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ファーストコンタクト

 

「それにしても、よく独自に石鹸を完成させることが出来たな」


 伯爵と細かい契約を詰めている時、ふと何処か呆れたような口調で呟いた。


「私もオイゲンやフェルステンに密偵を放ち、情報収集や引き抜きを行っていたが、石鹸を完成させるに至らなかった」

「閣下もですか?」


 ――いや、特別驚くことではないか――

 領主であるならば領内で石鹸を独自に生産したいと考えるのは自然だ。


 そこで、ある疑問が頭に浮かんだ。


 ――ちょっと待て、よく考えるとおかしくないか?

 諸侯であるシュミット伯爵家は失敗したのに、小領主でしかないヴェルシュタインが簡単に引き抜きに成功したというのは……


 しかし、現実には成功している。

 つまり、ヴェルシュタイン男爵家には可能で、シュミット伯爵家には不可能だった理由が何かあったはずなんだ。


 ――ただ運が良かった?

 確かに、運の要素があったことは否定できない――だが、それは最低条件でしか無い。

 だから、もっと明確な理由があったはずなんだ――


 俺は視線を宙に這わせ考えを巡らす。

 そして、ある答えに辿り着いた。


「――逆ですよ閣下、諸侯のシュミット伯爵家ではなく小領主のヴェルシュタインだからこそ成功したのです」

「……どういう意味だ?」


 困惑した様子の伯爵に、俺は補足するように口を開く。


「石鹸製造には様々な条件が必要になります」


 一つは塩の安定供給のため領地が海に面していること。

 二つ目は、石鹸を乾燥させるのに適した気候である事――これはミアから聞いた事だが、石鹸が固まるには気温が低すぎても、高過ぎてもダメなようだ。

 三つ目は、量産体制と販路の問題だ――この二つも有力諸侯である両家に対抗するならば必須条件だ。


「これらの条件を全て満たしている諸侯はベルトキア王国広しといえど極わずかです」

「――そうかッ!つまりオイゲンとフェルステンからすれば、その条件を満たしている特定の諸侯だけを警戒すればそれで済むと思っていたのか」

「ええ、そしてその間隙を縫う形でヴェルシュタインが引き抜きに成功した形です」

「その理屈だと、他の小領主達も成功していないとおかしいではないか?」


 伯爵の問いに一度〝そうですね〟と頷き、後を継いだ。


「まず前提として密偵を放っていた領主はそう多くないでしょう」


 最初石鹸製造を考えた領主達も、有力諸侯である両家程の量産体制が無いのは分かり切っているので殆どは考えただけで諦める。

 ――両家に目を付けられるリスクもあるからな――


「残るは、私の様に大金で買い取って頂ける当てがある領主だけですが――」


 一呼吸置き、続きを語った。


「フェルステン侯爵家とオイゲン伯爵家も他の小領主達を警戒してなかっただけで、無防備であったわけではございません」


 ――そう、小領主達には工程の細分化という壁が立ちはだかる。


 運よく誰か引き抜いた所で石鹸に対する全ての知識を持っている訳では無い。

 つまり、何人も引き抜く必要が有るわけだが、そこまで大胆な行動を両家が許すはずがない。大抵一人引き抜いた所で目を付けられて終わりだろう。

 そもそも乱世の弱小勢力がそんな愚かな行動に走るとは思えない。金も無いだろうからな。


「それではヴェルシュタインだけが石鹸製造に成功している理由にはなってないぞ」

「……運が良かっただけです」


 より正確には――運と前世の知識チートが揃っていたおかげだがな――


 当然伯爵はその返答に納得する筈もなく、疑いの視線を向けてくる。


「……まあいい、姻戚関係だろうと言えないこともあるだろう」


 そして今度は仕切り直すように呟いた。


「しかしヴェルシュタイン男爵家は後継者に恵まれたな――ニアの手紙ではどんな馬鹿息子かと思っていたが……」


 ――母よ、どんな内容の手紙を伯爵に送ったのですか。


「この機にヴェルシュタインの次期当主をこの目で確かめさせて貰ったが、中々悪くないではないか」


 ――そうか、交渉中に何度か感じた違和感の正体はこれだったのか――

 ヴェルシュタインにとってシュミット伯爵家との協力関係は言うまでもなく重要だが、それはシュミット伯爵家とて同じこと、機会があるのなら次期当主の器を確かめるぐらいのことはして当然か。


「ヴェルシュタイン卿が、まだ幼い嫡男を交渉の使者として、何の補佐もなく此方に向かわせたと聞いた時には、正直気でも狂ったのかと疑ったが――」


 そこで伯爵は此方を見据える。


「――ヴェルシュタイン卿がお主に信頼と期待を抱くのも理解できる」

「――信、頼……ですか?」


 あの父から、信頼されているイメージが湧かなくて伯爵の発言に思わず困惑した。


「何を驚いているのだ?信頼もしていない人物を我が家――それも私と単独で交渉させるはず無いではないか」


 ――確かにその通りだ。

 シュミット伯爵家との交渉の成否はそのままヴェルシュタインの運命の岐路と言っても過言ではない。

 俺が心中信じられない想いでいると、伯爵が目の前でため息を吐いた。


「……ヴェルシュタイン卿が羨ましいな」

「……羨ましい?」

「私には、一人息子と二人の娘が居るのだが――」


 そこで伯爵は〝いや、他家の者に語る事でもないか〟と口を噤んだ。


 そしてそれからは、ただ淡々と詰めの作業を進めた。







 あれから詰めの作業も終わり契約を交わしたあと、与えられた部屋に戻ろうと廊下を歩いていた時の事だ。


 正面から、小柄な人影が此方に近付いてくるのが見えた。

 その人物は――やや切れ目で吊り上がった目尻、鼻筋は細く通り、桃色の唇、それに流れるような黒髪と碧眼の瞳を持つ少女だった。


 一瞬だけ目が合いお互いの存在を確認すると、軽く会釈するだけですれ違う。






 これがこれから先の将来を共にする女性とのファーストコンタクトだったとは、この時の俺は知る由も無かった。

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