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交渉

 翌日、与えられた部屋で休んでいると、俺一人だけ伯爵に呼び出された。

 ――十中八九石鹸の事だと推測出来たので、パウルにある準備をして置くように指示する――

 その後伯爵に使いを頼まれた使用人の先導に従って、数分ほどで昨日の一室に辿り着いた。


 部屋に足を踏み入れると、ソファーに腰掛けていた伯爵が最初に目に入る。


「――ッ」


 俺は、思わず息を呑んだ。


 伯爵からは昨日の気さくな叔父といった雰囲気は感じられず、最初は別人かと思ったほど歴戦の領主であることを強く印象付けられた。


「そちらに、腰掛けてくれ」


 伯爵が手で示した向かいのソファーに内心気押されながら腰掛ける。

 ――改めて正面で向き合うと、伯爵が東部有数の諸侯であるに相応しい風格を漂わせているのが理解できた。


「早速本題に入ろう」


 終始主導権を握られたまま、話が進められる。


「石鹸製造法の情報と利権を、我がシュミット家に売却したいとの話だったな」

「……はい、ヴェルシュタインは石鹸の製造に成功しました」


 俺は手からにじみ出る汗を密かに膝で拭いつつ伯爵の話に同意する。


「証拠は?」

「此方がヴェルシュタインで製造した石鹸の試作品になります」


 用意しておいた石鹸を差し出すように目の前の机に置いた。


「……フェルステン産やオイゲン産の石鹸とも色が違うようだが……」

「それは、ヴェルシュタイン独自に研究を重ね、既存の石鹸より高品質を目指した結果です」


 ――本当は、知識チートによる偶然の産物だったが、正直に話す必要など何処にもない――

 どうせなら付加価値を加えようと予め考えていた言い回しだった。


「高品質とは?」


 伯爵は当然の如くその点に食い付いてきた。


 ――ここだ、主導権を取り戻せる分岐点はここしかないッ!


「そうですね……、閣下に実際に目で見て確かめて頂きたいので、準備をするお時間を頂けませんか?」

「いいだろう、使用人に用意させよう」

「いえ、此方の使用人が既に準備していますので呼んできて頂けるだけで構いません」

「ほう、随分と用意がいいではないか」


 軽く目を見開きながら、伯爵が背後に控えていた使用人にパウルを呼び出すように指示する。




 それから十分程経って、部屋にパウルが入室してくる。


「若様、此方がお品になります」

「ああ」


 パウルから受け取ったのは、三種類の石鹸と水が入った小さな桶、そしてインクとタオルだ。


「最初にフェルステン産とオイゲン産の石鹸を使用いたします」


 俺は腕を捲り上げ自らの手で実践しようとした。


「若様!お申し付け下されば私がいたしますのに」

「パウル、下がっていろ」


 言い捨てるように告げるとパウルは渋々と言った様子で引き下がる。

 ――パウルには悪いが、その心遣いは受け入れられない。

 確かに、貴族としては余り褒められた行動ではないのかも知れないが――インパクト勝負のプレゼンテーションの観点からすれば自らの手で実践して見せるのは悪くない手段だ。

 現実に正面の伯爵は目を丸くしている。


 主導権を取り戻したことを確信しつつ、プレゼンテーションを開始する。


「まずインクを手の汚れに見立てます」


 インクを手のひらに零し、軽く握り絞める――そうすることで爪の隙間や指紋にインクが浸透する。

 次に桶の中で石鹸を泡立て、インクで汚れた手を洗った。


「――フェルステン産の石鹸で手を洗いましたが、汚れが落ちきっていないのがお分かりになると思います」


 未だインクで汚れた手のひらを伯爵に見せつける。


「確かにな、爪の隙間や所々にインクが残っている」

「次に、オイゲン産の石鹸ですが――」


 その後、オイゲン産の石鹸もフェルステン産の石鹸と同じ過程を繰り返したが、大した違いは見受けられなかった。


「さて、最後にヴェルシュタイン産の石鹸を試します」


 これも前の二つと同様の過程を繰り返す――そして最初に違いが見えたのは泡立ての時だ。


「――ッ!確かに、目に見えて他の石鹸より泡立っているな」

「違いはそれだけではございません」


 水で泡を洗い流し、タオルで残りの水滴を拭きとる――、そして洗った手を目線の高さにまで持ち上げる。


「一目見て、綺麗になっているのが分かるぞ!」


 ヴェルシュタイン産石鹸の使用後は、指紋や爪の隙間まで綺麗に汚れが落ちきっていた。


「伯爵もお気づきになられた通り、既存の石鹸とは泡立ちが違います――そしてこの泡立ちの良さこそが、

 汚れを取り除ける理由なのです」


 俺は唇の端を吊り上げながら、自信満々に断言する。


 ――まあ、本当は他の石鹸より汚れが落ちる具体的な理由など分からないのだが――


 そう、これは取引を優位に進めるためのハッタリであった。

 実際に汚れが落ちる原因なのは、成分の違いだったりするのかも知れないが、この局面で重要なのは真実ではない。

 仮に成分が原因だったとしても泡立ちの方が目に見えて分かりやすい――つまり説得力がある。


 駆け引きを優位に進めようと思えば、説得力は重要だ――なのでこうしたハッタリも必要になってくる。




 プレゼンテーションが成功と言っていい内容だった事で、内心安堵の息を吐く。


「――それで、ヴェルシュタインは一体幾らでこの製造法と利権を売却するつもりなのだ?」


 そうだ、何を安心しているんだ――本題はここからじゃないか――




 一度、動悸を鎮めて呼吸を整える。



「この石鹸を一万グル(約二〇億円)で買い取って頂きたい」





 それは、このシュトラの年間税収にすら匹敵する莫大な金額であった。


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