乱世始動
「父上はご無事なのか!?」
第一声を上げたのは十二歳の誕生日を迎えたラルだった。
俺、母、セレス、ラル、リーゼの家族全員は一週間前に戦場で重傷を負った父を城門前で出迎えていた。
「ラル様御下がりください」
駆け寄ろうとしたラルをルッツが制す。
「――さあ、早くお館様をッ」
そして、その背後から意識不明の父を背負ったライナーが続いた。
――見た限り目立った外傷は確認できない――
その事に安堵と同時に疑問が沸き上がる。
――なら、どうして父は意識を失っている?
そんな思考に囚われているとルッツが目の前で膝を突く。
「若様、申し訳ありません――私が付いていながら不覚を取りました」
「……終わったことを議論していても仕方がない――それより、何があった?」
「姑息な罠に嵌められました」
「罠?」
ルッツに尋ねると、何があったのか最初から説明し始めた。
「敵は我が軍をその数的優位で包囲するように両翼を広げた陣形を取りました」
――所謂、鶴翼の陣と呼ばれる陣形だろう――
鶴翼の陣とは横一列に並べ、左右が敵方向にせり出した形の陣形だ。
その戦術的意図は突撃してきた敵軍に対して集中攻撃を加え、自軍の被害を抑えることである。
「しかし、敵の方が多いとはいえ、所詮は五割増し程度、その数であれば練度と統率の差で相手の包囲が完成する前に、敵中央を突破し本陣に攻め込めると我々は考えました」
鶴翼の陣は如何に中央の部隊が翼包囲するまで粘れるかに全てが掛かっている。
その為には、信頼でき防御力のある部隊か、分厚い戦力を中央に配置するしかない。
これらの条件から、鶴翼の陣で包囲殲滅するには圧倒的に優位な戦力差――最低でも二倍以上、若しくは敵より優れた部隊の存在が必要だった。
「その時我々は、今代のヘルムート子爵は我らと戦ったことが無いため、正しく状況認識が出来ていないのか、若しくは初陣であることで本陣に不安があり背後を取らせないようにしている、と推測しました」
そういえば姉貴が鶴翼の陣について何か言っていたを思い出した。
――例え劣勢、若しくはさほど戦力差が無くとも鶴翼の陣を使用するのに有効的な場面がある、と――
三方原の戦いを例に、長々とうんちくを垂れていた覚えがある――しかし三方原の戦いって結局、鶴翼の陣を使った徳川勢が敗れたのでは無かったか?
正直、話半分に聞き流していたので詳しい内容は覚えていないが――機動力のある敵、若しくは味方の本陣に不安がある場合――最低でも本陣に回り込ませないようにする目的は果たせる、という結論に落ち着いていた覚えがある。
そして、ルッツ達も敵の意図は本陣の防衛であると――鶴翼の陣は只の防御であると判断したらしい。
「当初、我々の目論見通り中央を突破し、両翼の部隊を分断して本陣に攻め込むことが出来ました」
鶴翼の陣は横に広く展開するので、必然的に中央の兵力が薄くなる。
――包囲すると言えば聞こえはいいが、逆に戦力を集中運用出来ていないということでもあった――
今回の戦力差とヴェルシュタインの練度なら、中央を突破するのは難しくない。
「――ですが、それこそが敵の策だったのですッ」
ルッツは苦虫を噛み潰したように吐き捨てる。
「本陣に踏み込むと髪の長い若い女が騎乗しているのを発見――……その女をヘルムート子爵だと判断した我が軍は、逃走を開始したその女を追撃しました」
そこで、一呼吸間を置いたあと、再び口を開く。
「その時です――分断した筈の両翼から弓を本陣に射かけられたのは――」
「――馬鹿なッ!総指揮官が追撃されているのだぞッ!」
――頭脳である総指揮官が機能していないのだ――他の部隊が機能する筈がない。
「分断された両翼は大混乱に陥っているはずだ」
つまり、左翼右翼は遊兵となり集団的反撃など不可能。
「ええ、若様の仰られる通りです――それが、本物の総指揮官だったなら」
「――まさか――」
ルッツは首を縦に振ることで応えた。
「我々が、ヘルムート子爵だと思っていたのは偽物でした」
――写真などないこの世界では、正確に相手の顔を判断する手段が存在しない――
しかも、相手は十五歳で今回が初陣――ヴェルシュタインで顔を見たことがある人間などいない、そんな状況では、髪が長い女という分かりやすい特徴で判断せざる負えない。
「本物は髪を切り男のように振る舞い、右翼の部隊指揮官として陣取っていたようです」
それなら、両翼が混乱していない事にも説明が付く。
――当然だ、中央は最初から囮で、両翼が本命の部隊だったのだから――
「満々と罠に嵌った我が軍は、影武者を追撃していた為に戦線が伸び切り、狙われたのは後方の本陣」
影武者を敵将と勘違いし、勝利を確信しているその状況では、どんな精鋭も追撃を優先し、本陣――父の護衛はどうしても疎かになる。
――そこに無警戒だった相手から、思いもよらない反撃を受けたのだ――
「一斉に矢が飛んできて近衛の兵は壊滅、お館様は裸同然――そこに一本の矢がお館様の足に刺さりました」
ルッツは遺憾の極みだという様に、歯を食いしばる。
「そして、その矢先には毒が塗ってあり――意識不明の重傷を」
「……毒まで用意していたのか」
――恐ろしいまでの用意周到さ――
しかも、相手はまだ十五歳――俺と同年で今回が初陣という事実。
――天才――
その言葉が脳裏に過る。
「……こうなってくると父が重体でも生きているのが不思議なくらいだ」
そう呟いたことである事に違和感を覚えた。
――そうだ、どうして父が生きている?
世界が優しさを垣間見せたとでも?――そんなご都合主義などあり得るのか?
それに相手は間違いなく天才、これ程までの策を打ってきたのだ――最後の最後で詰みを誤るなど考えられない。
――前世でずっと汐璃を見てきた俺は思い知った筈だろう。
天才の天才たる所以は、詰めを決して誤らない事にある事を――
だとするなら、この状況――父が瀕死の重体というこの現状すら相手の望んだ展開だと考えるべきだ。
俺は思考の海に浸る。
「――ッ――!!」
そして――永遠にも感じられた長考の末に、その結論へと辿り着いた。
「――拙いッ!ヘルムート子爵、ヘルゲン男爵、ブラント男爵の三家は手を組んでいる可能性が高いッ!」