風雲急を告げる
昼下がりのある日、ヴェルシュタインに設けられている塔の一つから、北部一帯に広がる森林地帯を見下ろしていた。
「アルス――」
ふいに背後から声がする。
振り返ると、煌めくような銀髪を腰下まで取り戻し、幼さが抜けた面差しの少女が一人。
「もう齢十五だっていうのに、貴方は全く成長してないのね」
そう――シュトラから帰還し伝書鳩の育成を始めてから、既に四年の歳月が流れた。
「……こんなにも成長しているではないですか?」
自身の成長した身体を見せつけるように、両手を広げる。
四年前は見上げなければセレスと目線が合わなかったが、今では寧ろ見下ろさなければならない程に身長が伸びていた。
「成長しているのは体だけじゃない」
そして呆れたように〝相変わらず、此処には一人で来ているしね〟と続けた。
「失礼ですね、体以外にも色々と成長しています」
「例えば?」
――こうして貴方と自然に会話できるようになったことです――
内心、そんな気恥ずかしい事を思い浮かべたが、口にすることなど出来る筈がなかった。
「……今まではヴェルシュタインの街並みしか観ていませんでしたが、最近は街の外を眺めるようになりました」
「だから何なのよ?」
「内側ではなく外側に目を向ける重要性に気が付いた……とでも言いましょうか?」
「……貴方、昔より頭悪くなってない?」
――誤魔化すことには成功したが、成長したことを証明するのには失敗してしまったようだ――
落ち込みながら改めて外の景色に目をやると、此方に飛行してくる一羽の鳥の姿が。
「――鳩」
隣のセレスがボソッと呟く。
「伝書鳩かしら?」
「そうでしょね」
――群れではなく一羽だけなことから、ヴェルシュタインで飼育していた伝書鳩の一羽なのだろう――
「帰りましょう」
「もう帰るの?」
あれが伝書鳩なら、緊急で重要度の高い情報を運んでいることが予想される。
――領内、又はその近隣で異変でも起きたのか――
様々な可能性に思いを馳せながら、速足で居館に戻った。
「若様、ちょうどいいところに」
執務室前にいたパウルが俺の姿を捉え駆け寄ってくる。
「お館様がお呼びです」
「ああ」
パウルと軽く受け答えして、早速〝コンコン〟とノック音を響かせる。そして中からの返事を受け、飾り気のない扉を開く。
――すると、そこには机に肘を突き、前屈みで椅子に腰掛けた父の姿が――
その正面に立つと、早速本題に入る。
「――ヘルムート子爵家が我が領に兵を差し向けようとしているようだ」
「ですが、あそこはつい最近代替わりしたばかりでは?」
ヘルムート子爵家は三か月ほど前に、前当主が隠居したと領内でも噂になっていた。
――代替わりすると、通常当主への求心力は弱まり領内は混乱する。
その為、当主は足元を固めるために領内の支配、統治に力を注がざるを得ない。現在のヘルムート子爵家では大した兵力を動員することはできないだろう。
「しかも、ヘルムート家の嫡男、次男が相次いで病死して、現当主は長女だという話ではありませんか」
――このベルトキア王国で女領主は他国に比べるとそれほど珍しくない――
それはベルトキア王国の建国時――つまり初代王が女王であったことが大きな理由だ。
ベルトキア王国の歴史は約五百年にもなるが、その五百年前にベルトキア王国の基盤となる国を作り上げたのが初代女王――アレクシア・ベルトキアだった。
アレクシアは、他者の追随を許さないその圧倒的智謀、身体能力、カリスマ性で当時、大陸の大部分を支配していたスクアド帝国から、現在の王都周辺地域に当たるベルトキア王国の独立を成し遂げた。
元々帝国の版図が広がり過ぎ、中央集権体制から地方分権体制に移行しようとしていた時代の流れもあったが、だとしても強大な帝国相手から独立を勝ち取ったことは事実である。
その事から、初代女王アレクシアはこのベルトキア王国の英雄であった。
そしてアレクシアの死後、彼女は建国の英雄から戦女神――所謂軍神として、ベルトキアを中心に信仰されるようになった。
――現在でも戦場でアレクシアに祈りを捧げる者達は多い――
熱烈なアレクシア信者である当主の中には、嫡男より優秀な娘に継承させようとする者達すらいる。
しかし――この国でも女性領主が珍しいには変わりない。
しかも今は乱世である――最前線で剣を持つことを考慮すれば、身体構造的に女性より男性の方が領主として好都合であるのは言うに及ばない。
――アレクシアの如き女性が早々現れるはずがなかった――
「それに現当主はアルスと同じ弱冠十五歳と噂だ」
父が補足するように付け加える。
――若年の女性領主――
このキーワードが脳裏に過った時――
「傀儡かと思うか?」
父が内心を読んだかのような言葉を告げた。
傀儡――つまり有力な家臣が実権を握るために、ヘルムート子爵家の長女を敢えて当主に据えている、という意味。
俺は改めて、その可能性を思案しーー
「――その可能性は極めて低いでしょう」
そして、その結論に至った。
「もし仮に有力家臣が実権を握るため、長女を当主にと担ぎ上げたとするならーーまず担ぎ上げた有力家臣が一人だけだという可能性はありません」
もし仮に有力家臣が一人だけだとするなら、長女を傀儡とするより、結婚し婿養子として名実ともに当主として振る舞えばいいだけだ。
それに――
「それだけ力のある有力家臣が存在するなら、このヴェルシュタインにも特定の名前が聞こえて来なければ不自然です」
次に複数の有力家臣達が、長女を傀儡にしてそれぞれ実権を握ろうと共謀した場合だが――
「これだと、ヴェルシュタインに出兵する理由はありません」
折角、傀儡にしたのだ――先ずはヘルムート子爵家内部での地位と権力を高めることに力を注ぐ。
そもそも、当主の傀儡化に成功したあとは、有力家臣同士が実権を巡って争う筈ので、出兵自体が不可能だ。
「これらの事から、現在の当主は前当主と家臣達にある程度支持されて当主の座に就いたのだと思われます」
「私も同意見だ」
父が頷いて後を継ぐ。
「――現在のヘルムート子爵は相当優秀なのだろう」
現当主が有能なのは、婿養子を取ってない事からも推測できる。
――いや、そもそもヘルムート子爵家の男子が相次いで亡くなったのも、予定調和と見るべきか――
前当主が亡くなる前から長女に当主を継承し、更に出兵まで企んでいるのだ――嫡男、次男の死が不測の事態なら、混乱が余りに少なすぎる。
現在の当主は、相当有能で――それ以上に、冷酷であると考えるべきだ――
「……私が出陣しよう」
今代のヘルムート子爵はまだ若輩な事から実戦経験が不足であることが推測される。なので同じく経験不足な俺を出陣させ、実戦の経験を積ませるという選択肢も存在した筈だ。
しかし相手が油断ならないと考えたのか、父は自ら出陣すると告げた。
「アルス、お前には留守番を頼む」
鬼気迫った表情で後を続ける。
「……ヘルムート子爵家以外にも、ヘルゲン男爵家、ブラント男爵家の両家に不穏な空気が漂っているようだ」
「それも伝書鳩ですか?」
「いや、私の独自の情報網だ」
そして〝そのうちお前にも教える事になるだろう〟と呟く。
「もし、私の不在中に事が起こったら、アルス――お前自身の判断で対処せよ」
生唾をごくりと飲み込んで、鋭い瞳の父を見据えた。
「私が出陣中の間は――お前が当主代理だ」
すると、父は立ち上がり歩み寄ってくる。
「……頼んだぞ」
すれ違いざまに耳元で囁かれた言葉と肩に置かれた手が――やけに重く感じた。
それから一週間後、ヘルムート子爵家が動いたという報告がヴェルシュタインに舞い込んだ。
それに応戦する為、ヴェルシュタイン男爵家当主、ドミニク・ヴェルシュタインはヘルムート子爵領との国境沿いへと出陣したのだった。