ゼロサムゲーム
運よく誰にも会わずに速足で居館を脱出し、内側の城壁に辿り着く。
数年前に見つけたのだが茂みに隠れるように子供がどうにか通れる程の小さな穴が開いている。
このルートを使って日頃、一番外側の城壁の塔まで一人で出かけていた。
慣れた足取りでいつものルートを駆けると、直ぐに外側の城壁に到着した。
「おや、若様また抜け出して来たのですか?」
すると、見覚えのある警備隊の男が声を掛けてくる。
一瞬ビクついたが、よく考えると彼は一般市民であって正規兵ではないことを思い出した。
嫡男を軟禁していることなど家の恥以外の何物でもないため、父がわざわざ正規兵に知らせているとも思えなかったが、正規兵なら俺が城内で軟禁されているのを噂で知っていた可能性があった。
だが警備隊はその大部分を一般市民で構成している。
そのため今日の明日で軟禁のことを知っているとも思えない。
……また、一般市民が領主の嫡男に気軽に声を掛けるなど、この世界の価値観からすれば信じられないことなのだが、前世の記憶から身分というものに疎かったことと、日頃から抜け出してくることで秘密の共有をしていたため、気軽に話しかけていたら自然と相手との距離感も近くなっていた。
「…いや、今日は狩りに出かけるんだ」
背負っている狩猟道具を見せつける。
「…お一人ですか?」
すると、怪訝な表情で周りを見渡したあと、眉を顰めて尋ねてくる。
「余りに待ち遠しくてな、護衛は置いてきたのだ」
警備隊の男は〝若様は相変わらずですね〟と苦笑いして後を続ける。
「しかし、いくら何でも領主様のご嫡男が街の外に一人で出かけることは出来ませんぞ」
「それぐらい理解している、だから護衛が追いつくまでいつもの場所で時間を潰すつもりだ」
俺の即興の嘘に相手は疑っていないようだった。
……まあ、当然だな、彼の言うように〝貴族の嫡男が街の外に一人で出かけよう〟と考えていることなど露程も思ってはいまい。
「だから、護衛が来るまで誰もあの場所に近づけないでくれ」
「…分かりました」
いくら、馴れ馴れしくても相手は貴族階級の人間だ。そのため相当な無理難題でもなければ彼はおとなしく従ってくれる。
俺は一礼して、去っていく警備隊の男の背中を見届けたあと、城壁の方向に向かうのだった。
俺はいつもの塔――ではなく、その隣の城壁の上に立っていた。
現代人が中世ヨーロッパの城壁をイメージすれば、誰もが思い描くであろう、城壁の上にある凸凹(この世界で初めて知ったが鋸壁という名前らしい)に袋から取り出したロープを括り付ける―――このロープも獲物を捕まえる罠や持ち運びによく利用される、狩猟道具の一つだった。
ロープを地面に垂らすため、改めて城壁の上から覗き込むと、思っていた以上の高さだった。
城壁の高さは三~四メートル、そう聞くと大したことはないように思えるが、現代の住宅の二階程の高さと言われればより想像しやすいだろう。
――下手をすれば死にはしなくとも骨折は確実だろうな――
そんなことが脳裏に過る、その恐怖を振り払うようにロープを片手で引っ張り強度を確かめる。
「よしッ」
気合の言葉を口にすることで覚悟を決め、城壁の上から降りるのだった。
ヴェルシュタインを中心に東にはピシティア山脈がそびえ立ち、南にはその山岳地帯を水源としたヴェルガ川が流れ、西には肥沃な穀倉地帯が広がっている。そして、北には森海が広がっていた。
地面に降り立ってすぐ、北の方角に走り去る。
食糧調達とストレス発散、そして現実逃避を兼ねた狩猟をするためだ。
森の入り口に簡素な拠点を作り、獲物を探す。
この森にはマルコ達と共に何度か狩りに来たことがあったが、当然一人では今回が初めてだったため、あまり深入りして帰り道が分からなくならないよう、入り口付近で狩りをすることにした。
草陰に隠れて、獲物を待ち構える。
しばらくすると、野兎の姿が見えた。ゆっくりとした動作で弓を構え、矢を引き絞る。
――罪なき動物は殺せても、罪深き人間は殺せないのか――
矢を放そうとした次の瞬間、そんなことが脳裏に過る。
「――ッ!」
動揺で手元が狂い、矢は大きく目標から逸れた。
「…はあ」
ため息を吐きつつ、心の何処かで安堵している自分に気が付く。
「ふふ、今更何を安堵しているのか、野兎などもう何匹も殺しているじゃないか…」
食卓に並んだ分も、間接的に自身が殺したことになるなら、もはやその数は数えきれない。
それどころか、前世で殺す手間を省くための手数料と、より人間の都合よく家畜を殺すために畜産業者に投資という形で間接的にお金を払っていたのだ。
それは殺しを依頼していたことに等しい。
そのことをただこの世界に来るまで意識してなかっただけで、俺の生きた道筋には既に大量の死が築かれているではないか…
この世界は勝った者が全てを手に入れる。それは地球も、この異世界も同じことではないか――
俺は今まで前世の、少なくとも日本は平和だと勘違いしていたが、ただシステムが複雑化しただけでこの戦乱の世界と何一つ違いなどないではない。
――だから、殺せない、手を汚せないなどという言葉は、もはや偽善ですらなくただの戯言でしかない――
主人公の独白がうざいかもしれませんが、あとちょっとだけお付き合いください。




