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当主と兄

 

 セレスの瞳は青く燃えていた。その瞳は顔を逸らすことさえ許してはくれない。


「……知っていますよ」


 だからただ、それだけを口にした。

 ――空気がぐっと重くなったように感じる。そして暫くの時を経て、ようやくセレスが口を開いた。


「それで、途中退出した理由は何なの?」


 〝まさか、自傷する為に抜けてきたのではないわよね?〟と視線が問いかけてくる。


「……返事をする前にリーゼには先に話しておこうと思ったのです」


 途中退出した理由は最低限の義理を果たしておくためだ。

 しかし、この行為はリーゼの意思を問うものではない。そして、重要なのは過程でなく結果だと、他の誰でもない俺自身がそう思っている。

 だから、この行為にどれ程の意味があるのか自分でも分からない。こんなものは只の自己満足だと他人に糾弾されれば、それを否定することは出来ないだろう。


「だったら、こんな所で馬鹿なことやっている場合ではないじゃない」


 一緒に着いて行ってあげるから、とセレスは先導し始めた。


 ――本当に、この人は心が強い――


 その背中を一歩遅れてついていく。


 幾ら、セレスが政略婚を受け入れ、リーゼが嫁ぐのも仕方ない事だと割り切っていても、出来る事なら姉である自分が身代わりになりたいと思っている筈だ。だけど、それは許されない――否、それどころか完全な蚊帳の外だ。


 ――その屈辱は俺の比ではないだろう――


 だけど、それを表には決して見せない。余計な負担を俺やリーゼにかけないために――

 昔からそうだ。セレスは――リーゼやラルは俺より遥かに強い。

 そんなこと最初から知っていた。だけど、それを認めたくなかった。

 何故なら――


 醜い自意識の塊が心の奥底で燻った。






「着いたわ」


 その声で物思いに耽っていた意識が覚醒した。俺は一歩前へと踏み出し、リーゼの部屋の前に立つ。


「リーゼ、話がある」

「え、アルスお兄様?」


 部屋の中から驚いたような声がした。

 暫くして、扉が開かれる。

 顔を出したリーゼは、先ず俺を見て次に隣にいたセレスに視線を移した。


「……どうぞ」


 何処となく不安そうなか細い声音。

 俺は用意された椅子に案内され、腰を下ろしながら周囲を眺める。

 部屋はいやにがらんとしていた。強いて目に付くものを上げるとするなら、本棚に立て掛けられた数冊の本。


 ――読書が趣味なのか?――


 ふと、そんな事を思い浮かべ、直後に愕然とした。


 ――俺は妹の趣味一つすら知らない――


「えっと、使用人に何か持ってこさせましょうか?」

「いや、構わない」


 首を横に振るとリーゼも椅子に腰かける。

 ――正面で向き合うと、意図せずその容姿全体が視界に入った。

 アッシュブロンドの髪にアメジストに輝く瞳、睫毛は長く口元は引き結ばれている。

 改めて見ると自分が思っていたより、ずっと大人びた容姿――

 そんな事にすら動揺しそうになる心をどうにか落ち着ける。


「……先ごろ、シュミット伯爵家から使者が訪れた」


 先ずは前置きを口にして話を進める。


「用件はシュミット伯爵家、オスヴァルト侯爵家、そして当家による三国間での同盟だ」

「……」

「その同盟の証として婚姻関係を結ぶ必要がある」

「……姻戚関係……」


 リーゼは戸惑いまじりに呟いた。


「オスヴァルト侯爵家からはシャルロッテ嬢が、シュミット伯爵家からはノーラ嬢が当家に、そして――」


 一度、生唾を呑み込んだ。


「――当家からは、リーゼを嫁に出す」

「……私が……」


 その瞳からは行き場のない感情が漏れ出していた。

 リーゼは背後に控えるセレスに視線を移す。俺の位置からではセレスがどんな表情をしているのか見ることは叶わない。


 その永遠とも思える視線の交錯から、再び視線を此方に戻した。そして、こくりと喉を鳴らし、何かを呑み込んで、ただ一言。


「――はい」


 確かに了承の言葉を口にしたのだった。






 俺は一人で大広間の天井を仰いで、吊るされているシャンデリアを眺めていた。


 ――あの後、使者であるトラウト卿に承諾の返事を返した。

 詳細なことはこれから詰めることになるが、先ずは子爵に陞爵することが最優先で、その次が俺とノーラの婚儀になるらしい。

 となると、リーゼの嫁入りは、今から半年後ぐらいになりそうだ。


 幻想的に揺れる蝋燭の炎を見つめていると、あの時のリーゼの表情が頭に映し出された。


 痛ましく涙を浮かべながらも、ぎゅっと唇を噛み締め、了承の言葉を口にした俺の妹。


 ――あの表情は、今でも脳裏に焼き付いている。

 そして部屋から退出した時、中から聞こえたすすり泣く声も――


「……どうすれば、良かったんだ」


 リーゼを抱きしめて、やっぱり行く必要はないとでも言えば良かったのか?

 諦めなければ、リーゼを人質同然に差し出さなくとも、例え孤立した状況でも上手く立ち回りヴェルシュタインが生き抜く方法があったのだろうか――

 だが、すでに諦めてしまった俺に、その問いの答えが返ってくることはなかった。


 ――こうなる前には如何にか出来たんじゃないか?


 すると、もう一人の自分が囁く。


 ――勢力拡大による影響は十分に予測可能だった。


 それは、つまり事前に対策が可能だったということ。


 ――いや、そもそも予測なんてする必要はない。さっさと信用できる身内と形式上だけでも婚約させておけば、こんな事にはならなかったのでは?


「……それではヴェルシュタインで針の筵の生活を強いるようなものだ――そこに幸せなどない」


 ――その結果が人質同然の嫁入りとはな。


「黙れッ!」


 ぎゅっと目を閉じると、あの時のリーゼの眼差しが蘇る。


 リーゼは自身の境遇を嘆く事も無ければ、力不足な兄を詰る事も無かった。




 ――だからこそ、リーゼの兄でいられなかった自分が堪らなく許せない。

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