
召喚用の魔法陣が邪神の足元に現れた。
邪神にとってヒトに召喚されるのはこれが初めて。しかし創造神によって、彼ら神はヒトに召喚された時の対応をその心身に刻まれていた。
人間界に邪神が顕現した。
「ふはははははっ。この俺を召喚するとは。人間よ、愚かなり」
身体から瘴気を放出する。
邪気を含んだ声を発する。
「されど汝の望みは叶えてやろう。さぁ、望みを言え」
邪神の身体が勝手に動く。
それらしい雰囲気を作り出してしまう。
「虐殺か? 殲滅か!? 貴様の望むがままに破壊を。死を、恐怖を、絶望をまき散らしてやろう!」
「虐殺も破壊も望みません」
それは邪神の目の前にいる美女の言葉だった。
彼女が召喚主であることを邪神は理解する。
「私が貴方に倒していただきたいのは、たったひとりです」
「……なに?」
美女が指さす先に邪神が視線を送る。
その先にいたのは、黒髪青目の青年。
「お久しぶりです。邪神様」