難易度ルナティック
あれから一夜が明けた早朝、再び家臣達を軍議の間に集めた。
部屋に入るとざわめきが収まり、一呼吸置いてから口を開く。
「一晩経って冷静になったな?」
周囲を見回して、家臣達の表情を伺う。
落ち着きを取り戻したのを確認してから〝では、二日目の軍議を開始する〟と宣言した。
そして最初にヴェルシュタイン一帯が描かれた羊皮紙の地図を広げる。
「一晩、考えた末の結論なのだが――」
ごく平坦ないつも通りの口調を意識しながら告げる。
「――私は野戦をしようと考えている」
「な、それは本気ですか!?」
ルッツが驚愕の声を上げた。
「戦力差は三倍以上なのですよ!」
「三倍だろうが、籠城では活路が無い以上選択肢などない」
現状ヘルゲン、ブラント、ヘルムートの三家全てが協力関係にある。
「籠城したところで両男爵に他の敵対勢力が存在しない以上、周囲の情勢がヴェルシュタイン優位になる変化も期待できない」
籠城は、周囲の情勢変化や援軍到着までの時間稼ぎか、陽動のどちらかが主な戦略的目的だ。
――もしくは、力攻めしてくる敵に大損害を与え、退却に追い込むという意図あるが、それは特殊な例だけ――
今回の場合、籠城すれば両男爵はヴェルシュタインには攻めてこない筈だ――両男爵が手を組んでいる以上情勢に不安はないのだから、焦って力攻めする理由はない。
それよりも領内の村々を荒らし回った方がはるかにノーリスクだ。
上手くすれば略奪に耐え切れなくなったヴェルシュタインを野戦に釣りだせ、釣りだせなくてもヴェルシュタインの国力を下げられる。
「それでは国力の差が広がる一方で、将来的には戦力差が三倍どころの話ではなくなるのだぞッ!」
ルッツ達、籠城派だってそれぐらい分かっている筈だ。
――ただ、今回の惨敗で一時的に視野が狭くなっている――
「現状で勝てないなら、将来勝てる道理などない」
家臣達を睨め付けるかの如く視線を巡らせる。
「今回がヴェルシュタインに与えられた最後の機会である事を自覚しろッ!」
檄を飛ばして、家臣達の目を覚まさせる。
――今のヴェルシュタインには混乱している時間的余裕すらないのだから――
「分かったなら、三倍の敵に勝つための策を講じるぞ」
「……野戦で勝つとするなら、奇襲しかないでしょう」
本来の思考を取り戻したかの如くルッツの聡明な回答。
「私も、同意見だ」
一度頷いて、後を続ける。
「それで――具体的な案は何かないか?」
「……夜襲は如何でしょう」
確かに夜戦は周囲の状況が把握しにくいので、混戦になりやすく従って大軍の利を活かしにくい。
――それに相手は遠征、疲れで大量の兵が睡眠不足のはず――
領地内ので戦いのため主導権は此方にある――タイミングを見計らえば、睡眠不足の敵に対し、此方は万全の状態で挑むことも可能だ。
ヴェルシュタインの強みである精鋭であるという点も活かしやすいが――
「――何かご不満なことが?」
「いや、夜戦を否定する訳ではないが……それでは戦術的勝利にしかならない」
確かに夜戦ならそう悪くない確率で徹底的に追い散らすことも可能かも知れない。
「だが中途半端な勝利は逆にヴェルシュタインの首を絞めることに繋がりはしないだろうか……」
「普通の勝利では両男爵の連携を深める恐れがあるということですか?」
マルコの的を射た発言に頷くことで同意を示す。
「現状のヴェルシュタインは周囲を敵に囲まれている」
それはヴェルシュタイン包囲網と言っても過言ではない――ヴェルシュタインは戦略的失敗で既に不利に陥っている。
「この現状を打破するには普通の戦術的勝利では足りない」
「……具体的にはどのような戦略的勝利を?」
戦略的勝利と言えるほどの戦術的勝利とは――
「……両男爵を討ち、敵部隊を壊滅する――そしてそのままカウンターで両男爵の領地を奪い、包囲網を瓦解させる」
「馬鹿なッ」
ルッツが思わず毒づくと他の家臣達もそれに同調した。
……自分でも無茶苦茶を言っている自覚はある……
「――だが、本当の意味でヴェルシュタインが乱世を生き抜くには、避けては通れない道である事もまた事実だ」
すると、家臣達は一同に沈黙した。
〝ふう〟と一度、大きなため息を吐くことで意識を切り替える。
「……今度は視点を変えて、奇襲に有効な場所から手段を絞り込もう」
「敵が領内に進攻し必ず通る場所ならば、この隘路ですね」
ルッツが机の上に置かれた地図のある場所を指した。
――そこはヴェルガ川を挟んでヴェルシュタインの南に広がる大森林であった。
森林は南北に分厚く東西に長いため、組織だって進軍するにはその隘路――ボトルネックな道を進まなければヴェルシュタインの西と東の村々には辿り着けない。
「――確かに、此処ならば伏兵を配置するには最適だろう」
「ですが、此処までヴェルシュタインの奥深くに引き込むとなると領内の被害は甚大ですぞ!」
――マルコの指摘する通り、南部の村々は全滅と言っていい被害を受けてしまうだろう。
「私は反対です!」
「私もだ!」
幾人かの家臣達が反対の声を上げる。
――どれも南部に領地のある領主達ばかりだ――
確かに領主として自らの領地を捨てるような作戦は受け入れらないだろう――それを責める事など出来ない。
――もし、この隘路で迎え撃つなら、彼ら南部領主を納得させるだけの条件が必要になる――
「とにかく先ずは検討することだ――反対はそれが終わってから聞こう」
納得はしてないのだろうが、それが正論であったため渋々と引き下がった。
――仮にその政治的問題をクリアしたとして、具体的には?――
使えそうな知識が無いか頭を巡らせる。
「……釣り野伏」
呟いたそれは薩摩のチート戦国大名島津家が考案した戦法。
だが、姉貴でない俺にとっては島津家云々というより軍事関係の知識チートであるという印象が強い。
「若様、釣り野伏とは?」
「全軍を三隊に分け、そのうち二隊を予め左右に伏せて置き、敗走を装った本隊を追撃して来た敵部隊を三方から囲み包囲殲滅する」
すると、家臣達一同が困惑した表情を見せる。
「簡単に言いますが、それを実行するには釣り部隊が〝完全に負けたと思わせる敗走〟をし、更に追撃させるほど〝相手の判断力を落とす〟必要があります」
ルッツの言う通りだった。
――釣り野伏とは非常に高度な戦術だ。
実行するには優秀な指揮官と実行部隊の高い練度が求められる。
実行部隊の練度に不安は無い――ヴェルシュタインは間違いなく精鋭だ。
問題は指揮官の方だ――釣り野伏には、統率に優れ冷静に状況分析ができ、かつ兵と高い信頼関係にある指揮官の存在が必要不可欠だった。
――殆ど全軍を動かす以上、マルコやルッツを補佐にすることは可能でも、初陣の時と違い全権を預けることは出来ない――従って当主代理である俺が采配することになる。
実績のない実質的な初陣の俺を、兵士達が無条件に信頼してくれるだろうか?
――あり得ないッ――
兵士達はヴェルシュタインの後継者である俺に忠誠を誓ってくれるだろうが、それと能力を信頼するのはまた別問題だ。
この四年間で兵達を統率する訓練はしてきたが、訓練と実戦は全くの別物。
――ぶっつけ本番で高度戦術である釣り野伏を成功させる――それはご都合主義どころかもはや妄想の域だ。
少なくとも、釣り野伏のテンプレをそのままなぞるだけでは、賭けにすらならない。
実行するなら、俺でも可能な様にアレンジする必要がある。
「他にも釣り野伏を実践する場合の問題点が――部隊を三隊に分けるのなら、左右に分ける部隊は五十ずつの合計百程は必要になります」
ルッツが後を引き継ぐ。
「それだと、本隊が百五十程しか存在しない事になり、敵が怪しまないとお考えですか?」
「……最もな意見だな」
「強欲で傲慢な傾向のあるヘルゲン男爵はともかく臆病で警戒心の強いブラント男爵を騙せるとは思えません」
実質的な初陣の事から、侮ってくれて騙せる可能性も全くない訳ではないのだろう――しかし、最初から侮ってくれる前提は油断というものだ。
「ならば、領民を徴兵するのは?」
「……若、素人を部隊に編入させれば結果的に戦力の低下を招きます」
――戦力均一化の問題が立ち塞がるか――
「では、領内の猟師達を集めて弓隊としての独立部隊を作るのは?」
――領内の猟師を掻き集めれば、百人程の部隊が作れるはずだ――独立部隊なため、戦力低下を招くことは無い。
しかし、その考えとは裏腹にルッツの顔色はすぐれない。
「それでも、訓練された軍隊で無いのは同じことです――猟師達では統制が取れないため、斉射が可能なのは最初の一回だけでしょう」
――確かに弾幕の張れない弓矢の脅威など大したものでは無い――
「それ以降は散発して、殆ど敵兵を倒すことは不可能だと思われます」
ルッツの指摘は至極最もで、この厳しい現実を如実に言い表していた。
「クソッ、ならばどうすればいいッ!」
――これまでもそれなりの修羅場を潜り抜けてきたつもりだったが、この状況に比べればこの十五年間がまるでイージーモードにすら感じられた――
これがゲームなら間違いなくリセットしてやり直しているだろう。
だが、ゲームではないこの現実においてはこの設定ミスとしか思えない――難易度ルナティックをクリアしなければ――
――ヴェルシュタインに未来は訪れない――