隣人の謀略
「……確かに両男爵にも不穏な動きはありましたが、どうして組んでいると断言できるのでしょうか?」
「――まず、父上が生きていることが大きな理由だ」
そして今度は此方が問いかける。
「ルッツ、父上はどうして生き残ったのだと思う?」
「それは……ご武運がよろしかったからでは」
「近衛が壊滅させられたのに狙われた筈の父上だけが偶然生き残ったと?」
「……」
すると、あまりに現実的で無いことを思い知ったのか、返す言葉を探るように沈黙する。
「……父上はヘルムート子爵に敢えて生かされたのだ」
「しかし今代のヘルムート子爵は若輩で代替わりしたばかり、お館様を討ち取った名声は喉から手が出るほど欲しいはず」
――只の勝利より父を討ち取った方が名声を高められるのは事実だ――否、そうでなくとも敵将を討ち取る機会があるなら普通はそうする。
だが、ヘルムート子爵はそれをしなかった――何故なら――
「父上を生き残らせた方がヴェルシュタインは混乱するからだ」
「……当主を討ち取るよりもですか?」
その問いに首肯する。
一見、当主を討ち取った方が混乱するように思えるが――
「父上を生かしておけば、私と父上のどちらを当主に据えるかで家臣達がより混乱する」
現在意識不明の父だが意識を取り戻したあと、怪我による障害が残るかも知れない。
――いや、わざわざ殺さなかったのだ――まず間違いなく障害の残る毒を使用している筈。
そうなると、ヴェルシュタインは障害持ちの当主と若い嫡男という状況になる。
そして、おあつらえ向きに嫡男ももう十五歳――当主を継承してもおかしくない年齢だ――
これを機に家臣達が父に当主の継承を求めてもおかしく――否、間違いなくそんな事が起きる。
現当主は、障害持ちで若年のヘルムート子爵に不覚を取ったばかりなのだから――
――では、嫡男であれば問題なく当主継承できるかといえばそうではない。
若く実績が無い当主――そのこと不安を持つ家臣も多いだろう。
それは別に家臣達の忠誠心が低いというわけでは無い――
寧ろ、忠誠心は高いと言っていいだろう――しかし、その忠誠心の高さ故にそれぞれがヴェルシュタインにとって何が最善であるか模索し、その結果として簡単に分裂する。
――当然だ、人の立場や主観によって最善は違うのだから――
「ヴェルシュタインは現当主派と嫡男派に分かれ家臣達が争うことになる」
「……そうかもしれません」
この状況を無難に収めるには、父が俺に当主の座を譲り後見することだが――
しかし現在、最高意思決定機関である父は意識不明。
いつ意識を取り戻すかも分からない中、これからの事を考え既に動いている家臣達も居るだろう。
それを父が意識を取り戻した後に収めるにしても、一度起きてしまったことを無かったことには出来ない。
――そして収めたあとも家臣達の間には大きなしこりが残る。
「ですが、お館様を討ち取った名声はヘルムート子爵の領地を統治するのに大いに役立つはず」
すると、ルッツは未だ納得がいかないような表情を浮かべた。
「ヴェルシュタインを弱体化させる為だけに、お館様を討ち取る機会を逃すでしょうか?」
「――確かにルッツの疑問は最もだ」
当主を討ち取る機会を捨てると言うことは、ヴェルシュタインを弱体化させられるのと同時に、統治に必要な名声をも捨てさるということだ。
だが、現実に父は討たれなかった――それはつまり――
「ヘルムート子爵にとっては他にも利益があるということだ」
「他の利益ですか?」
ヴェルシュタインが弱体化することによって生まれるメリットとは――
一つは単純に隣国の脅威が低下すること。
もう一つは、領地を攻め取りやすくなることだ。
しかし、ヘルムート子爵家も代替わりしたばかりで大軍は編成できない。
そして時間を掛ければせっかく生み出した混乱も終息していく。
そもそも、ヘルムート子爵家の戦力目的がヴェルシュタインの支配ではない。
これらのことから――ある可能性が浮上する。
「ヘルゲン男爵とブラント男爵の両男爵にヴェルシュタインを攻め込めさせる」
これならば、わざわざヘルムート子爵家が軍を動員する必要もなくヴェルシュタインをより弱体化させられる。
その事で、シュミット伯爵家がヘルムート子爵家に攻め込んだ場合でも、挟撃されることは無くなり、全力で西の防衛に当たれる。
――上手くすれば、ヴェルシュタインからシュミット伯爵家に援軍を要請させ、シュミット伯爵家の脅威すらも低下させることが出来る。
つまり、ヘルムート子爵は代替わりしたばかりで不安定な領地の統治に集中できるということだ。
「しかし、両家の仲は決して良くありませんが――……」
ルッツの言う通り、ヘルゲン男爵家とブラント男爵家――正確にはそれぞれと姻戚関係にあるオスヴァルト侯爵とウーラント辺境伯は敵対関係だ。
それに引き摺られるように両家の仲は悪い。
――それが無くとも領地が接する領主同士は基本的に仲が悪いものだが――
まあ、この場合それは重要でない――
「仲が良好な必要はない――一時的な共同戦線で充分なのだからな」
今は乱世だ、より弱い餌に群がるのは必然――単純な損得勘定で一時的に利害関係を構築するのは難しくない。
だが、ルッツは尚も言い募る。
「もし仮に、この三家が手を組んでいるなら、我らが出陣している間に攻め込まなかったのは不自然ではありませんか?」
「……これは推測だが――両男爵はヘルムート子爵が勝つとは思っていなかったのではないか?」
代替わりしたばかりの若い女当主――大した戦力も編成できず頼りなく感じてもおかしくない。
なので戦の結果が出るまでは様子見に徹していた。
それに、親密な関係で無いのなら、ヴェルシュタインが情報戦で此処まで完敗した事にも説明は付く。
明確な軍事同盟が必要ないなら、この三家の接触も最低限に限られていた筈――それだとヴェルシュタインの情報網をくぐり抜けるのも不可能ではない。
すると、ルッツは立ち上がり声を張り上げる。
「――では、その対策を一刻も早く打たねばなりません!」
「ああ、ヴェルシュタインの家臣達を軍議の間に集めてくれ」
そして、続けざまに、
「私も直ぐに――」
「待てよッ!」
〝直ぐに行く〟と付け加えようとした時――誰かの声によって遮られた。
慌てて振り返り、遮った声の主を確認する。
そこには――責めるような視線で此方を睨め付けたラルが居たのだった。