内憂外患
セレスと別れたあと、現在はラルの部屋の前で立ちつくしていた。
一度大きく深呼吸してから、扉をノックする。
「……ラル、入っていいか」
部屋の中に居るであろうラルに呼びかける。
すると、しばらくして軋む音をさせながら扉が開いた。
無言のまま中に通され、部屋に設けられていた椅子とベッドにお互いに腰掛ける。
――お互いに口を閉ざし沈黙の帳が降りた部屋の中で、最初にその沈黙を破るように口を開いたのはラルだった。
「……兄上は凄いです」
その言葉を口火にぽつぽつと語り始める。
「今の私より幼い齢で初陣を果たし領内の内政でも結果を残してきました」
「……過大評価だ」
――事実、本当の意味でラルより幼かったとも優れていたとも言えない。
転生者である故の精神年齢と前世の知識を利用した、只のチートでしかない。
「ご謙遜を全て事実ではないですか」
だが、ラルに真意は伝わらない――俺は転生者であるという前提条件を伝えてないのだから――
「だから、兄上は大人で――それ以上に正しいのだと思います」
「それは違うッ!」
椅子を蹴って立ち上がる。
「私は大人でもないし、ましてや正しいなんてあるものかッ」
――自分の父親が重傷を負っても悲しめない人間は大人とは言わないし、ましてや間違っても正しいなんてこと有る筈がない。
「……寧ろ大人で正しいのはラルの方だ」
「私が?」
一度頷いて後を紡ぐ。
「あれからそう時間は経ってない筈なのに、こうして気遣いができ何より正義感が強い」
まさに、大人で正しいくあろうとしていると言える。
「兄として誇らしく思っている」
「そんなの当たり前の事ではないですか」
「その感覚がこの狂った時代ではとても得難いのだ」
盗賊に限らず、殺し、奪い、犯す、そんな事が正当化される時代だ。
当たり前と言えるその精神がとても尊い。
「――それだけ言っておきたかった」
立ち上がったまま〝軍議があるから〟と踵を返す。
「兄上!」
扉に手を掛けると、背後から呼び止められる。
「例え私の方が正しいとしても、必要とされているのは兄上の方です」
そして、最後にその言葉を付け加えた。
「どうか、ヴェルシュタインをお願いします」
「――任せろ」
――それだけが、今の俺に出来る唯一兄らしいこと――
ただそれだけ返して、後ろ手で扉を閉めた。
「これより軍議を開始する」
軍議の間に到着すると既に家臣達が揃っていた。なので早速軍議を開始する。
「先ずは現状の危機的状況を説明しよう」
ルッツ、と呼びかけ改めて説明させる。
――説明が終わり、共通認識が確立した所で早速マルコが口を開いた。
「ヘルゲン男爵とブラント男爵が協力して攻め込んでくるなら、その数は七百――否、八百に及ぼう」
ブラント男爵家の動員力は約三百人――ヴェルシュタインと殆ど同規模だ。
それに対しヘンゲル男爵家だが、その動員力は約五百を超える。ヘンゲル男爵の領都ヘルゲスの人口はヴェルシュタインの倍ほどはあろう。
そして、両家はそれぞれオスヴァルトとウーラントの両諸侯と姻戚関係だ――背後を気にする事無く、殆ど全兵力を動員できる。
「そして、我がヴェルシュタインですが――」
ルッツが苦々しい表情で後を継ぐ。
「今回の敗戦で死傷者が多く動かせるのは二百五十にも届かないでしょう」
二百で出陣して五十以上が死傷者と言うことは、二割五分の損失――三割で全滅判定を受ける事を考えれば、その甚大な被害も理解できる。
そこで、ふとある考えが頭に過る。
「……ルッツ、ヘルムート子爵の追撃は激しかったか?」
「……お館様を負傷させたにしては、激しくなかったかと」
その言葉を聞いて、内心苦々しく思った。
――此方は総指揮官を意識不明の重体にされているのだ――
よく考えると五十人では少なすぎる。全滅どころか、壊滅判定を受ける五割減でも不自然ではない。
――ルッツの証言から推測して、父だけでなく部隊もある程度逃がされた可能性がある――
現在ヘルムート子爵家は両男爵と組んでいるが、いつまでもその関係が続くとは考えられない――寧ろ両男爵にとって勢力拡大の余地がへルムート子爵家しかない以上敵対関係になる可能性の方が高い。
それではヴェルシュタインを排除しても新たに強大な敵を作り出しては意味がない。
ならば、ある程度の戦力は逃がして共食いさせた方がいいと今代ヘルムート子爵は考えたのだろう――
くそッ――何処までも忌々しい女領主だ――
そこで思考を意識して切り替える。
「……戦力差は三倍か」
「籠城しますか?」
その呟きに、ルッツが籠城策を提案する。
「しかし、籠城だと領内がいいように荒らさせるぞ!」
「ですが下手に野戦に踏み切り、次大敗するような事になればヴェルシュタインが滅びる事さえあり得ます」
「だが籠城して、これ以上国力を落とされればどちらにせよジリ貧ではないかッ」
「だからと言って、それは野戦を選択する理由にはなりません!」
ルッツを中心とした安全策の籠城派とマルコを筆頭に現状の打開を目指した野戦派の二つに別れて次第に軍議は紛糾する。
「静まれッ!」
俺は大声を上げ、周囲を見据えることでその場を制す。
「――今日はもう解散だ」
「な、若!状況を理解しているのですかッ!」
「理解しているとも――今の状態ではまともな案が浮かばないことぐらい」
出兵組は敗戦し帰還したばかりで肉体的疲労と精神的疲労が激しく――居残り組は訳も分からないまま父が倒れた事実だけ知らされる。
――こんな状態では良案など思い浮かぶはずがなかった。
「一日時間を置いて、各々頭を冷やせ」
それに良く見ると精神様態に大きなギャップがあるのか、出兵組はルッツに同調し、居残り組はマルコに同調していた。
ただでさえ当主継承の火種があるのだ――このままではヴェルシュタインが分裂してしまう。
「分かったな?」
最後にそう念押しして、我先にと軍議の間を退出した。
退出した所で自然とため息が零れる。
――父が無事ならこんなに紛糾することも無かっただろう――
纏まりが無い一番の原因は俺の力不足だった。
――セレスとラルに約束したばかりだと言うのに情けないッ――
自分の部屋に向かうため一歩目を踏み出した時、ある言葉が脳裏に過る。
――内憂外患――
現状のヴェルシュタインを評するのに、これ程似合う言葉は他に無かった。




