連敗
戦場から安全な距離を取った所でルッツに被害状況を尋ねる。
「被害は?」
「幸い戦死者はいませんでしたが、負傷者十五名のうち五名が戦闘継続不可能と判断された重傷者です」
一撃離脱で戦闘時間が短かったこともあり、戦死者は居ないようだった。
――だが〝戦死者が居ないから良かった〟という単純な話でもない――
「重傷者はヴェルシュタインに搬送せよ」
死人は戦場に放置されるが、怪我人は後方に下げる必要が有り、搬送するための人手が必要になる。
従って、短期的に見れば戦死者より同数の負傷者の方が戦力低下に繋がる。
――実際、敢えて戦死者でなく負傷者を量産するという戦術もあるほどだ。
「これでも追撃が無かっただけマシなのだろうが……」
撤退時、ヘンゲル・ブランド連合軍からの追撃は無かった。
まあ、敗走ではなくダメージの少ない組織的な撤退だ――機動力の差もあり追撃しても効果は薄いと判断したのだろう。
――若しくは、余りに早い撤退に警戒心でも抱いたのか――
「ですが、時間稼ぎには成功しました」
「ああ」
緒戦の目的の一つは、侵略が予定される南部の領民達を避難させるまでの時間稼ぎだ。会戦すれば勝敗に関係なく半日前後の時間稼ぎにはなる。
――領民の避難は十日前から手に掛かっているが、余裕を持って完了するには、あと二、三日の余裕は欲しい――
南部の領主達には、人的資源である領民の安全と財産の補填を条件に今回の作戦に協力を取り付けたのだった。
「しかし、本当に村を焼き払わなくて良かったのですか?」
――ルッツのいう村を焼き払うとは焦土作戦のことだ。
焦土作戦とは、防御側が攻撃側に奪われる地域の利用価値のある食料、建物を焼き払い、自国領土に進行する敵軍に食料の補給や休養等の現地調達を不可能とする戦略。
――時間的余裕があれば、建物はともかく食料は輸送することも出来たのだろうが、時間的余裕のない今回は人命を最優先させて手荷物だけの避難を徹底した――
その分、南部の領主達に、略奪される財産の補填も約束するはめになったが、当主として足元が弱い以上仕方ない。
「後の統治や反攻する際のことを考えるとな」
「しかし――」
「分かっている――先ずは目先の勝利を優先することが大事なのだろう?」
――捕らぬ狸の皮算用とも言えなくもないことは自覚している――
だが、と後を引き継ぎ。
「村々を焼いたところで、小領主でしかないヴェルシュタインでは効果が薄い」
「……そうかも知れません」
大国ならともかく小国のヴェルシュタインでは焦土作戦と言ったところで高が知れている。
――だったらのちの事を考慮して、そのまま残していた方が合理的だと判断した――
「それでは予定通り、あと四回の一撃離脱を繰り返すのですか?」
「ああ」
ただの時間稼ぎでいいなら、焦土戦術もありだった。だが時間稼ぎーー所謂、政治的理由以外にも一撃離脱を繰り返す必要性がある。
あの後も、二回、三回と緒戦と同じくヘンゲル男爵軍に突撃して、すぐさま退却する一撃離脱を繰り返した。
そして現在、俺は夕暮れの中馬を駆け続け、四度目となる戦場から離脱中であった。
「――ルッツ、追撃はどうだ!?」
「今までで最も苛烈な追撃です!」
――ヘンゲル男爵は、此方の行動をだだの時間稼ぎと判断したのか、会戦を重ねる度に段々と追撃の苛烈さが増していった――
背後を振り返ると、傷だらけの身体に暗い表情の兵士達が目に入る。
「――そろそろ限界だな」
損傷もそうだが、それ以上に撤退を繰り返し続けた事による士気の低下が避けられなかった。
「……次が最後の機会になるかもな」
口の中だけで行われたその独白が誰かの耳に届くことはなかった。
緒戦から三日目の朝、ヴェルシュタインの南に広がる森林地帯を背にこれで五度目になる陣を敷く。
最早見慣れた敵陣を見据えながら、隣に並んだルッツに尋ねた。
「我が軍の残存兵力は?」
「……百五十を僅かに超える程度です」
――これは単純に百の兵が失われたという意味ではない――
最初の会戦から段々と追撃が苛烈さを増したこともあり、流石に戦死者がゼロということは無いが、一撃離脱と組織的な撤退により、戦死者そのものは五人だけと報告されている。
なので、半分が重傷者と残り半分が運搬要員による離脱者だ。
――初めは軽度な負傷でも戦を重ねれば重ねる程、重傷者になりやすい――
戦死者は少ないが、重傷者が特筆して多いのはそれが理由だった。
「敵残存兵力は?」
「――斥候からの報告によると、ヘンゲル男爵軍が四百五十程、連合軍合計で約七百五十になるとの事です」
――敵も此方と戦死者も負傷者もそう変わりない筈――
ただ、後方の村を野戦病院にして、運搬要員が直ぐにさま戦場に舞い戻ってくるので離脱者が少なく見える。
――だが、ヴェルシュタインと違い、後方の都市での適切な処置が不可能なため、怪我が悪化し、結果的に死亡者が増える事になるだろう――
しかし、短期的には戦力低下を抑えられることに変わりはない。
そして、戦力差は当初の三倍よりも大きくなった。
この会戦に敗北すれば、森林地帯を超えた先にあるヴェルガ川の橋を落とし、対岸に陣を敷く渡河の戦いぐらいしか有効そうな手は無い。
――否、それでも此処まで広がった戦力差では、数に頼った力攻めで押し切られてしまうだろう――
つまり、この会戦にヴェルシュタインの存亡が掛かっていると言っても過言でなかった。
――ふと、見上げた空は、未だ厚い雨雲に覆われていた。