Cランク昇級試験(7/16)
「あー。ハルトが、あのモードに入ったにゃ」
「そ、そうだな……」
笑顔のハルトが巨大な炎の槍を出現させたのを見たメルディが呟き、リューシンがそれに応える。ふたりはまるで、嫌な思い出が蘇ったかのような複雑な表情をしていた。
メルディがいう、あのモードとは──
「ハルトのドSモードって、久しぶりじゃね?」
「たしかにそうにゃ。ハルトが邪神を倒したし、ウチらも結構強くなったから最近はなかったにゃ」
ハルトの『ドSモード』。
それは彼が仲間を鍛えるとき、仲間に向かって放つレベルだとは到底思えない魔法を笑顔で繰り出してくることから、メルディたちが名付けた状態のことを指す。
最強の賢者は、邪神に反旗を翻した。初めて魔人を倒した時から彼は、邪神の反撃を受ける可能性を常々考えていたのだ。
もちろん自分が守れるときは、全力で仲間や家族を守る。
しかし、相手は神だ。いつなん時襲ってくるのかもわからない。ヒトの常識など通用しない存在。
だから賢者は、家族を強くすることにした。仲間の能力を、最大限に伸ばすことを決意した。
邪神の手先として、人間界で活動可能な最強の存在は悪魔だ。ハルトは家族全員が、その悪魔に勝てるようにと準備をしてきた。
獣人族のメルディとドラゴノイドのリューシンは、種族的にステータスが恵まれているということもあり、戦力の伸びしろが大きかった。自分がいなくても仲間を守れる存在を増やしたいと判断した賢者が、まずそのふたりを重点的に強化しようとしたのは至極当然のこと。
伸びしろがあったせいで、メルディたちは犠牲になったともいえる。
想像してほしい。無限の魔力を持った魔王が、少しでも油断すれば一瞬で殺されるくらいの強敵を無限に出現させてくる。仮に戦闘で傷つけば、どんな大怪我をしても瞬時に治癒される。望んでいないのに、体力も魔力も常に全回復させられる。
戦闘を終わらせるには、魔王の魔法を倒しきるしかない。
そんな地獄の特訓を、メルディやリューシンは何度も体験してきた。だからふたりは、少しだけガドに同情している。
しかしそれ以上に彼女たちは現在、気分が高揚していた。
「リューシン。なんでニヤけてるにゃ? ちょっとキモイにゃ」
「すまん、ついな──って、メルディ。お前も、気持ち悪いぐらい笑ってんじゃねーか!」
「えっ」
ふたりは無意識に笑っていた。
それは自分たちと同じ体験をする犠牲者が。同じ恐怖を体験することになる同胞が、増えることを無意識に喜んでしまったからだ。
しかも今回は、自分がやる側に回れる。
「アイツは、ルナをナンパしてきたにゃ。脅してたにゃ。あ、あと。ウチのことを凶暴な種族だって、蔑んできたにゃ」
正直メルディは、自分を貶されたことに関してはあまり気にしていなかった。しかし、ガドを罰する理由を増やすために、あえてそれも入れておく。
「そいつは許せねーな。イリーナさんも、アイツには困らされてるって言ってたし」
ハルトと別行動をしていた時、リューシンはイリーナから、ガドが過去に起こした悪行を聞かされていた。
ガドに未来を絶たれた男冒険者がいる。
半ば無理やり襲われた女冒険者がいる。
しかしガドは、王国騎士団の隊長だ。このグレンデールという国の中では、そこそこ権力を持つ立場にある。そんな彼に対して、冒険者ギルドのマスターであるイリーナは強い態度をとることができない。
ギルドは国に存在を認めてもらうことで、様々な面で優遇されているからだ。
この冒険者ギルドの運営をしなければならないイリーナが、ガドに何かすることはできない。
しかし昇給試験中の事故であれば、あまり問題にはならない。現にガドが男冒険者に対してやり過ぎた時は、事故として処理されてきた。
それにイリーナであっても、試験中はガドの指定した『部外者の手出しを禁止する』というルールのせいで、戦闘を止めることができない。
本来ならばそれは、ガドが冒険者をボコボコにしていても、誰も止められないようにするためのルールなのだが──
「俺がうっかり完全竜化しちゃって、暴走してアイツを死なせてしまっても……事故だよな?」
今回はガドが死にかけても、誰も止めてくれないというモノになっている。
ガドが自ら『止めるな』と言うのだから、仕方ない。
「うん。それは仕方ないにゃ。ウチもうっかり、悪魔を消滅させられる飛拳でアイツ殴っちゃうかもしれないけど……」
「メルディ、それは事故だよ。だってコレは昇級をかけた試験だもん。つい僕らが本気を出しちゃっても、問題はないよ」
「シルフがそう言ってくれるなら安心にゃ!」
ハルトたちと一緒に冒険者登録をして、今日の昇級試験にもついてきたシルフは風の精霊王だ。精霊王という存在は、本来なら力を持つ者の行動を監視し、その暴走を抑えて世界を守らなければならない。
しかしハルトがここをダンジョンにしてしまったことで、その必要がなくなった。
ダンジョンとは外の世界と隔離された空間であり、そこはひとつの世界であるとも言える。その世界の管理者は創造神ではなく、ダンジョンマスターなのだ。
今、この闘技場の神は、ハルトだった。
当然、シルフが神を止めることはない。
イリーナも、それに賛同する。
「あぁ、事故なら仕方ない。私もそう思うから、是非とも全力でやってくれ。……それにしても、悪魔を倒せるというのは本当か?」
「うん。ほんとにゃ」
「俺ら以外でも、ここにいる全員が悪魔を倒せるんじゃねーかな?」
今日、試験を受けに来ているのはハルトとルナ、メルディ、シルフ、アカリ、シトリー、リューシン、ヒナタの八人。
邪神討伐に出張ったハルトと、異世界の神からチートスキルを貰った勇者のアカリ。そして元魔王であるシトリーは、この世界で最強の存在だ。神々を含めても、そうだと言える。
レベル200を超え、魔衣を使いこなす獣人族のメルディ。そして完全竜化が可能になったリューシンは、複数体の悪魔を同時に相手取っても勝利できる。
世界樹が悪魔から身を守るために生み出した存在が風の精霊王シルフであり、当然彼女には悪魔を倒せるだけの力が備わっている。
リューシンの妻となったヒナタは、かつて自分の目の前で死にそうになった旦那を守れるような存在になりたいと考えた。そして最強賢者や英雄、魔法学園の学長の指導を受けて、黒竜の暴走を抑えられるほどの力を得ていた。
問題は──
「わ、私は。ひとりじゃ、悪魔を倒せません」
付術師であるルナは、いくらレベルを上げても、個人の魔法だけでは悪魔を倒せるほどにはなれなかった。
「魔人くらいなら、なんとか……」
魔人を倒せる時点で、この世界のヒトとしては十分バケモノ級の領域に足を踏み入れていると言える。
しかしその程度では、エルノール家においては保護される対象となるのだ。
「ルナには、アレがあるから大丈夫にゃ。自信を持つにゃ!」
メルディが、落ち込むルナを励ます。
ちょうどその時、一回目の事故が起きた。
「ファイアランス!」
ハルトが巨大な炎の槍を、ガドに向けてはなったのだ。そしてそれは──
「な!? まっ──」
ガドの肉体を、容易く消滅させた。
次の瞬間、闘技場の中心が眩く輝く。
光が収まった時、そこにガドが立っていた。
「……は?」
あまりに一瞬のことで、未だ何が起きたのか理解できていない様子。
そんな彼の心を折るべく、ドSモードの最強賢者が、次なる魔法の準備を始めていた。