父
父の寝室には、家族と家臣達の姿があった。
現在は、ラル、リーゼ、セレス、母の家族四人が寄り添うようにベッドを取り囲んでいる。
「……旦那様、体調はいかがですか?」
「右足に未だ強い痺れが残っている」
母の問いかけに、父は眉を顰めた。
「これは一時的なものなのか?」
一歩引いた位置でその会話を聞いていた俺は、控えている医者に問う。
「……いえ、毒で神経がやられているので、これからは足を引きずりながらの生活になるかと」
「……そうか」
内心落胆はしたが、予想していたことなので取り乱すことは無かった。
「卑劣なッ!」
「貴族として恥ずべきことです!」
家臣達が口々にヘルムート子爵を罵る。
「――恥の上塗りはよせ!」
父が家臣達を叱咤した。
「恥ずべきは、毒を使用したヘルムート子爵ではなく、敵を侮った我々の方だ」
「……お館様」
「この結果は私の至らなさが招いたこと――ヘルムート子爵は真剣に戦争をやっただけに過ぎない」
父の正論に家臣達は沈痛な表情で俯く。
そして、内心で俺も同意する。
――忌々しいのは確かだが、卑怯だとは思わない――
戦争は、敵を効率よく排除した者が正しいのだ――正々堂々と戦い無意味に味方に犠牲を出す方が間違っている。
――まあ、内外に悪印象を持たれ、外交関係や家臣との信頼関係に影響するので進んでやる手段ではないが――
「アルス――ヴェルシュタインの現状は把握しているか?」
「……ヘルムート子爵と両男爵が組んでいる事ですか?」
父は首を縦に振った。
「父上こそ、何時頃気が付いたのですか?」
――目を覚ましたばかりの父には考える時間は無かった筈――
「余り侮るな――両男爵の不穏な動きと周囲の情勢を鑑みれば、最初からある程度推測することは難しくない」
「では、なぜ対策を講じなかったのですか?」
「ヘルムート子爵の謀略は自身の勝利が前提にある――ならば、戦に勝利する以上の対策などない」
――確かに、その通りだ――この包囲網を成し遂げるにはヘルムート子爵の勝利が前提条件。
大した戦力差も無い中、自身――それも初陣の勝利を前提にした策など、本来なら下策もいいところだ。
「だからこそ、勝たねばならなかったのだがな――」
常にポーカーフェイスな父にしては珍しく、苦虫を噛み潰したよう表情を見せる。
迂闊だったとにべもなく切り捨てることも出来るが、父も全く無警戒では無かった。
それにヘルムート子爵は初陣――ここは相手を褒めるべきだ。
すると、父がこの場の全員に視線を巡らせた。
「――ヴェルシュタインの危機に寝込んでいるようでは当主失格だ」
一呼吸置いたあと、その先を継ぐ。
「よって今この時より、ヴェルシュタインの家督を我が嫡男アルスに譲る」
その瞬間、誰もが絶句する。
そして、一拍の間の後、家臣達が一斉に反対の声を上げた。
「な、お待ちください!」
「いくら何でも早急すぎるのでは……」
「これは決定事項だ――と言うのは簡単だが、こればかりは強要しても逆効果だろう」
僅かな逡巡の後、再び口を開く。
「なので……一つ条件を付けたそう」
そう言って、後を引き継ぐ。
「この戦で両男爵家を滅ぼし、その領地の支配権を周囲の諸侯に認めさせる策をアルス一人で考え出すこと」
改めて家臣達を見回す。
「それだけの難題を成し遂げれば、お前たちも異論はないな?」
「……それが出来るのでしたら、異論はありません」
「ええ、私もです」
すると、父が目を見開く。
「……思っていたより、驚かないのだな――もっと無理難題だと反対があると思っていたが」
「若様も此度の戦、只の勝利では足りないと、常々我々に語っていましたので」
「――ほう」
視線を此方に向ける。
「ではアルスも異論はないな?」
「……異論はありません」
――当主継承も今回の条件も、近いうちに成し遂げなければならない事に変わりわない――
しかも、火種を抱えていた継承問題も条件付きだがこれで解決する――断れるはずが無かった。
あの後〝しばらくアルスと二人きりにしてくれ〟という父の願いにより家族と家臣達が先に退出した。
そして現在、寝室にはベッドに寝そべった父と椅子に腰かけた俺の二人だけだった。
「それで、具体案はあるのか?」
「――条件を満たすには、包囲殲滅しかないでしょう」
「……敵より、少ない兵力で包囲殲滅か……」
父が漏らした呟きに、改めてその荒唐無稽さを思い知る。
敵より少ない数で包囲殲滅など――圧倒的な火力でもないと無理ではないか?
――だが、その圧倒的な火力である大量の鉄砲など、ヴェルシュタインには存在しない――
「……今回の戦でヘルムート子爵が私に対して使用した戦術も、本来包囲殲滅を目的と編み出されたものだろうな」
ヘルムート子爵が使用した戦術は、偽の本陣を餌に敵部隊を釣りだし、本命の両翼で敵本陣を叩く――
――ん?そういえば――この戦術、最近何処かで聞き覚えが――
「――ッ!?そうか!釣り野伏そのものではないかッ!」
厳密には、敵本陣は反転攻勢していないし、そもそも敵より多い時点で寡兵戦術の釣り野伏とは違うのだが、原理的には同じと言っていい。
――釣り野伏は寡兵戦術という固定概念に引きずられて、愚かにも今まで気が付かなかった――
「釣り野伏とは何だ?」
目を細める父に改めて解説した。
「――なるほど、その釣り野伏とやらに必要な条件をヘルムート子爵は上手く満たしているな」
「条件というと〝完全に負けたと思わせる敗走〟と〝相手の判断力を落とす〟という?」
父は一度頷く。
「先ず前者の条件だが見事に騙された――だが無理もない演技でなく敵本陣は――影武者そのものは本当に敗走していたのだからな」
詐欺の手口で最初に大きな嘘を吐くというものがある。
その嘘さえ信じ込ますことが出来れば、それ以降嘘を吐く必要性はなくなり、結果的に相手にばれるリスクが少なくなる。
――そして、最初の大きな嘘ですら、本陣と女という先入観に引きずらている父達をヘルムート子爵だと騙すのは簡単だっただろう――
「後者の条件も、ヘルムート子爵は初陣という無意識の侮りがあったと言わざるを得ない」
――油断や侮りは人の判断力を腐らせる――
「申し訳ありません……もっと早く釣り野伏のことを教えて居れば……」
「いや……仮に前もって教えられてようと気付けたとは思えない」
首を横に振る。
「敵が伏兵を配置しそうな地形なら警戒もしていただろう、しかし、今回は平原での戦いだ――伏兵など仕掛けられる場所が無いという思いがあった」
確かにそうだ――その先入観がある以上ヘルムート子爵の策を見抜けたとは思えない――
「平原での戦はお互いの存在を目で確かめられる――そしてその情報を元に両翼は遊兵化出来ると判断したのだからな」
――見えないから警戒しないのではない――見えるからこそ警戒するに値しない。
その警戒するに値しないという盲点を突くことで概念的な伏兵を生み出した。
ヘルムート子爵は、女であり初陣、そしてヴェルシュタインは精鋭という逆境を――逆転の発想で打開して見せた。
――長所と短所は表裏一体と簡単に言うが、それを実践することが本来どれだけ難しいことか――
そしてヴェルシュタインの地理的関係上、ヘルムート子爵との対決は避けて通れない。
――俺はヘルムート子爵に勝つことが出来るのだろうか?
 




