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伏兵

 

「本隊に攻めかかれッ!」


 当主が討ち取られ完全に混乱しているヘンゲル男爵軍に、降伏勧告なく部隊に攻撃指示を出した。


 それに応え、先陣を切ったのはマルコだった。


「退路はブラント男爵が塞いでおる――もはや逃げ場は無いぞ!」


 すると、兵士達も口々に叫びながらマルコの後に続く。


「ブラント男爵と挟撃するぞ!」

「怯むな!ブラントとは既に話がついている!」


 そんな言葉を口にしながら、次々と突っ込んでいくヴェルシュタインの兵士達。


 その様子を見て含み笑いが漏れた。


 ヘンゲル男爵軍だけが攻められ、逃げ場である背後をブランド男爵軍に塞がれているという目に見える現実。

 そして、此処は死と隣り合わせの戦場――最前線の兵士達が理性的な判断力を保つのは極めて困難。

 ――しかも、部隊の士気と秩序を維持する筈の総指揮官は既に居ない――


 馬上からは時間が経つれ、ヘンゲル男爵軍に動揺が広がっているのがはっきりと見て取れた。


 ――この手の噂は見え透いているが故に、大衆にはこれ以上なく分かりやすく効果的だ――


 物思い耽っていると、伝令が目の前にやって来る。


「報告します!ヘンゲル男爵軍の後方部隊がブラント男爵軍の前線に攻めかかりました!」


 その報告を聞いて、自身の策が上手くいった事を確信する。

 戦場はヴェルシュタイン対ヘンゲル・ブランド連合軍の構図では無くなり――三つ巴の構図に変化した。

 すると、背後に控えていたライナーが声を掛けてくる。


「お館様の策は上手くいったようですぜ」

「その様だな」


 ――元々、両男爵の関係は良好とは言えない――

 そんな両家が如何にか協力関係を構築できたのはヴェルシュタインを共通の敵に見出したからだ。


 ――確かに、敵対勢力同士が手を結ぶために共通の敵を見出すのは定石ではある――


 だが、それが只の利害関係でしかない以上、その協力関係を切り崩すことは難しくない。


「しかし、勝つのではなく負けることで状況を打開するとは……」

「別に特別な事をした覚えはない」


 先ず、前提として両者が協力関係でいる為には共通の敵が一定以上の脅威でなければならない――脅威で無くなってしまえば、必然的に結束力は弱くなる。

 ――俺が敢えて戦に負け続けた戦略的理由は、両男爵にヴェルシュタインが最早脅威でない事を誤認させる為だ――


「両男爵からすれば、ヴェルシュタインが最早脅威で無くなった以上、戦後の事を見据え始める」


 共通の敵が居なくなった以上、戦後両男爵の協力関係は崩れ、再び敵対する事は目に見えている――自軍の戦力は出来る限り温存し、相手の戦力を消耗させたいと考えるのは自然だ。

 ――それが理由で五度目の会戦時、ブラント男爵軍の足並みは重かったのだろう――

 そして、それを見たヘンゲル男爵以下その兵士達がどう感じたのか――ただでさえ、自分達にだけ攻撃されているのだ。

 ヘンゲル男爵末端の兵士に至るまで、ブラント男爵に不信を抱くのは避けられない。

 ――それこそ、戦前に流れた噂が本当だったのではないかと信じかけてしまうほどに――


「戦前に流させた、あの噂の目的は――」

「ああ、ヘンゲル男爵の兵士達にブラント男爵の裏切りを意識させることだ」


 あの噂一つでは効果は無い――噂は只の不和の種でしかないのだ。

 しかし、種が無ければ花を咲かせる事は出来ない。その不和の種を育てる水と肥料が、執拗な攻撃と戦場での流言だ。


 ――謂わば、第二の伏兵と言っていい――


「お館様、そろそろでは?」

「そうだな」


 ――だがこれだけでは、未だ完全勝利には届かない――

 ブラント男爵の背後には依然として退路が存在しているのだ。このまま戦力を逃がしてしまえば、反撃の機会を与えてしまう。


「――合図を出せ」


 戦場に角笛が鳴り響く。

 すると、森林地帯の入り口付近にある茂みから、約五十名の兵士達が飛び出す。その兵士達は、雄叫びを上げてブラント男爵軍の背後に攻めかかった。


「ブラント男爵軍も完全に混乱していますぜ」


 ライナーは笑みを浮かべた。


「ブラント男爵も、他の伏兵が潜んでいたとは予想もしてなかったでしょう」


 〝それも、本物の正規兵が五十人も〟と付け加える。


 ――あの兵達は最初の猟師達と違い、領民を徴兵したわけでは無い――正真正銘の精鋭である正規兵だ。


「しかし、上手い事を考えましたね」


 何処か感心した様子で後を紡いだ。


「重傷者を搬送した兵士達を本隊に合流させずにそのまま伏兵とするとは」


 そう、ライナーが説明した通り――兵士を負傷者運搬要員として活用したあと、伏兵としてこの隘路の入り口付近に伏せて置いたのだ。

 このやり方だと一度に離脱する兵は少数で、離脱する目的も何ら不自然ではない――従って伏兵の存在を見破られずに済む。

 それと、ブラント男爵軍にヴェルシュタインが攻撃するれば、ブラント男爵軍と組んでない事がヘンゲル男爵軍にばれてしまうが、この段階では最早そんな事は関係ない。


 ――一度、両者が刃を交えた以上、お互いが自衛の為に争い続けるのだからな――



 これが、ブラント男爵の退路を断つ第三の伏兵だった。


「あとは、敵がいつ降伏するかだが……」


 前後左右の全てから、ヘンゲル・ブラント男爵軍を包囲している。

 ――まあ、左右の猟師達に関しては、大した損害を与えられないだろうが、重要なのは包囲しているという事実だ――

 完全に包囲されているという事実が、敵軍の士気を大きく下げる。


 そして両男爵軍がお互いに争っている以上、戦況はヴェルシュタインの圧倒的有利だ。


「ブラント男爵も、そのことは理解している筈」


 逃げ場がない以上、もはや降伏しかあり得ない。

 それにヴェルシュタインからしても完全包囲はしているが、殲滅など不可能でありするつもりも無い――敵も味方も犠牲は少ない方がいい。


 祈るような気持ちで戦場を見据えていると、ブラント男爵軍の混乱が目に見えて激しくなった。


「……何が起こった?」

「もしかしたら、ブラント男爵が討ち死にしたのかも」


 すると、伝令が目の前にやって来て、馬から飛び降り片膝を突いて報告する。


「報告します!ブラント男爵と側近数名が森の奥深くへと逃亡しました」

「馬鹿なッ、左右の猟師達は何をしていた!」

「運よく包囲の網を掻い潜ったようです」


 その報告にギリッと奥歯を噛み締める。

 ――確かに、猟師達は軍隊で無いため連携不足であることは否めないが、森は猟師のホームグラウンドではないかッ――

 それにブラント男爵も逃げてどうしようと言うのだ。


「お館様、戦場では不測の事態がどうしても起こり得ますぜ」


 ライナーが真剣な目で、俺を見据え後を続ける。


「何もかもが思い通りに進むと考えるのは傲慢と言うものでは?」

「……確かにその通りだな」


 ――此処まで順調に事が運んで、少々調子に乗っていたのかも知れない――

 一度、深呼吸して、落ち着きを取り戻す。


 両男爵が戦場から消えた以上、生命の安全を保障すれば兵士が抵抗する理由はない。

 ――それに、ブラント男爵の逃亡も当面の問題は無い――

 例え、ブラント男爵が領地に帰還しても、手足である兵士の殆どを捕虜にしたのだ――もはや抵抗することは不可能だ。

 そもそも、数人での逃亡だ――無事に領地に辿り着けるとも限らない。


「先ずは両軍共に降伏させよう」


 現状を冷静に分析したあと、改めて口を開く。



 かくして、心に僅かなしこりを残しつつも、絶体絶命かと思われた戦いはヴェルシュタインの完勝という形で終結した。

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