閑話 平和の象徴と戦争の使者
一万グルもの大金を手にしてヴェルシュタインに帰還したことで、父から与えられた条件はどうにか無事に達成することとなった。
この一万グルだが、裁量権は現当主である父、ドミニクの物であり、ただの嫡男でしかない俺に口を挟む権利はない――
――が、父は今回の一件で、二匹目のドジョウでも狙うつもりなのか、ヴェルシュタインの予算の一部がこれからも継続的に組まれ――つまり俺にも一定の裁量権が与えられる運びとなった。
そして、ヴェルシュタインに帰還してから四ヶ月。
この予算で俺が何をしたのかといえば――
「――ヴィム」
「これは若様、この様な場所までご足労頂き申し訳ありません」
俺は街外れにある小屋に辿り着き、その中にいた人物――ヴィムに向かって声を掛けると彼は恭しく頭を下げた。
「伝書鳩の飼育は順調か?」
そう、俺が石鹸の次に手掛けたのは伝書鳩だった。
この伝書鳩だが、この異世界でも古くから漁船の成果などを伝えるのに利用されてきた。
しかし、現在このベルトキア王国では伝書鳩がそれ程運用されていない。
伝書鳩の概念があり、この国の文化水準的に、もっと運用されていてもおかしくない筈なのだが、史実で同レベルの文化水準を有していたヨーロッパの国々より普及していないのが現状であった。
――俺なりに考えてみた結果、この国が大きな内乱中である事が原因ではないかと推測される。
内乱――つまり中央集権体制が満足でない現状では、トップダウンが正しく機能していないため、国家戦略として通信鳩を育成する法律やシステムが実行できず、史実ほど発達もしなかったのだろう。
だが、伝書鳩がベルトキア王国内で全く運用されていないわけでは無い。
シュトラ滞在中に調べてみた結果、幾つかの諸侯と領主は既に伝書鳩を軍事、政治にと利用しているようだ。
少領主であるヴェルシュタインもその波に乗り遅れる訳にはいかなかった。
弱小勢力が乱世で生き残るには、情報網の構築は最低条件だ。
周囲の諸侯や領主に対抗できる数少ない分野なのだから――
「伝書鳩の飼育ですがようやく慣れてきました」
このヴィムだが、四ヶ月前まで伝書鳩の飼育に関して完全な素人であった。
――ノウハウの無い人間が独学で試行錯誤しても、それでは石鹸と同じ過ちを繰り返すだけなのでは?と疑問に持つ人が居るだろうが、石鹸の時とは少しばかり事情が違う。
まず伝書鳩とは、帰巣本能――鳩が自分の巣まで確実に帰る習性を利用している。
それは調教した結果でなく本能であるため特別なノウハウは必要ない。
強いて問題点を挙げるなら飼育方法が全くの不明であり、孵化の段階で全滅してしまう恐れがあったことだが、この種の鳩は一回に産む卵の数は二個、年に七、八回ペースの繁殖と思っていた以上に旺盛だったことでその心配も杞憂――寧ろ、繁殖を制限しなければならない事態に陥ったほどだ。
――まあ現代の公園などの様子を見ていると、ある程度予想していた事ではあるが……
他にも基本的に雑食性だったこともあり、他の動物ほど比較的飼育は難しくなかった。
「ならば地方の村々からも鳩を飼育する人材をヴェルシュタインに派遣させるべきか?」
伝書鳩が帰巣本能を利用している以上、ヴェルシュタインだけで鳩を飼育していては受信しか出来ない事を意味している。
領内の騎士達に情報を送信するため、各地でも鳩を飼育させる必要があった。
つまりヴェルシュタインでヴィムが身に着けたノウハウを他の者達にも教えなければ、伝書鳩による情報網は完成しない。
すると、ヴィムが申し訳なさそうに口ごもる。
「……もう少し、お時間を頂ければ――」
「分かった――だが出来るだけ急いでくれ」
焦らしても仕方ないのだが、言わずにはいられなかった。
一刻も早く情報網が構築出来るかどうかで、ヴェルシュタインの運命が左右されると言っても過言ではない。
――まあ、それでも俺が焦ったところで事態が好転する訳ではないが――
そこで、気分転換に先ほどから鳩舎の中で〝クルックー、クルックー〟と鳴き声を上げる鳩達を見渡した。
「……そういえば〝ポッポー〟と鳴き声を上げる鳩はいないのだな」
日本人にとって、ハトポッポの歌で馴染みの深い、あの種類の鳩は此処には居ないようだ。
すると、ヴィムが眉を顰める。
「その様な鳴き声を上げる鳩は聞いた事がありませんが……」
言われてみれば確かにその通りだ――この異世界で〝ポッポー〟と鳴く鳩と遭遇したことはない。
――もしかして、あの鳩は日本特有の鳩だったのか?
鳩の種類など、覚えていない為自分の知識チートでは判断が付かなかった。
その時〝そういえば〟とある重要なことを思い出す。
鳩の種類で思い出したが、時代によっても伝書鳩の伝達成功率は大きく変わってくるようだ。
――少し前、帰巣本能の正確性を知るために、早馬で一日の距離にある村から鳩を放ってみた――
現代で何かの本に書かれていたが、第一次世界大戦での伝達成功率は95%以上に登ったらしい。
しかし、現代の伝書鳩の伝達成功率は約50%と時代によって大きな違いがあるようなのでこの異世界の鳩はどの程度なのかと検証したのだった。
そして結果は――正直、所詮動物と侮っていたが、一日以内――つまり、早馬より早くヴェルシュタインに帰って来た鳩は八割を超えていた。
これほど、有能なら史実でそれもネットワークが発達するつい最近まで現役だったことも納得である。
だがその優秀さ故に、現代で平和の象徴である鳩を、俺はこの異世界で戦争の使者にしなければならなかった。