起死回生
「……ヘルムート子爵は有能なのだろう」
父が内心を読んだかの様に語り始める。
「だが、完成度は下でも潜在能力ではアルスも負けてはいない」
「……父上は、意外と親バカだったのですね」
「私が親バカ?――冗談はよせ、客観的な評価を言っているに過ぎない」
「……」
「それに、私が親バカでない事はお前が一番よく理解している筈だ」
父の問うような視線。
「まさか私がおこなった仕打ちを忘れた訳ではあるまい」
俺は正面からその瞳を睨み返す。
すると、父は視線を逸らして大きく息を吐く。
「……ヴェルシュタインはその地形的要因から袋小路だ」
――四大諸侯の緩衝地帯故に大胆な軍事行動は不可能――
「ヴェルシュタインの独立は四大諸侯の均衡によって如何にか保たれている砂上の楼閣に過ぎない」
「それは理解できます」
「そして、四大諸侯の均衡が崩れた時、その均衡を崩し勢力を拡大した諸侯に従属する未来しかヴェルシュタインには待っていない筈だった」
乱世で勢力拡大を目指さない、目指せないと言うことは、最終的に何処かの勢力に従属せざるを得ない。
「だからこそヴェルシュタインの嫡男には私情で判断を誤らない人間の育成が急務だった」
――乱世においての従属は何をされても断れないということ――そこで判断を誤れば、従属どころか滅亡する――
「当主としてお前に厳しく接したことを間違っていたとは思わない」
そして〝ただ父としては間違っていたのだろう〟と呟いた。
「――いや、戯言だな話を戻そう」
父の目がすぅっと細められる。
「お前がどうやってもヘルムート子爵に敵わないと考えていたなら、例え足に障害があろうと当主を譲りなどしなかった」
――父は本気で俺がヘルムート子爵に勝てると考えているのか?
そこまで、思考して現段階で重要な事ではないことを思い出す。
――いや、先ずはこの状況を如何にかしなければ――
……だが、一体どうすればいい……
頭の中でそんな堂々巡りに陥った時――前世で幼馴染のある言葉が脳裏に過った。
『詰んだとしか思えない状況に陥った時は、まず前提条件を疑いなさい』
前提条件を疑う――そこに活路が無いかと想像を巡らせる。
例えば、敵の兵力は八百だと想定していたが――本当にその数は八百なのだろうか?
両男爵が手を組んだ以上、戦力を温存する必要性はない――殆ど全軍である八百と言う数字自体に間違いは無いはず。
だが此処で前提を疑うとするなら――八百という数字は文字道理の数なのか?
例えば、釣り野伏――それは、本当に初陣の俺では使えない戦術なのだろうか?
釣り野伏は敗走を装って、追撃して来た敵に即座に反転攻勢に出るという高度戦術な以上――初陣の俺にテンプレそのものが使えないのは間違いない。
だが、少なくとも初陣と言うだけで無理だと決めつけるのは早計だ――ヘルムート子爵は実質的な釣り野伏を成功させている。
勿論、あれは敵より多い兵力があって初めて可能なことなのは理解している。
だが島津本家やヘルムート子爵の釣り野伏を、そのままなぞる事は出来なくとも――それぞれを参考にして自分なりの強みとアレンジを加えた釣り野伏なら――初陣の俺でも包囲殲滅、若しくは両男爵と軍勢の無力化を成し遂げることも可能なのでは――
例えば、領民の徴兵――それは本当に役に立たないのだろうか?
領民を歩兵とし、猟師達を弓隊として運用した所で敵に大した損害を与える事が出来ないのは間違いない。そもそも領民を盾にする様なまねは政治的に不可能。
しかし、軍隊をぶつけ合う事だけが効果的な部隊運用だろうか?
他にも、領内の地形、家臣達の領地問題、両男爵の性格の相違など、あらゆる前提条件が脳内を駆け巡る。
「――――――あ」
そして、全ての前提条件を疑い終えた思考が、唐突に整合性を取る。
「――これなら、両男爵とその軍勢の無力化は可能――勝算も十分にある」
父が期待の視線を向けてきた。
「良案を思いついたのか?」
「ええ――ですが、欲を言えば成功率を上げるために後一ピース欲しい所です」
「……一つ、当てがある」
「それは?」
「少し待て、もうそろそろ――」
父の言葉に割り込むように、低いノック音が部屋に響いた。
「来たか……入れ」
そして扉を軋ませながら姿を現したのは、初老ながらも堂々とした風貌の使用人。
「バルタ、相変わらず図ったようなタイミングだな」
バルタと呼ばれた彼こそが、ヴェルシュタインの家令であった。
「アルス――バルタの役割を知っているな?」
「ヴェルシュタイン家使用人の監督と財務の管理ですか?」
――俺の教育係はパウルで、バルタとは余り接したことが無い――
「その通り――そして、もう一つバルタには重要な役目がある」
「それは?」
「――密偵の統括だ」
そして〝私は影と呼んでいるがな〟と付け加える。
「……これが、父上の言っていた独自の情報網と言うやつですか?」
「そうだ」
――所謂、忍びのような者だろうか?――まあ、乱世の領主としておかしい事ではないか――
「当主継承の際に、教えようと思っていた」
「なるほど」
「……まあ、今頃教えても役に立つとは思えないが――」
「いえ、大いに助かります」
――これは十分に最後のピースとなりえる――
「バルタ、密偵――否、影だったか、組織の規模はどれ程なのだ?」
「三十二名でございます」
――ヴェルシュタインの規模で考えるならそれなりだろう――
「ヘルゲン男爵の領都ヘルゲスに密偵は潜んでいるか?」
「はい」
「では、その者に〝ブラント男爵が実はヴェルシュタインと組んでいる〟という噂を流させろ」
すると、父が口を挟んでくる。
「――今更、流言飛語の策を弄し、戦いに間に合わせる為には、急速に広めなくてはならない」
眉を顰めて後を続ける。
「それでは、ヴェルシュタインが噂を流していると教えているようなものだ――ヘンゲル男爵どころか兵達すら騙せるとは思えないぞ?」
「でしょうね――この噂で仲違いさせられるとは私も思っていません」
両男爵は、最低でも二週間以内に攻めてくると予想される――信憑性のある噂を流すならもっと早くに手に掛からなければならなかった――
「……ッ?」
未だ、首を傾げる父を無視して椅子から立ち上がる。
「……それでは他にも準備がありますので」
そんな言葉を言い残してその場を後にした。
 




