花嫁
その日。
ヴェルシュタイン城門前では百程の軍勢が規則正しく整列していた。
彼らは武骨で実用性を重視した鎧ではなく、煌びやかな礼服を身に纏っている。
そして、その中央に依然として佇む、俺も儀礼的な服装だ。
「そろそろになりますね」
傍らに控えていたルッツが声を掛けてくる。
「お館様の花嫁になるノーラ嬢のお姿がお見えになるのは」
「楽しみですな」
そんな感想を漏らしたのはマルコだ。
「……全くだ」
俺はそれだけを口にする。
今回の婚姻に内心思う事はあるが、既に婚姻する事が決まっている以上、家臣達に不満げな態度を見せる訳にはいかない。
とは言え、人間である以上――意図せず皮肉的なニュアンスが含まれたのは仕方がない事だろう。
――まあ、今回の婚姻に不満を抱いているのは相手も同じか――
二カ月前に、王都で子爵位に陞爵したとはいえ、つい最近までいつ滅んでもおかしくないような辺境の弱小貴族に嫁ぐことになったのだ。不満を持つなと言う方が無体と言うもの。
――先日シュトラを訪れた際も、婚約の挨拶を兼ねてノーラと顔を合わせたが、何か難しい顔で考え込んでいるかに見えた――
アレは恐らく自身の先行きに不安を抱いていたのだろう。
俺も、人生で――いや、前世含めてコレが初めての結婚になる。正直、不満というよりに不安の方が大きい。
――だが、俺以上に彼女の方が不安な筈だ――
リーゼの顔が脳裏に過る。
シュミット伯爵家との外交関係を度外視しても、そのことは極力配慮しなければ……経験者で、ノーラの叔母でもある母にも、彼女の精神状態に気を配るよう頼み込んでおくか。
頭の上に広がる澄み切った青空を見上げて、大きく深呼吸した。
「お館様!来ました!」
ルッツの呼びかけで、視線を地上に戻す。
地平線には、ノーラを乗せていると思わしき馬車に付き人と護衛部隊の姿が見えた。
その隊列は相当の長さで、千人に届いているのではないか。
「流石はシュミット伯爵家だな」
「ニア様の時より多いですな」
マルコがそんな事を口にする。
「やはりシュミット伯爵閣下も娘は可愛いのでしょうな」
「……どうだか」
色々と邪推することは出来るが……
それからノーラの隊列がヴェルシュタインに達するまでに二刻近い時を要したのだった。
隊列の先頭から一騎駆け寄ってくる。
騎乗していたのは見覚えのある貴族であった。
「ヴェルシュタイン子爵閣下。こうしてお出迎え頂きありがとうございます」
「トラウト卿も遠路遥々とご苦労である」
未だ閣下は慣れないなと思いながら、戸惑わずに返答する。
「我らが姫ノーラ様を無事にヴェルシュタインまでお連れ致しました」
そのノーラはといえば、騎士の手を借りて馬車を降りたち、此方へと悠然に歩み寄ってくる。
「ヴェルシュタイン閣下。お忙しい中、こうしてお出迎え頂きありがとうございます」
そっと瞳を伏せて感謝の言葉を述べたノーラ。
その洗礼された美しさに周囲の人間から溜め息が漏れた。
俺も五年前の記憶が無ければ魅入られていただろう。
――初対面の時とは雲泥の差だな――
「ノーラ嬢、ようこそヴェルシュタインへ」
言葉を交わしながらノーラの様子を観察する。
長旅で疲労はあるが緊張の色は見えない。笑みを浮かべるほどリラックスもしていないが精神状態が不安定であるわけではない。
「では、早速中へご案内いたしましょう」
その事を以外だと思いつつも、気を取り直して話を進める。
ヴェルシュタインの街路から広場にかけて大勢の人が集まっていた。
ノーラを一目見ようとヴェルシュタイン市民が大挙して押し寄せているのだ。この時代、娯楽やイベントといった物が少ない事も関係あるだろう。
その群衆警備には警備隊だけでは手が足りず、正規兵まで動員したほどだ。
そして、一行は少なくない時間を要して市内を行進し、ヴェルシュタイン城の敷地内へと足を踏み入れた。
あれから、数日後――。
歓迎ムードがいくらか落ち着きを取り戻した頃に、俺は改めてノーラの元を訪れていた。
「ご機嫌如何かな?」
「……大変結構ですよ?旦那様?」
その口調には棘があった。
――どう考えてもご機嫌麗しくは見えない――
まあ、ここ最近は色々と忙しかった。ストレスが溜まっているのも無理はないか――
俺は改めて、自身の妻になる相手を眺める。
――何処となく彼女に似ているよな――
「……何か?」
ノーラが眉を顰めて問いかける。いつの間にか不躾な視線を送っていたようだ。
「いや、知人に似ていると」
「……どのようなお方だったのですか?」
まさか、そんな個人的な事に興味を持たれるとは思いもせず、軽く目を見開く。
「容姿は……まあ、似ていないか……」
強いて、似ている部分を挙げるとするなら、その碧眼の瞳だ。
彼女の碧眼には、全てを見通す理知的な輝きを感じられた。
「容姿でいうなら、イザベル殿下と瓜二つだった」
汐璃は母方の祖母がドイツ人のクォーターで、祖先帰りにより日本人でありながら日本人離れした容姿の持ち主であった。
「似ているのは性格――いや雰囲気か」
彼女は口調が強かったが、それは口が悪いと言うより、常日頃から情けない俺を叱りつけてのことだ。
――まあ、そこに嗜虐心が全くなかったとは言わないが――
ここまで思考して、やっと自身の愚かさに思い至った。
――俺は馬鹿か、何をしみじみと語っているのか――
汐璃とは、別に付き合っていた訳では無い。それでもこれから生涯を共にするであろう女性相手に、他の異性の話を長々とするのは褒められた行為ではないだろう。ただでさえ、不機嫌なのだ。
相手の顔色を伺う。
「……」
ノーラは瞳を伏せて、何かを考え込んでいるようだった。
――不機嫌、という訳ではなさそうだが――
すると、ノーラが視線を此方に移す。
意図せずして互いの瞳を見つめ合う形になる。
――やっぱり、似ている――
汐璃と同じ碧眼の瞳に見つめられると、どうしても彼女の事が脳裏にチラつく。
ノーラは、僅かに逡巡した様子を見せたあと、再び口を開いた。
「私もアルス・ヴェルシュタインに――」
いえ、と後を紡いで、懐かしい響きを口にした。
『貴方に伝えたい事がある――高島圭一』
日本語で呟かれたその名は――懐かしくあると同時に、決して忘れられない――俺のもう一つの名前だった。