賢者の蘇生魔法
「な、なんじゃ、あれは……」
故郷フォノストから、グレンデールに帰ってきていたヨウコが、天高く伸びた炎の柱を見て唖然とした。
膨大な魔力。
その魔力の持ち主を、ヨウコは知っていた。
「主様じゃ。し、しかし、あそこまでの魔力を注ぎ込むとは……いったい主様は、なにと戦っておるのじゃ?」
つい先日、ハルトが悪魔を倒した時に使ったホーリーランス。
それですら、ヨウコの理解の範疇を超える魔力量の魔法だった。
しかし、ヨウコが今眺めている炎の柱には、そのホーリーランスの何倍もの魔力が込められていた。
炎の柱が、地面に叩きつけられた。
およそ十秒後、その柱が消えた時、ヨウコはハルトのすぐ近くまで移動してきていた。
そこでヨウコが目にしたものは、真っ黒に焼け焦げた、巨大な竜らしきモノであった。
「あ、主様、これは?」
「ヨウコか、おかえり。リュカと白亜を襲ってた竜を、倒してたの」
少し離れたところで、白亜とリュカが抱き合って震えていた。
恐らく、怖い思いをしたのだろう。
白亜も高位の竜なのだが、まだ子供だ。
対してハルトが倒したという竜は、身体が大きく成体であることがわかる。
「そ、そうか、かなり高位の竜だと思えるが……やはり、主様の敵ではなかったのじゃな」
「うん。大したことはなかったけど、耐久力だけはヤバかったよ。こんなに魔法を撃ち続けたのは初めてだ」
今のハルトは一秒あれば、一万発程度のファイアランスを発動させられる。
一分で六十万発。
それを十分間、撃ち続けた。
計六百万発のファイアランスを撃ち込んだのだ。
しかし、竜は死ななかった。
地面に堕ちた竜の生死を確認するために、それに近づいたハルトの腹に、竜が爪を突き立ててきたのだ。
もちろん、ステータスが固定されているハルトに、その攻撃が効くはずはない。
六百万発でダメなのであれば、その倍にしよう──そう判断したハルトが、一千五百万発分のファイアランスをまとめて、竜の頭上から打ち下ろした。
ちなみに、三百万発分はおまけだ。
さすがの竜も、ピクリとも動かなくなったが、その肉体が完全に燃え尽きることはなかった。
まぁ、それも仕方ない。
なぜなら、ハルトがおよそ二千万発のファイアランスを撃ち込んだ相手は、この世界の神の一柱である竜神なのだから。
未だにハルトは自分が倒してしまった相手が、神であることに気付いていなかった。
リュカと白亜が震えているのは、自分たちが祈りを捧げる対象である竜神を、ハルトが倒してしまったからだ。
竜神に掴まれてハルトの屋敷に向かっていたら、突然ハルトが空中に現れた。
ハルトは高速で飛べないので、魔法で足場を作りながら、竜神を追いかけた。
その必死に空を翔けてくる姿を見て、白亜とリュカは嬉しくなった。
夫であるハルトが、自分たちを守るために一所懸命、追いかけてきてくれている──そう感じたのだ。
しかし、竜神の飛行速度は、ハルトの空を翔ける速度より格段に速く、どんどんハルトが遠ざかっていく。
もっと、ハルトが自分のために頑張ってくれる姿が見たい。
そんな白亜の気持ちが、彼女に叫ばせた。
『はるとー! 助けてなの!!』──と。
今現在、白亜は不用意にその言葉を叫んだ自分を、猛烈に呪っていた。
確かに、ハルトはかっこよかった。
自分たちを掴んでいた竜の腕を斬り落とし、助けてくれた後に、その竜を圧倒的な力で倒したのだから。
夫が自分を颯爽と助けてくれた。
それはすごく嬉しい。
しかし、素直に喜べない。
彼が倒してしまった竜が、神様だったから。
別に襲われていたわけでもなく、ただ移動していただけだったから。
もちろん、竜神に完全に非がないかと言われればそうではない。
リュカと白亜を背中に乗せて飛ぶこともできたのだ。
そうであればハルトが、竜に白亜たちが襲われているなどと思うことはなかった。
竜神は、かつて守護の勇者であった遥人が現世に転生したと知って、過去の戦いのリベンジにやってきたのだ。
しかし、結果は見ての通りの惨敗。
それどころか負けた相手が、リベンジを果たすべき相手だということすら理解しないうちに、倒されてしまった。
竜神は神なので、死ぬことはない。
しかし顕現用の肉体を完全に破壊され、一切の身動きができなくなっていた。
竜の肉体が完全に動かなくなったことを確認し、ハルトはようやくその竜から意識を逸らした。
「ヨウコ、それはなに?」
ハルトの視線はヨウコの背後に置かれた、氷の中に閉じ込められた美女に固定されていた。
その美女は、ヨウコから幼さを抜いて大人にしたかのような妖艶な形をしている。
ハルトの妻たちの中にはいない雰囲気の女性だった。
「実は……我の母様なのじゃ」
「えっ!?」
「母様は二百年前、わ、我のせいで、死んで──」
ヨウコの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「主様、母様を、助けてほしいのじゃ」
「なんとかしてあげたいけど、二百年も前だとさすがに、魂が……」
この世界の死とは、肉体が傷つき魂が肉体から離れることを言う。
しかし魂さえ無事であれば、肉体を回復させた後に肉体と魂を結ぶことで蘇生ができる。
肉体と魂を結ぶことは、リュカやセイラのリザレクションや世界樹の葉から作ったエリクサーでなんとかなる。
肉体の回復程度なら、ハルトでも可能。
一番の問題は、魂の所在だ。
通常、この世界の魔物や魔族、ヒトが死ぬと、およそ一時間で魂が輪廻の輪に組み込まれ、次の生き物に生まれ変わる。
そのため、蘇生するなら魂が肉体のそばにある一時間以内にしなければならない。
死して二百年も経過しているヨウコの母を蘇生させるのは、絶望的だった。
「母様の魂なら、まだここにあるのじゃ」
「……まじで?」
美女が入った氷に、ハルトが触れる。
「た、確かに。彼女の魂はここにあるね」
転移と転生を経験し、闇魔法と聖属性魔法を使いこなすハルトは、いつからか他人の魂を感じる能力を得ていた。
「これは、すごい。本当に二百年も経ってるの? 魂がほとんど消耗してない」
ヨウコの母──キキョウの魂は、彼女が死んですぐにヨウコによって肉体ごと封印されてしまった。
そのせいで輪廻の輪に入ることができず、魂はずっと肉体と共にあったのだ。
勇者に討伐されることがなければ、九尾狐は数万の年月を生きる。
そんな九尾狐であるキキョウの魂は、二百年程度で消耗するようなものではなかった。
「怪我とかは……してないね。このまま魂と肉体を繋げば、蘇生はできるかな」
ハルトは氷に魔力を流して、キキョウの状態を確認する。
彼女の肉体は、死んでいると思えないくらい綺麗な状態だった。
キキョウがヨウコに心配させまいと、死ぬ直前に自分の身体を回復させたからだ。
身体の回復はできたが、退魔の武器によって魂を傷付けられたことで、彼女は命を保つことができなかった。
その傷付いた魂も、二百年という月日の中でゆっくりと自然治癒していた。
ハルトはキキョウを蘇生できることを確信し、魔力の放出をはじめた。
そして──
「ヒール!」
詠唱はヒールだった。
しかしその効果は、回復魔法を専門とする者たちの中でも、ほんのひと握りの者だけが使うことを許される蘇生魔法リザレクション。
そんな魔法を──賢者であるハルトが発動させたのだ。




