脅威
世界は、危機に陥っていた。氷河期による人類の絶滅、核戦争による地球規模の壊滅、未知の病原体によるパンデミック。人が思いつきそうな内容、チープな映画の題材になりそうなそれとは別の理由によって、人類はその種の存続を脅かされていた。
それを知る者達はその危機を「魔獣」と称した。魔獣は人類では太刀打ち出来ない。それは技術不足や力不足ではなく人と魔獣とでは階層が異なるからである。水と油ではどれだけ混ぜようとも比重によってやがて層が異なるように、黒という色が他の色と重なれば塗りつぶされるように。故に魔獣と人間の関係もまた、階層が下であり、存在という色で負けている人間が絶滅するのは必然的なことだ。
しかし、そこで黙ってやられないのが人間である。どんなに不利であっても、その不利益が、その牙が自分に向いた時それをどんな手を使ってでも排除しようとするのが人間の本能に刻まれたものであることは疑いようもない。
排除、というのは別にその牙を消すことだけではない。その存在から逃れる。あるいはその存在と共存するというのもある意味では驚異の排除であるといえるだろう。だが人間という生き物は力でもって、技術でもって自然をねじ伏せてきた過去を持つ。そういった種族の選ぶ手段とはすなわち武力だ。
そして、これから話すのは一人の人間が“ある被害”にあうまでの前日譚であり、一人の魔術師の物語である。
その魔術師の話、苦悩の日々について話をする。その男は平々凡々、いたって普通の人生を送っていた。しかし、石に躓くように日常という平均台から滑り落ちた。これは、日常というものがいかに微妙なバランスで成り立っているのか、と言う実例でもあるのだがそれはまた次の機会にしておこう。
まぁ、そうして坂を転げ落ちた男はこの世の闇を渡り歩き「魔術」という外法を習得するに至った。表の人間としては平凡であったこの男は、裏の人間、特に魔術という外法において裏にいる者達の中でも凌駕する才能があった。
そんな彼が、この危機に直面した時とった行動は、古来より伝わる動物を用いた呪術「蠱毒」である。ただの蠱毒ではない、水が油との性質の壁を超える為に、他の色が黒と並びえる存在に昇華する為には単なる呪術などでは到底たどり着けない。それはその道の専門家であっても不可能だ。
しかし、この世界を蠱毒におけるその壺と見立てて呪術を執り行えば、その壁を超えることを可能にする起爆剤としては十分であると目測を立てた。蠱毒の中身つまりは己の存在をかけて材料となり果てる存在を作り出す方法として選んだのは悪意の伝染。悪意の種類は、「復讐心」。場合によっては万人をも突き動かす材料に成り得る心の動き。全ての人間に伝染せず、しかし当てはまった人間は容赦なく蝕む呪いの心理。復讐心という選定条件を経て、選ばれた者同士が殺し合い魂のレベルを魔獣と同レベルまで押し上げる為の坩堝を、彼は再現しようとした。
彼は人間の“本能”を存分に揮い、外道の限りを尽くしそれを実現させた。具体的には、テロ組織を自ら創設し魔術傭兵を生みだし魔術的な楔を地脈に打ち込むと共に、大勢の人間を殺すことで「復讐心」を媒介させる術を作り出した。
そうして最後には、自分自らがその楔になることでその魔術を完成させたのであった。その最後の事件が、ある少年を復讐者へと仕立て上げたのであった。そしてその少年が復讐者になった事からこの物語は動き出す。